【PDF版】仲俣暁生『ポスト・ムラカミの日本文学』改訂新版
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2002 年に刊行され、ながらく絶版だった幻の名著を完全復刊! 村上春樹と村上龍はそれまでの日本文学をどのように変えたか。二人の「ムラカミ」に続く世代の作家──保坂和志、阿部和重、町田康、吉田修一、堀江敏幸、星野智幸、赤坂真理はどのように文学を刷新したか。22 年前の本なのに、いまもいちばんあたらしい、現代日本文学理解のための最良の副読本。(B6 判・136 ページ) 目次 はじめに(2002 年) 第一章 村上春樹と村上龍── 70 年代後半という時代 第二章 「ポップ文学」と「ポストモダン文学」── 80 年代文学の迷走 第三章 保坂和志と阿部和重── 90 年代前半の「風景」 第四章 「J文学」の廃墟を超えて── 90 年代後半のリアル 第五章 21 世紀日本文学の行方 二十二年後のあとがき(2024 年) ◎本書で取り上げられている主要作品 村上春樹『風の歌を聴け』『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『神の子どもたちはみな踊る』、村上龍『限りなく透明に近いブルー』『コインロッカー・ベイビーズ』『愛と幻想のファシズム』、高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』『日本文学盛衰史』、保坂和志『プレーンソング』、『この人の閾』、阿部和重『アメリカの夜』、『インディヴィジュアル・プロジェクション』『ニッポニアニッポン』、堀江敏幸『郊外へ』、吉田修一『最後の息子』『パレード』、星野智幸『最後の吐息』『嫐嬲』、高見広春『バトル・ロワイアル』、黒田晶『メイド イン ジャパン』 etc...
はじめに(2002年版)
つい最近、家の近くの古本屋で、大学一年生くらいの若い男の子が連れの女の子に向かって、村上春の『風の歌を聴け』か村上龍の『限りなく透明に近いブルー』が読みたいんだけど、置いてないかなあ、と話しかけているのを見かけました。 女の子のほうはそれほど関心がなかったようで生返事をしていましたが、男の子はしばらく店の中でその本を探していました(残念ながら、そこの古本屋では見つからなかったようですが)。 1980年代のはじめ頃、この二人の作家の小説をむさぼり読んだ世代としては、あれから二十年もたって、当時まだ生まれてさえいなかった若い世代が、二人の初期作品を読もうとしていることにある種の感慨を覚えます。 この本は、1970年代後半に登場した二人の「村上」と、彼ら以降に登場した日本の新しい小説の書き手たちの系譜を、ぼく自身のかなり偏った読書歴を振り返りながら、できるだけ歴史的・構造的にまとめようとしてみたものです。 小説に書かれる言葉は、まだ社会的に大きな声にはなっていない個人の言葉です。その意味で作家はよく「炭鉱のカナリア」にたとえられます。「炭鉱のカナリア」の役割は危機の到来をいち早く告げることですが、小説の役割はかならずしもネガティヴな状況を先取りするばかりではありません。あるところではすでに結実しているのに、まだ多くの人と共有されていない新しい考え方や生き方をもっともよく伝えうるメディアは、もしかしたら小説なのではないか、とぼくは考えています。 でもそれは、かつて文学が担っていた一種の教養幻想とは違います。いまの時代に小説を読むことは、教養や自己実現のためではなく、人生の喜びや楽しさを他人と共有するための手段であり、すぐれた映画や音楽、その他のポップカルチャーとまったく同じです。「文学青年」や「文学少女」ではない人たちにこそ、ぼくはいまの日本の小説を読んでほしいと思います。 あの日の男の子はもう、二つの小説を手に入れただろうか、読み終わってどんな感想をもっただろうか、女の子のほうはどうだろうか……なんてことを考えます。 ここで紹介した本をすでに読んでしまった人も、まだの人も、本書を読んであらためていまの日本の小説の面白さをわかってくれるといいな、と思います。