山荘の有角犬
- 900 JPY
サイズ:A5 ページ数:68ページ 銀英伝二次創作小説。 ラインハルトとキルヒアイスの幼年学校五年生、卒業間際。『有角犬の夢』の事件の後、再びラインハルトとキルヒアイスがあの黒犬シュヴァルツと関わる事件。 フリードリヒ四世の皇子にして皇太子ルードヴィヒは帝国暦477年に死去したと伝えられる(原作外伝1『星を砕く者』より)。ルードヴィヒ皇太子の遺児エルウィン・ヨーゼフ二世は帝国暦487年五歳にして即位(原作『黎明編』より)……という原作設定に基づいたエピソード。
従卒任務
「幼年学校生徒の義務として、前線での従兵任務があることは知っているな?」 巨大な執務机に座した初老の男は、出頭した金髪と赤毛の少年二人を非好意的な視線で突き刺した。 「はい、存じております」 キルヒアイスは思わずラインハルトの端麗さを極めた横顔を覗い、その顔に驚きも怖れも、微かな色合いさえ刷かれていないのを確認して、わずかに安堵の息を吐く。 帝国軍幼年学校の歴史は古い。この幼年学校は、帝国最古の歴史を誇る。ルドルフ大帝自身のお声掛かりで設立されたとされ、校長を初めとして教師たちから、大貴族子弟の生徒たちまでがことあるごとに『大帝陛下御自らお定めになった校則』を笠に着る。 もっともラインハルトに言わせれば、自ら幼年学校の校則を定めるくらいであれば、『ルドルフはよっぽど暇だったんだろうさ』ということになる。 ルドルフ自身が定めたか否かは措くとして、前線勤務士官に対する従卒勤務は、確かに幼年学校生徒の義務の一つとして校則に明記されているのである。ただし、その義務が定められた当時、前線と言っても多くの場合、敵は宇宙海賊であり、地方反乱を引き起こした貴族の私兵部隊だった。従卒任務についた幼年学校生徒も、多くは後方部隊に配され、戦死者が出ることも滅多になかったという。 だが、時代は変わっている。今日、叛乱軍との間での、数万隻の戦闘艦隊による艦隊決戦が年中行事となっている。イゼルローン回廊や叛乱軍の領域に向かったまま二度と帰らなかった、この幼年学校生徒も一〇数名を数えている。 「イゼルローン回廊方面でありましょうか?」 ラインハルトの声には怯えも躊躇もない。むしろ、その声は弾んでさえいるのをキルヒアイスは敏感に聞き取っている。地表から離れ、宇宙(そら)翔ける任務を与えられることに至福をすら感じでいるのではないかと思わされるほどである。 だが……とキルヒアイスは思う。なぜ、今なのか。これまで、彼ら、特にラインハルトについては従卒任務は免除されていた。彼らを敵視する連中は、それが『姉を使って皇帝陛下におすがりし、従卒任務を免除して頂いている』のだとしてラインハルトを誹謗し、攻撃するのだった。 「焦って宇宙へ飛び出そうとしてはいけないわ。いくら自信があっても、あなたたちはまだ一〇代の子供なんだから」 ラインハルトの五歳年上の姉アンネローゼは、ともすれば血気に逸りがちな弟(ラインハルト)の気性を誰よりも心得ている。稀少な面会の機会を得るごと、彼女の口から紡がれる言葉の多くは、弟の暴走を案じるものだった。 「よく分かっています、姉上」 不屈、不羈、不遜……ラインハルトに向けられる形容は、アンネローゼに対した時だけは無用のものだった。 「まだ何も準備ができていない内に戦場に出ても、僕たちが何もできないことはよく分かっています。でも、準備ができたときには躊躇ったりしません。できるだけ早く戦場に出て功績を上げたいんです」 「……困った子ね。そんなに急がなくても、まだまだ時間はあるのに……」 「でも、急がないといけないんです。急がないと……」 できるだけ早く姉を、新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)という名の牢獄から救いだしたい。そのためにはできるだけ早く一人前になり、戦場で大功を上げ、軍人としての階梯を駆け上がっていかなければならない。 幼年学校での生活もほぼ五年弱。入学以来、群を抜いた首席生徒として君臨しただけではラインハルトにとって十分ではなかった。所詮、幼年学校での教育など、一般の中等学校のそれに毛の生えた程度のもの。基礎的な軍務教育と教練はあるが、そんなものはラインハルトの必要とするものではなかった。 ここ三年近く、幼年学校での教程に加え、士官学校で学ぶべき戦術・戦略の基礎から、各種の資格教程まで、それこそ眠る時間も惜しんで学び続けてきたのも、一刻も早く『準備のできた』状態に自分を仕上げたいためだった。 その思いはほぼ叶い、先日の地上車操作資格試験にも無事(?)合格し、士官学校初年と二年度の教程から受講していた分についても修了を認められたラインハルトだった。