日本橋紋 (にほんばし) ※日本の実用和紋 ZIP (AI, PNG, PSD) Nihonbashi emblem
- A 11点 店章装飾紋ダウンロード商品¥ 800
- B 14点 校章 小学 日本橋編ダウンロード商品¥ 3,000
- C 10点 校章 中学 日本橋編 / 小学 京橋編ダウンロード商品¥ 800
- D 16点 校章 小学 神田麴町編ダウンロード商品¥ 3,000
- E 6点 町火消江戸文字 日本橋編ダウンロード商品¥ 800
- F 16点 町火消江戸文字 城北編ダウンロード商品¥ 800
- G 16点 町火消江戸文字 城西編ダウンロード商品¥ 800
- H 10点 町火消江戸文字 城南編ダウンロード商品¥ 800
- I 16点 町火消江戸文字 城東編ダウンロード商品¥ 800
- J 1点 リクエスト素材ダウンロード商品¥ 300


















【A】 【B】 【C】 【D】 【E】 【F】【G】【H】【I】【J】 【A】【上段:耕書堂店章より】山形に鬼蔦〈蔦紋〉、山形に陰鬼蔦〈蔦紋〉、山形に陰蔦〈蔦紋〉【中段:水天宮前駅より】 鍵筒〈鍵紋〉、大鋸〈鋸紋〉、丸に鋏〈鋏紋〉【下段:漢数字】漢数字四〈字紋〉、漢数字〇〈字紋〉 【B】校章 久松小(塗紋)、久松小(陰紋)、常盤小(正式 松葉)、常盤小(略式 字のみ)、阪本小、日本橋小、有馬小、城東小、日本橋千代田小、日本橋城東小、浜町小、箱崎小、十思小、東華小 【C】校章 日本橋中、浜町中、有馬中、旧日本橋中、久松中、紅葉山中、宝田小、南槇町小、昭和小(A)、昭和小(B) 【D】校章 千代田小、和泉小、麴町小、旧麴町小、千桜小(A)、千桜小(B)、神田小、神龍小、今川小(初代)、今川小(二代A)、今川小(二代B)、橋本小、佐久間小、旧和泉小、永田町小(初代)、永田町小(二代) 【E】町火消江戸文字 い、ろ、は、に、百、千組 ※朱色と黒色の二色素材 【F】町火消江戸文字 ほ、わ、か、よ、た、れ、そ、つ、ゐ、の、お、く、や、ま、け、ふ組 ※朱色と黒色の二色素材 【G】町火消江戸文字 組 ※朱色と黒色の二色素材 【H】町火消江戸文字 組 ※朱色と黒色の二色素材 【I】リクエスト素材 ━━━━━━ ※家紋使用実績ありの家紋はこちら 【扇紋】→ https://kamon.booth.pm/items/4184318 【鍵紋】→ https://kamon.booth.pm/items/4184828 【字紋】→ https://kamon.booth.pm/items/4234355
※家紋としての使用実績は未確認の紋様。施設の装飾に使われている紋です。 サイズ1000px×1000px (余白あり) モノクロの透明背景。拡張子AI (CC ベクター線)、PNG (簡単そのまま使える)、PSD (CC ベクター線) の3種類。※1つのZIPフォルダに一点ずつ個別のデータファイルがあります。 ※サムネイルでは盗用防止の為素材を75%透過で、薄くなっています。
日本橋の生活に根付く和紋の紹介。 同じ紋でも、用途が定まっていない紋を『和紋』と表記。一族一家の紋として使用が確認されている紋に限り『家紋』と統一表記する。したがって、本頁の紋はすべて和紋であり、店章や装飾紋であっても家紋にあらず。 ━━━━━━ 耕書堂 蔦屋重三郎関連 〈店章〉 以下、耕書堂の店章は主に3種類確認されている。 ・山形に鬼蔦「世諺口紺屋雛形 3巻」寛政11年 (1799年) より ・山形に陰鬼蔦「画本東都遊 3巻」享和2年 (1802年) より ・山形に陰蔦「花之笑七福参詣」寛政5年 (1793年) より 令和7年 NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」は蔦屋重三郎 (本名 喜多川柯理) の物語。 