61点 酢漿草紋 (かたばみ) 日本の実用家紋 ZIP (AI, PNG, PSD)
- セットA 酢漿草 (16点)¥ 130
- セットB 酢漿草など (16点)¥ 130
- セットC 剣酢漿草など (15点)¥ 130
- セットD 陰酢漿草など (14点)¥ 130
【セットA】画像2番目 内容 (酢漿草、丸に酢漿草、陰輪にに酢漿草、太輪に酢漿草、雪輪に酢漿草、外雪輪に酢漿草、月輪に酢漿草、藤輪に酢漿草、立ち角に酢漿草、立ち角鉄砲に酢漿草、菱に酢漿草、隅入り平角に酢漿草、隅入り立ち角に酢漿草、五鐶に酢漿草、五瓜に酢漿草) 【セットB】画像3番目 内容 (亀甲に酢漿草、鞠鋏に酢漿草、六瓜に酢漿草、折敷に酢漿草、陰折敷に酢漿草、白餅に酢漿草、三つ盛り酢漿草、庄内酢漿草、変わり酢漿草、剣酢漿草、丸に剣酢漿草、陰輪に剣酢漿草、雪輪に剣酢漿草、外雪輪に剣酢漿草、藤輪に剣酢漿草、菱に剣酢漿草) 【セットC】画像4番目 内容 (隅入り立ち角に剣酢漿草、井形に剣酢漿草、外五鐶に剣酢漿草、亀甲に剣酢漿草、亀甲に剣酢漿草、鞠鋏に剣酢漿草、八角に剣酢漿草、折敷に剣酢漿草、陰折敷に剣酢漿草、白餅に剣酢漿草、丸に剣酢漿草 (逆位置)、隅入り立ち角に剣酢漿草 (逆位置)、五鐶に剣酢漿草 (逆位置)、剣に酢漿草 (変わり)、丸に剣に酢漿草 (変わり)、丸に出剣酢漿草) 【セットD】画像5番目 内容 (鱗形剣酢漿草、丸に鱗形剣酢漿草、陰酢漿草 (A)、丸に陰酢漿草 (A)、藤輪に陰酢漿草 (A)、丸亀甲に陰酢漿草 (A)、陰酢漿草 (B)、丸に陰酢漿草 (B)、藤輪に陰酢漿草 (B)、丸亀甲に陰酢漿草 (B)、丸に立ち酢漿草、折敷に立ち酢漿草) ━━━━━━ ※1つのZIPフォルダの中に1点1点個別にデータが入ってます。 サイズ1000px × 1000px (余白あり) モノクロ 拡張子AI (CS2)、PNG、PSDの3種類、全て背景透明の素材です。 ━━━━━━ 【解説】 片喰とも書かれる。酢漿草紋と似た家紋に、三つ葉の酢漿草から四つ葉にアレンジした田字草があります。こちらは全く別の種類の植物で、カタバミ科の酢漿草に対して田字草はシダ植物の仲間です。 【丸に酢漿草】使用家 (下総生実)森川家、(尾張犬山)子爵成瀬家、長宗我部家 ・千葉県千葉市を治めていた生実藩主の森川の家紋。地元遺構より確認済み。 ・愛知県犬山市を治めていた犬山藩主の子爵成瀬家の家紋。関連団体の資料より確認済み。 ・長宗我部家末裔の家紋。京都市蓮光寺の墓石、高知市秦神社の神紋、17代目当主、長宗我部友親氏の出版物より確認。複数例から大元の長宗我部家の定紋はシンプルな「丸に酢漿草」だと推測できる。長宗我部家の家紋の一つとされる「丸に七つ酢漿草」は装飾品等で実用が確認できず、出版物に記述があるのみ。現在の長宗我部宗家は、長宗我部元親の弟の血統。江戸期の大名や近代の華族からは外されたものの存続している。 ・丸に酢漿草は日本で最も多く使われている家紋の一つであり、大名などの権力者から末端の一般家庭まで広く愛された家紋の代表格と言える。 【白餅に酢漿草】使用家、(出羽上山)子爵松平家 現在の山形県上山市を治めていた上山藩主の子爵松平家(藤井松平)の家紋である。ほかに丸に酢漿草や三つ葉葵の使用実績もあり。遺構および地元の美術品より確認済み。 【庄内酢漿草】使用家、(出羽鶴岡)伯爵酒井家 徳川四天王の酒井忠次の名で広く知られている酒井家の家紋。庄内藩の地元山形県鶴岡市の資料を元に製図化しました。地元に残る装飾より確認済み。 【隅入り平角に酢漿草】使用家 (出羽松嶺)子爵酒井家 現在の山形県酒田市を治めていた松嶺藩主の子爵酒井家の家紋である。遺構より確認済み。 【剣に酢漿草 (変わり)】使用家 (播磨姫路)伯爵酒井家 現在の兵庫県姫路市の地を治めていた姫路藩主酒井家の家紋である。遺構より確認済み。 【丸に剣に酢漿草 (変わり)】使用家 (加賀敦賀)子爵酒井家 現在の福井県敦賀市の地を治めていた敦賀藩主酒井家の家紋である。遺構より確認済み。 【丸に出剣酢漿草】使用例 (フィクション)佐々木助三郎 助さん 水戸黄門の助さんの家紋として設定されています。初代、2代目の頃は助さんも格さんも家紋の設定が定まっておらず別の家紋を使用していました。3代目からはしっかり家紋の設定が設定され、最新作のBS-TBS版7代目の助さん格さんに繋がっています。助さんのモデルになった実在の人物、佐々宗淳。佐々家の末裔は現在でも存続しています。(執筆日 22/9/2022)