まだ卒業まで時間は残しているものの、豪奢な金髪の少年は宇宙(そら)翔ける翼をその手中に握る日を夢見ていたのだ。 とは言え、彼らが準備不足のまま戦場へ送られないよう、アンネローゼが保護の手を差し伸べてくれたのは確かなことで、それは、ラインハルトにとってどのように不本意な想いであったにしても、皇帝フリードリヒ四世の手を経たものに違いなかった。自身に向けられる『姉のスカートの影に隠れて義務を逃れている卑怯者』の誹謗にだけは、ラインハルトが敢えて無視で応じている理由がそれだった。 「イゼルローン回廊へ赴きたいと言うのか?」 甚だ非好意的な視線で、校長は、この美しい少年をねめつけた。何か罵声を浴びせようとするかのように口許を歪め、この少年の姉が皇帝の寵姫であることを思い出したようだった。おそらく『戦場も知らぬ孺子が何を生意気なことを』とでも言いたかったに違いない。 「可能ならば」 ラインハルトにも校長の顔色は、ホワイトボードに大書された文字のように読み取れたに違いない。だが、その秀麗な容貌には恐懼もなければ、怯えの片鱗すらもなかった。 「たしかに、可能なら、諸君のような優秀な生徒は、真物の戦場を経験すべきだ。私も君の意見に同意する、ミューゼル生徒」 「はい、閣下。恐縮です」 しれっと応答するラインハルトに、また校長は酢でも飲まされたように顔をしかめた。口角をへの字に歪めるとコンソールに視線を落とす。 「ミューゼル生徒とキルヒアイス生徒に関する命令書を表示しろ」 壁面が明るくなり、命令書が映し出された。 「本来なら、ミューゼル生徒の希望通りにイゼルローン要塞駐留艦隊での従卒任務が与えられるところだが、諸君ら両名には、任官までは宇宙艦隊への配属はないよう、上から命じられている。とは言え、このまま従卒任務を経ることなく艦隊勤務に就いたのでは、諸君らの経歴に傷を残すことになる」 描いたように形の黄金色の眉を、露骨なほどに顰めて、ラインハルトがキルヒアイスをちらりと見た。キルヒアイスもまた、軽く顎を引いて頷く。従卒任務を経ようと経ようまいと、彼らの経歴に『傷』など残るものではない。校長の説明はまったくの屁理屈でしかなかった。 「ラインハルト……さま?」 思わず声をかけようとするキルヒアイスは、蒼氷色(アイス・ブルー)の視線が制止の光を閃かせたのに気づき、はっと口を噤んだ。 「私語は慎みたまえ、キルヒアイス生徒」 「は、はい。申し訳ありません」 「これは軍上層部からの特別の取り計らいだ。本命令書の示す通り、諸君ら二名には、一〇日後の、帝都星(オーディン)地表でのある作戦行動に於いて、部隊指揮官の従卒任務を命じる。ただし、諸君らには命令を拒否する権利を与える」 「命令拒否の権利……でありますか?」 「そうだ。これは志願任務だ。ゆえに拒否の権利が与えられる」 校長は頬を歪めて薄く笑った。明らかに彼ら二人に意趣を抱き、少年達の反応を覗う表情だった。キルヒアイスは胸の裡で、危機を告げる警鐘が鳴るのを感じた。帝国軍においては命令は絶対である。上官の命令は、皇帝その人が下した命令と同義であり、拒否は皇帝に対する叛逆を意味する。キルヒアイスがこれまで学んだ帝国軍の戦史の中で、任務の拒否権が与えられた例は皆無である。 キルヒアイスは横目に金髪の親友の横顔を視界に入れた。その視線を感じたように、ラインハルトがちらと視線を動かすのに、キルヒアイスは小さく頷く。ラインハルトが任務に背を向ける意思を持たぬ以上、彼に拒否はあり得ない。 「拒否は致しません。従卒任務の機会を与えてくださったことを感謝いたします」 「ほう……君はどうだ、キルヒアイス生徒?」 「はい、任務謹んでお受けいたします」 「いいだろう」 満足気に頷き、校長は彼らに向かって二枚の書類を滑らせた。 「サインしたまえ」 帝都星(オーディン)での地上作戦任務参加への意思表示と、作戦従事中の戦死や戦傷に対する帝国軍の免責に対する同意。ラインハルトは無表情に文面を読み下すと、その躍るような筆跡でサインし、キルヒアイスもそれに続いた。 「宜しい。それでこそ、我が幼年学校の誇る生徒二人だ」 書類を仕舞い込み、彼らを見上げた校長の表情は、相変わらず靄をまとったような、曖昧な微笑のままだった。壁面に映し出された命令書を消すと、彼はことさらに恩着せがましい口調になった。 「本任務に就くにあたり、諸君ら二名には本日より特別に三日の休暇と外出許可を与える。本日、この部屋を出たら、三日後の午前〇時まで、諸君は自由行動を取って良い。寮への外泊届けも不要だ。後顧の憂いなきよう、諸事処理を済ませておくように……下がって宜しい」 何が『諸事処理』なのか甚だ不分明だったが、二人は敬礼で命令を肯った。