江戸期に日本橋大伝馬町 (旧 日本橋通油町) に耕書堂という地本問屋を構えていた。店章は蔦紋。 余談にはなるが町名表記に関して、耕書堂の所在地は出版物によって表記が異なる。 通油町南側中程「絵本江戸桜」寛政年間 常磐橋御門ヨリ本町筋下八町目通油町「泉貨分量考」寛政6年 (1794年) 江戸通油町南側「美人合自筆鏡」天明4年 (1784年) 江戸本町筋通油町南側「狂歌初心抄」寛政2年 (1790年) 御江戸通油町「千代の秋勝川春潮」不明 御江戸本町筋北エ八町目通油町「潮干のつと」寛政年間 御江戸常磐橋御門本町筋北エ八町目通油町「武将略伝」寛政2年 (1790年) 東都本町筋北エ八町目通油町「古今狂歌袋」天明7年 (1787年) ━━━━━━ 〈紋の駅〉 地下鉄 駅ホームデザイン関連。東京都内の3駅を紹介。 【職業紋|水天宮前駅】東京地下鉄半蔵門線 水天宮前駅 駅のホームに東京日本橋、下町職人の街をイメージして「扇」「鍵桐」「鍵筒」「丸に鋏」「大鋸」5点が散りばめられている。その中で家紋として実用が確認されている紋は、扇と鍵桐のみである。 【扇紋】※家紋として使用実績あり → https://kamon.booth.pm/items/4184318 【鍵紋】※家紋として使用実績あり → https://kamon.booth.pm/items/4184828 水天宮前駅の出口上空には、“日本の渋滞は箱崎町に通づる”で有名な箱崎ジャンクションがあり、古今日本橋地域が交通の要所であることが伺えます。しかしその箱崎ジャンクションは構造上の欠陥があり、現在計画されている高速道路がすべて開通したとしても渋滞がなくならない場所だと言われています。 【芸能紋|田原町駅】東京地下鉄銀座線 田原町駅 駅のホームに歌舞伎一門の芸能紋がデザインされており、かつては、同じく銀座線の改修前の浅草駅のホームにも芸能紋がデザインされていた時期がある。歌舞伎の家の中には芸能紋と実際の家の紋は必ずしも同じではない。瀧乃屋市川家の家紋は芸能紋と同じ「四つ紅葉」である。 【大名家紋|新御徒町駅】つくばエクスプレス 新御徒町駅 駅のホームに現在の駅所在地周辺に屋敷を置いた大名家の家紋が掲げられている。しかし残念なことに江戸の古地図を参考にしたのだろうか、以下のような家紋の正確さにかける図柄を採用している。 1. 烏山藩主大久保家の家紋を誤って別の大久保家の家紋を使用。 2. 対馬藩主宗家は五七桐が正解だが誤って五三桐を使用。 3. 柳澤家の定紋は1つ花菱の方だが、(誤りではないが)あえてマイナーな紋を使用。 ━━━━━━ 〈校章〉 こちらはすべて史実に基づき編纂した資料および実物から作成した紋章。校旗、かつての校舎に飾られていたもの、制服の金属装飾ボタンなどから採取し作成した。校章校歌は郷土史、日本橋の歴史を知る鍵である。よって校章は文様として完成度の高さと正確さが求められる。 【桜紋校章】日本橋に存在した桜紋を校章とした学校は全て廃校。浜町小、箱崎小、東華小である。日本橋と桜紋はどうも相性がよくない土地柄であることが数多の統廃合から分かる。 【月桂樹紋校章】月桂樹校章を採用した2校、十思小と有馬小の繋がりについて。十思小は火災により校舎を失った後の受け入れ先として有馬小が選ばれた。一時期は廃校となり有馬小分校扱いとして復校、後に独立。すなわち十思小と有馬小は月桂樹紋の校章の小学校同士、系譜のつながりが確認されている。 【松紋校章】松紋を使う常盤小と久松小とも繋がりがある。