巴紋 (ともえ) 日本の実用家紋 ZIP (AI, PNG, PSD)
- A 16点 三つ巴ほかダウンロード商品¥ 700
- B 16点 三つ巴ほかダウンロード商品¥ 700
- C 16点 一つ巴ほかダウンロード商品¥ 700
- D 16点 二つ巴ほかダウンロード商品¥ 700
- E 16点 八つ巴車ダウンロード商品¥ 700
- F 15点 八つ巴車ダウンロード商品¥ 700

計95点【A】【B】【C】【D】【E】【F】 【A】左三つ巴、丸に左三つ巴、細輪に左三つ巴、子持ち輪に左三つ巴、白餅鞠挟に左三つ巴、外雪輪に左三つ巴、藤輪に左三つ巴、角に左三つ巴、立ち角に左三つ巴、井桁に左三つ巴、七宝に左三つ巴、松皮菱に左三つ巴、丸松皮菱に左三つ巴、木瓜に左三つ巴、五鐶に左三つ巴、五瓜に左三つ巴 【B】亀甲に左三つ巴、陰六角折敷に左三つ巴、鞠挟に左三つ巴、六花に左三つ巴、平折敷に左三つ巴、折敷に左三つ巴、子持ち折敷に左三つ巴、組み合い角に左三つ巴、水車に左三つ巴、変わり左三つ巴 (沖縄紋)、立ち角餅に左三つ巴、右三つ巴、丸に左三つ巴、立ち角に左三つ巴、菱に右三つ巴、七宝に左三つ巴 【C】六角に右三つ巴、平折敷に右三つ巴、白餅に右三つ巴、左三つ巴 (逆位置)、三つ盛に左三つ巴、丸三つ盛に左三つ巴、七曜巴、丸に七曜巴、九曜巴(回転)、丸に九曜巴(回転)、九曜巴(無回転)、丸に九曜巴(無回転)、丸に左三つ巴に一文字、三つ盛に右三つ巴、 【D】左一つ巴、丸に左一つ巴、陰輪に左一つ巴、藤輪に左一つ巴、角に左一つ巴、菱に左一つ巴、井桁に左一つ巴、六角に左一つ巴、鞠挟に左一つ巴、折敷に左一つ巴、折敷鉄砲に左一つ巴、右一つ巴、丸に右一つ巴、井桁に右一つ巴、五瓜に右一つ巴、鞠挟に右一つ巴 【E】折敷に右一つ巴、左二つ巴、丸に左二つ巴、藤輪に左二つ巴、片藤輪に左二つ巴、繋ぎ藤輪に左二つ巴、丸角に左二つ巴、井桁に左二つ巴、五瓜に左二つ巴、折敷に左二つ巴、菊輪に左二つ巴、山形に左二つ巴、右二つ巴、丸に右二つ巴、外雪輪に右二つ巴、井桁に右二つ巴 【F】松葉菱に右二つ巴、細輪鞠挟に右二つ巴、抱き巴、丸に抱き巴、右五つ巴、丸に右五つ巴、丸に変わり右五つ巴、丸に変わり右六つ巴、左変わり八つ巴、左鞠巴、丸に左鞠巴、右鞠巴、丸に右鞠巴、抜け巴、三つ盛一つ巴 ━━━━━━ 【神紋+寺紋】※家紋としての使用実績が未確認の巴紋あり → https://kamon.booth.pm/items/5612902
サイズ1000px×1000px (余白あり) モノクロの透明背景。拡張子AI (ベクター線 CS2)、PNG (簡単そのまま使える)、PSD (ベクター線) の3種類。※1つのZIPフォルダに一点ずつ個別のデータファイルがあります。
三つ巴には、左回りに尾が弧を描いて伸びる「左三つ巴」と右回りの「右三つ巴」の二種類ある。 三つ巴を家紋として初めて採用した上流公家の西園寺家が右回りの巴紋を使用している。特権階級の紋をそのまま使用するのを避ける意図から、現在「左三つ巴」が一般的に家紋や社寺の紋として広まったと推測される。特権階級の紋をそのまま使用することを避ける流れは巴紋のほかに菊紋や桐紋、公家や大名由来の家紋など多数。 《図柄が確かな日本最古の家紋》現在に至るまで家の存続が確認でき、紋様の形状がはっきりしてる中で日本最古の家紋が公家西園寺家の巴紋である。尊卑文脈によると藤原実季が牛車に巴紋を使用したと記述がある。現在でも公爵西園寺家含む公家西園寺流の家々が使用し続けている。大陸方面や琉球でも巴紋と同類の紋様が使われている。家紋としての使用実績が公文書に残っている中で日本最古の家紋は膳臣一族の柏紋である。しかし家も紋様も定かな西園寺家の巴紋とは違い、膳臣一族の柏紋がどのような紋様かは不明。 【左三つ巴】使用家、琉球王尚家、大名板倉家(替紋)、伊勢菰野藩土方家 ■ 琉球王一族の尚家の家紋、沖縄紋である。 ■ 伊勢菰野藩主の土方家(三重県菰野町)、備中庭瀬藩主の板倉家(岡山市)の定紋。岩代福島藩主の板倉家(福島市)の替紋。 【三つ巴(琉球王尚家分家紋)】使用家、琉球王尚家分家 ■ 琉球王尚家分家の家紋、沖縄紋の一種である。 【九曜巴(回転)】使用家 備中松山・岩代福島板倉家 【九曜巴(無回転)】使用家 上野安中・備中松山・岩代福島板倉家 ■ 板倉家は、同じ三河の出である德川将軍家と密接な関係にあり江戸時代には譜代大名として古今を通じて交流がある一族。備中松山、上野安中、岩代福島の各藩主の一族が九曜紋を使用している。美術品や遺構より確認済み。 各家々に残されている美術品や遺構には「九曜巴」のほかに「左三つ巴」が描かれたものもある。ドラマ時代劇で有名な名奉行「大岡越前」の上司が板倉勝重に当たる。ドラマで描かれている業績の大半は実のところ板倉勝重のものであった。 【左鞠巴】 「流れ巴」「なめくじ巴」という異名があるが『鞠巴』の名称がメジャーである。家紋として使用実績が確認されている一般的な図。 神田神社の神紋として左鞠巴と共に通常の左三つ巴が使われている。東京の神田中東部から日本橋北部にかけての土地神・氏神である。神道の氏子区域には遥拝(遠方からの祈り)にとって、飛び地の氏子区域が設定可能であり、元神田多町にあった神田青物市場(大田市場)と元日本橋室町にあった日本橋魚市場(豊洲市場)が神田神社氏子区域飛び地の扱いとなっている。ご家庭は部屋に建てた神棚に年に一度、神札等の授与品を入れ替えることで神様も宿り続ける信仰である。 平成時代まで築地の中でも中央卸売市場内に限り神田の氏子であったが、豊洲に移転したことで元々の築地・浜離宮庭園 (旧築地6丁目) の氏神の波除神社の氏子区域に復帰した。 【カナダに渡った日本の家紋】 「丸に六つ巴車」、カナダ政府が日系カナダ人の二世のデビッド・ヒロシ・坪内 に与えられた紋章の図案の一部に組み込まれたもので、坪内家の元々の家紋であったとされている。州議会に 選出された最初の日系カナダ人であり国に貢献した功績から紋章が与えられた。