失われた「文学」を求めて|文芸時評編
- ¥ 2,700
【内容紹介】 日本の文芸シーンは現在、まごうことなく沈滞している。だがその沈滞は、小説家が書くべきことを失ったからではない。書くべきことがありながら、そこから目を背けているか、書きうる技能あるいは勇気が欠如しているからだ――。 政治を語る言葉を失った日本の小説、震災後文学が崩壊した「美しい顔」盗用問題、ポストモダン文学から「ド文学」への退行、新自由主義による〈鬱〉からの〈恢復〉、「新潮45」休刊事件、中国SFの台頭、そしてコロナの時代の文学とは……。批評なき時代に「文学」の未来は存在するのか? 取り上げた小説は50作品以上! 小説の「現在」と格闘し続けた45カ月! 2010年代を俯瞰し2020年代の潮流を先読みする最強の文芸時評かつ小説ガイド! 【著者プロフィール】 仲俣 暁生 (ナカマタ・アキオ) 評論家・編集者。1964年、東京生まれ。「シティロード」「ワイアード日本版」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、現在はフリーランス。著書に『ポスト・ムラカミの日本文学』(朝日出版社)、『極西文学論―Westway to the world』(晶文社)、『〈ことば〉の仕事』(原書房)、『再起動(リブート)せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、『失われた娯楽を求めて―極西マンガ論』(駒草出版)など、共編著に『「鍵のかかった部屋」をいかに解体するか』(バジリコ)、『グラビア美少女の時代』(集英社新書)、『ブックビジネス2.0―ウェブ時代の新しい本の生態系』(実業之日本社)、『編集進化論―editするのは誰か?』(フィルムアート社)など。 ◉発売日:2020年10月6日 ◉ブックデザイン:ミルキィ・イソベ(ステュディオ・パラボリカ) ◉造本:四六判・並製・344頁 ◉ISBN978-4-908624-10-0 C0095 【目次】 ■はじめに:文学(へ)のリハビリテーション ■文芸時評――失われた「文学」を求めて ▼政治を語る言葉を失った日本の小説 村田沙耶香『コンビニ人間』 崔実『ジニのパズル』 ▼単なる政権批判や反原発小説ではなく 黒川創『岩場の上から』 ▼「ゾンビ」ではなく「武者」を! 古川日出男:訳『平家物語』 羽田圭介『コンテクスト・オブ・ザ・デッド』 ▼孤軍奮闘で書き継いだ「新しい政治小説」 星野智幸『星野智幸コレクション』全四巻 ▼「読む人」「書く人」「作る人」のトライアングル 長谷川郁夫『編集者 漱石』 渡部直己『日本批評大全』 ▼現代におけるフォークロア 村上春樹『騎士団長殺し』 ▼ポストモダンの行き止まりとしての「ド文学」 又吉直樹『劇場』 ▼「中核市のリアリズム」が出会った王朝物語 佐藤正午『月の満ち欠け』 ▼日本を迂回して世界文学へ 東山彰良『僕が殺した人と僕を殺した人』 ▼「震災後」の現代文学の見取り図 限界研:編『東日本大震災後文学論』 「文藝」二〇一七年・秋季号 ▼自分自身の場所を確保せよ レベッカ・ソルニット『ウォークス――歩くことの精神史』 ▼迎撃に失敗した昭和・平成の男たち 橋本治『草薙の剣』 ▼現代文学の次の「特異点」とは? 上田岳弘『キュー』 ▼「パラフィクション」と「ハード純文学」の間に 佐々木敦『筒井康隆入門』 小谷野敦『純文学とは何か』 ▼プロテスタンティズムの精神 松家仁之『光の犬』 ▼ポストモダニストの「偽装転向宣言」か? いとうせいこう『小説禁止令に賛同する』 ▼行き場を失った者たちが語る絶望の物語 星野智幸『焰』 ▼文芸が存在するかぎり終わることはない戦い 古川日出男『ミライミライ』 ▼現代中国のスペキュレイティブ・フィクション ケン・リュウ:編『折りたたみ北京――現代中国SFアンソロジー』 ▼不可視の難民たちと連帯するために カロリン・エムケ『憎しみに抗って──不純なものへの賛歌』 多和田葉子『地球にちりばめられて』 ▼小説にとっての勇気とフェアネス 古谷田奈月『無限の玄』 ▼「震災(後)文学」という枠組みの崩壊 北条裕子『美しい顔』 ▼批評が成り立つ場としての「うたげ」 三浦雅士『孤独の発明――または言語の政治学』 ▼マンガによる「漫画世代」への鎮魂 山本直樹『レッド 1969~1972』 ▼「政治と文学」はいま、いかに語りうるか 赤坂真理『箱の中の天皇』 ▼「想像力」よりも「小説的思考力」を 「新潮」二〇一八年一二月号・特集「差別と想像力」 ▼ポスト冷戦時代に育った世代の想像力 ミロスラフ・ペンコフ『西欧の東』 ▼韓国にとっての「戦後」 ハン・ガン『すべての、白いものたちの』 ▼批評家が実作に手を染める時代とは 陣野俊史『泥海』 ▼新自由主義からの生還と再起 マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム──「この道しかない」のか?』 絲山秋子『夢も見ずに眠った。』 ▼元号や天皇(制)の無意味を語るために 「文藝」二〇一九年夏季号 古谷田奈月『神前酔狂宴』 ▼「改元の後、改元の前」に芥川の幽霊が語ること デイヴィッド・ピース『Xと云う患者――龍之介幻想』 ▼空疎な「日本語文学」論から遠く離れて リービ英雄『バイリンガル・エキサイトメント』 ▼中国大河SFは人類滅亡と革命の夢を見る 劉慈欣『三体』 ▼没後二〇年、「妖刀」は甦ったか? 平山周吉『江藤淳は甦える』 ▼神町トリロジーの「意外」ではない結末 阿部和重『Orga(ni)sm』 ▼タブーなき世界に「愛」は可能か ミシェル・ウエルベック『セロトニン』 ▼森の「林冠」は人類の精神をも解放する リチャード・パワーズ『オーバーストーリー』 ▼寡作な天才SF作家、一七年ぶりの新作 テッド・チャン『息吹』 ▼受け手のないところに打たれたノックを拾う 加藤典洋『大きな字で書くこと』 ▼友の魂に呼びかける言葉 崔実『pray human』 ▼「当事者研究」が投げかける問い 長島有里枝『「僕ら」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ』 ▼政治と文学の乖離を示すシミュレーション小説 李龍徳『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』 ▼「コロナ後文学」はまだ早い パオロ・ジョルダーノ『コロナの時代の僕ら』 テジュ・コール『苦悩の街』 ▼国を失ったHirukoたちが〈産み〉だすもの 多和田葉子『星に仄めかされて』