令和期に増改築で使用不能となった久松幼稚園が、休園中で使用されていない常盤幼稚園の場所選ばれ、仮園舎として使用している。久松小の戦前の初代校歌には「常盤なる久松の」の一節が入る。 〈学校一覧〉 【久松小学校校章】「六つ旭日に六つ松に久松字」。物品と印刷物で校章使い分けることが多い。印刷物には太線でくり抜くように表現された陰紋を使うことが多いが、塗り紋で統一された年代もある為、塗り紋か陰紋を用いるかは担当者により異なる。校章が表す様に同じく旭日紋を使用する警察署に隣接した学校。戦後すぐに千代田小を吸収合併。戦後は千代田小に代わり日本橋および現代の中央区で皇室を招く任を担っている。久松小は千代田小を取り込んだことにより、千代田区千代田小と和泉小と系譜上の兄弟校である。 【常盤小学校校章】「抱き若松に飾り紐に常盤字」が正式な校章。和紋や家紋の分野で「若松」に区分される松の文様を採用している。この略さずの正式な校章は校旗や下駄箱などの比較的大きな備品に採用される。細かな松葉の線の本数を相当数減らす対応をとった校章を用いた物品が実在する。帽子等の小さめの備品には、松葉の細かな紋章が潰れて再現しづらい媒体に対して(校名のみの)「略式校章」が多用された珍しい例である。近代開校の校章に見られるリボン(和名 飾り紐)は、当日の流行りの表現。都心では有馬小や神田小で校章に採用された。校旗および校章入り卒業生寄贈品より作成。 【阪本小学校校章】「五三桐に阪本字」。日本橋官立の第一大学区第一中学区第一番学校であることから、日本を先導するという意味を込めて、国家を象徴する桐紋を校章に用いる。玄関前の金属の校章は、東西に平成通り沿いと中央警察署前の通りにそれぞれ掲げられている。しかしほぼ同時期に作成された校章の出来が微妙に異なり、桐紋の違う表情が楽しめる。更に旧校舎時代の青銅の校章とも形状が違う。特に「阪」の字は各媒体によって微妙に異なる。戦後に同じ日本橋の日本橋城東小学校を吸収合併する予定であったが、別の文化を持つ京橋地域内の小学校と合併が決まり破談となる。新旧玄関入口前の校章より作成。 【日本橋小学校校章】「躑躅に日小字」。ツツジは中央区花。校章にツツジを用いて中央区内最大の設備が整った学校舎であることを表した。古来日本にツツジの文様は存在しない為、校章用に創作された紋である。本来は生徒数減少が著しい十思小と東華小と常盤小3校により新設される小学校であったが、常盤小を除く2校の合併に留まる。 【有馬小学校校章】「抱き月桂樹に飾り紐に有馬字」。玄関前および体育館の上部に掲げられる金属の校章は同紋だが、校旗に描かれた紋章だけは形状が異なる。金属の校章は葉が丸みを帯びており左右には開花した花がある。校旗に刺繍された校章は葉が鋭利で左右の房はつぼみの状態。そして歴代の学校誌や公式サイトに使われる校章は、絵心があるとは思えない位に不出来な校章が描かれることが多い(葉の形状がガタガタで左右非対称な様)。つまり有馬小として精度が高い校章を仕上げてこなかったツケが現代まで続いている。渋滞の要所として知られる首都高箱崎ジャンクションを目の前に望む校舎で、戦前後に浜町小と箱崎小をそれぞれ吸収合併。金属校章や校旗の実物、校章入りの周年記念品の物品の中から文様として出来が良いものを吟味し作成。 【城東小学校校章】「八つ人車に城東字」。校章で所在地の八重洲の八を表した。同じ紋様で円状に囲む文様を「○○車」と言う。京橋地域に所在する学校だが、旧来の日本橋城東小の学区を継承しており、京橋と日本橋両地域の異なる文化を持つ生徒が交わる学校である。日本橋のマスコットのときわんが番犬であることからも日本橋地域の学校であることを表している。城東小メモリアルルーム収蔵品より確認。 【千代田小学校校章】「十六菱菊に千代田字」。戦後、久松小学校に吸収合併。学校舎でありながら皇室を招く為の設備が整った学校で、日本橋の迎賓館のような側面があった。戦前でありながら暖房完備、風光明媚な隅田川を望める綺麗な石材をあしらった「白亜の学び舎」と称えられた校舎であった。東日本橋(矢ノ倉町)以前の千代田小は区境付近の馬喰町に所在しており、日本橋区と神田区の両区にまたがる学区であった。通学路に都電が開通したことで通学による危険度が増したため東日本橋に移転。同時に区毎に学区が分割された。神田区側の学区は桜池小(おうち)との合併で開校した千桜小で現在の千代田区千代田小に受け継がれた。千代田小の学区を分かち合い後に吸収合併した久松小と千代田区千代田小。そして千桜小学校分校を合併した現在の和泉小の計3校が千代田小由来の兄弟校である。 【日本橋城東小学校校章】「変わり城字」。常盤小のようなやむなく略式での文字のみの使用とは異なり、日本橋城東小の校章は文字単体が正式な校章であり希少であった。デザイン性が高くモダンな「城」の字は評判が高かったと学区内の町会誌に記述された。戦後当初は同じ日本橋地域内の阪本小に吸収合併が計画されたが破断。皮肉にも文化が異なる旧京橋区(中央区南半分)京橋地域の昭和小学校と地域を越えた合併を行い対等合併の為廃校し、城東小学校が新設開校した。合併後の城東小メモリアルルーム収蔵品より確認。 【浜町小学校校章】「山桜に浜町字」。箱崎小学校の後を追う形で有馬小に吸収合併された学校。廃校後の昭和期に中央区教育委員会発行の小学校欄に載る校章は事実無根の偽りであり、箱崎小の桜紋を複写した瓜二つの横着したデザインの偽校章が載る。現存する学校誌や校舎跡建つ記念碑に正しい校章が残っている。浜町小の説明には、小学校校歌と共に地域に愛された「浜町音頭」が欠かせない。東京都内の「〇〇音頭」のはしりであり、同じ浜町音頭でも時代に合わせて数多作られた。 【箱崎小学校校章】「山桜に箱崎字」。現在は有馬小に吸収合併されて廃校となる。箱崎小と十思小は廃校となったことで、生徒数の増減による取り壊しを免れ、戦前以前の石材を用いた美麗な校舎が残る。旧千代田小(日本橋中)、久松小、阪本小の復興小学校舎は建て直しとなった。 【十思小学校校章】「実つき抱き月桂樹に十思字」。東華小と共に廃校となり日本橋小学校が新設開校した。月桂樹の校章を使う十思小と有馬小だが、月桂樹の表現に違いがある。有馬小の和紋を連想する葉形と異なり、肉厚な月桂樹の葉と分かるように形状をなぞった十思小の月桂樹は文様学から見ても美麗であった。学校跡は現在の十思スクエア。年越しや盆の時期にお馴染み、石町の時の鐘の十思公園が隣接する。校名の読みは「じっし」。廃校の年月とともに誤って“じゅっし”と呼ぶ日本橋住民(室町在住)や卒業生(北区西ヶ原在住)すら間違えて記憶する有様。日本橋の郷土愛に欠く者が多い。 【東華小学校校章】「山桜に東字」。十思小と共に廃校となり日本橋小学校が新設開校した。現存する学校誌より作成。東華(とうか)の名は稲荷堀(とうかんぼり)から転じて校名採用。 【日本橋中学校校章】「違い銀杏に中字」。校章は大仕事で、開校時の在校生からの公募から在職の美術教師の手で調えられて完成された。学校前の通りの御幸通りに植えられた街路樹である点と、東京大学の校章に起用されており学舎を連想しやすい点から、銀杏を校章として採用。一部噂にあった「銀杏の葉が切れた形で数字の2と見立てて✕2枚が重なり4で旧第四中を表したというのは違う。偶然。」と校章作成に携わった女性美術教師から証言を得る。日本橋中学校の所在地は、第四中であり久松中であり千代田小でもある。江戸期は薬研堀の一部であった。千代田小および久松中時代の校舎を初代と数えると、第四中および平成期は2代目東日本橋校舎。令和に新造される日本橋中学校舎は3代目東日本橋校舎となる。 【浜町中学校校章】「帆に中字」。古来の日本橋浜町は江戸湊の浜辺で海の街。船の帆から五太洋に臨む大きな心を表す。浜町小跡の居抜きとして所在した。有馬中と合流し旧日本橋中が新設開校となった。学校誌より校旗の存在が確認できたが、継承した日本橋中に現存しているかは不明。 【有馬中学校校章】「上り菊に中字」。校章の菊紋は菊の中でも白菊と断言されている (学校沿革概要より)。「白菊」は戦後制度化された際に開校した中学校の校章に見られる。都心の中学では、有馬中学校と麴町中学校の校章は白菊である。有馬小の南側を間借りする形で開校。浜町中と合流し旧日本橋中が新設開校となった。後継の旧日本橋中にも校章の一部に八花の菊紋が使われているが、有馬中の様に特段どの菊かは決められていない。 【旧日本橋中学校校章】「抱き榎に八菊に飾り紐に中字」。架橋の日本橋の銅彫刻に彫られた榎を校章に採用。八菊と飾り紐(リボン)もある。日本橋地域を代表したいという意味が込められた校章であったが、最大の生徒数は久松中であり、架橋の日本橋がある区域を学区は紅葉川中であったため、旧日本橋中の校章は空論の物であった。その想いは全日本橋を学区とする次の代の第四中こと日本橋中に持ち越しとなる。現存する学校誌および校章入りボタンから作成。廃校後、昭和期に中央区教育委員会が発行した教育史の中学校欄に、存続時には確認されていない不出来な校章が描かれ、中程左右にある八つ菊が歪な形に描かれた。 【久松中学校校章】「三つ松葉に中字」。三つ松葉には、久松小と十思小と東華小の3校の生徒が進学し交わることを表した校章。久松中、紅葉川中、旧日本橋中と対等合併扱いで廃校となり、新設第四中こと日本橋中が始まる。現存する学校誌から作成。 【紅葉川中学校校章】「紅葉に中字」。日本橋南詰に流れていた紅葉川をそのまま校名とした。廃校後、昭和期に中央区教育委員会が発行した教育史の中学校欄に、存続時には確認されていない不出来な校章が描かれた。日本橋室町在住で紅葉川中出身の方から「痩せ細ったデザインじゃない、もっとふっくらした紅葉」と証言を得る。現存する学校誌や校章バッジの実物、卒業生の証言から確認済み。 (日本橋外の京橋および神田、麴町地域の校章は説明割愛) ━━━━━━ 町火消江戸文字 半纏 【い組】日本橋北詰周辺と南詰日本橋一丁目の一部が範囲。 【は組】神田祭先頭の大伝馬町、男色の街芳町(人形町)、水運で特段の富を得た小舟町 【に組】奥州街道の江戸の入口の日本橋両国(東日本橋)と周辺の問屋街エリア(久松町や浜町含む)、神田地域 【ろ組】日本橋南詰の呉服橋、日本橋二三丁目、江戸橋 【百組】現在の金融街の兜町、茅場町、京橋地域 【千組】江戸三大祭り深川祭りの富岡八幡宮氏子の箱崎町、京橋地域 (日本橋外の京橋および神田、麴町地域の説明は割愛) ━━━━━━ 家紋の豆知識 〈紋から家紋と呼ばれるまでの工程〉 『紋』または『和紋』を衣服や建造物、婚礼品、一族の遺構に紋を装飾して初めて“家紋”と呼びます。家族の中でいち個人に限定して使用する紋を家紋とは呼はず、個人の都合で家紋は変更できない。 同じ紋でも用途によって名称が変化する。 ・「家紋」一族を示す紋。紋付衣装、紋付瓦、墓石、額飾り等。 ・「一族紋」各自の家紋とは別に一族全体を指し示す紋。 ・「当主紋」世帯主のみ使用を許された紋。 ・「女紋」女子のみ使用を許された紋。または女系伝来の紋。 ・「お印」個人を現す紋。皇室や大名家、豪商家などで見られた。 ・「合印」一族共通の家紋とは別に一つの家を判別する略式の紋。 ・「旗印」争事で使用した紋。家紋と別に旗印専用の紋を持つ家もあり。 ・「定紋、表紋」家紋を複数有する中で主要な紋。 ・「替紋、裏紋」家紋を複数有する中で副次的な紋。 ・「神紋、社紋」宗教施設、神社の紋。 ・「寺紋、山紋、宗紋」寺院や宗派の紋。 ・「社章、店章」屋号や会社のコーポレートロゴ。 ・「校章」学校の紋。 ・「徽章(きしょう)」紋、ロゴマークの付いたバッジ、物品を差す。 〈家紋と似て非なる紋〉 デザイナーの中には、家紋のデザインをかじり「オリジナルの家紋を創作した」と説明するクリエイターが大変多いが、そもそも家紋として使われたことを確認または返答を貰うまでは“紋”または“和紋”と呼びます。 同じ魚を扱う料理人でも、西洋料理と和食でそれぞれの職人がいるように、数十年の実務経験がある一流のパッケージ・ロゴデザイナーであっても、家紋の知識に関しては素人です。家紋特有の紋様の丸みや線の曲がり具合は、商業デザインにはない特徴で西洋の紋章とも異なります。万が一新たに家紋の創作を依頼する場合は、地元の紋章上絵師に依頼、または高度な知識を有した研究者に助言を貰うことが必須。 〈家紋を新設する行為は極力避ける〉 家紋とは“自らと関わりが強ければ強いほど”価値があります。家紋が分からない場合は、戸籍を辿り本家筋に確認をとるのが一番です。一度もお会いしたことがない遠縁であっても気にすることはありません。多忙ではない時期や改めて再度訪れるとよいでしょう。名字が異なる家の家紋を採用する場合、名字を継いでいない親元の家、名字違いのいとこ、はとこの家でも問題ありません。親密な関係を築いている名字違いの親戚であっても一度許可を得ることが大事です。家として家紋がなく、氏子の神社の神紋や菩提寺の寺紋を参考に紋を授かる選択もあります。家紋を新たに創造するのはこの工程を踏んだ後です。 〈家紋新設|神紋や寺紋を参考にする場合〉 上記で述べたように、自らと関わりが強ければ強いほど価値があると説明しました。古くから土地と結びつきが強い氏子の神社や菩提寺の紋を参考に家紋として取り入れることはいいことです。しかし注意すべき点が一つ。神紋・寺紋が古い権力者と同じ家紋の場合は、同じ紋の種類の中から大衆向けの紋に変えて使用する配慮が非常に大事です。皇室の菊紋・五七桐紋や公家・大名家の家紋をそのまま使用していしまう行為は大変無礼で世間知らずであると見られてしまいます。例を挙げると十六菊の場合は、花の数を減らして十二菊や八菊。公家に多い牡丹や藤紋の場合は大衆向けのシンプルな紋を採用します。“自らと関わりが強い場所で権力者にも配慮した経緯”を他人に遠慮なく話すことができます。 〈家紋新設|合体紋は厳禁NG〉 昨今、夫婦2つのルーツの紋の要素を盛り込んだ合体紋なるものが存在するが、避けるべき行為です。理由は家紋から家を辿ることが困難になる為。親が合体紋を思いつく家の子供は、そのDNAから親と同じことを思いつく可能性が他の人よりも高く、次世代では別の家と合体紋を造ります。さらに末裔の時代にも合体紋を造ります。そうなってしまうと元々の先祖を辿れなくなり、“あなたはどこの一族の人”なのか?判別できなくなります。婚姻で父系母系の名字を合体した新たな名字を作れないことと同じで、必ず父方か母方、養子先いずれか3種の名字の内のひとつです。家紋に余程のこだわりがある家々の婚姻で一つ選べない場合は、定紋や替紋として複数有する。または家紋を左右に併記する手もある。

















