Lebensreise
- 600 JPY
サイズ:A5、68ページ 内容:銀河英雄伝説に舞台を借りた二次創作小説。 短編四編:他サークルさんへ寄稿したものと書き下ろしの小品四編を再録しています。 登場人物たちの生き死には、その時々の作品の設定により、原作通りであったり、なぜかそうでなかったりとばらばらです。 ・ 『輝かしき日々』:ラインハルトとキルヒアイスが、10歳の「黄金の時」を過ごしていた時期、ラインハルトが屋根裏であるものを見つけてきて…… ・ 『デザートのご注文は?』:なぜかみんな健在のローエングラム王朝。皇帝ラインハルトの発案で帝国軍の領袖を集めての食事会が開かれるが…… ・ 『上着の行方』:拙作『落日の弔歌』の後日譚。 ・ 『軍隊の人的リソースに関する一考察』:「帝国軍ってのは受付にも野郎が座ってやがんだぜ」……オリビエ・ポプランの嘆きに対する回答。なぜ、帝国軍は前線に女性兵士を配備しなかった(できなかったのか)。 中編一編:『帝国暦75年の真実』。キルヒアイスがなぜガイエスブルグの惨劇で死ななければならなかったのか。彼を死なせた真実の犯人は誰かに焦点を当て、ドキュメンタリ風の語り口で『意外極まりない』真犯人……勿論、アンスバッハ以外の……を指摘します。
輝かしき日々
久々の休日は喧噪で明けた。 来る―――何が来るのかは分からなかったけれど、一五歳から戦場に身を置いてきた、軍人としての皮膚感覚が、熟睡に近い状態であってもキルヒアイスを即座に覚醒へと導いた……が、襲来までの間隔が短すぎた。覚醒から全身の筋肉が警報を受け取り、弛緩から緊張へ転移した直後、それが来た。 「―――…ぐぅっ!」 歴戦の帝国元帥ともあろうものが……などという感覚はすでにない。肺から空気をたたき出される衝撃を筋肉の力ではじき返し、キルヒアイスの両腕が反撃を開始する。目にもとまらぬ早さで宙を突き刺した両の腕が、くるりと回って襲撃者の首を巻き込む。思いっきりの力で引き寄せると同時に、ほとんど予備動作もなく跳ね上がった長身の両脇にそれを抱え込んだ。 「おはよう、悪戯坊主たち」 「おっ(グーテン・)早う(モルゲン)、父(ファー)さま(ター)!」 にぎやかな合唱が、笑いを含んだキルヒアイスの声に応じる。彼自身を三〇年近く若返らせた、有り体に言ってみればまだ幼児の顔が満面の笑顔で左右から彼を見上げていた。 「父(ファー)さま(ター)?」 寝室の戸口で控えめな声がする。こちらは彼の妻となった女性を、髪と瞳の色を除けばやはりそのまま五歳の姿に変えたような幼女が、ちょっと困ったような顔で立っていた。 子供たちはいつの間にか大きくなる。世の男親に共通の、それは錯覚かもしれなかった。女親にとって、子供たちは『苦労の末にやっと育て上げる』作品であって、播いた種がいつの間にか芽を出し、茎を伸ばし、葉を茂らせて勝手に育っていくようなものではない……らしい。彼自身を育てた二人の大人……すなわち父と母の、あまりにも食い違う子育てへの思い出が、彼にそんな感想を抱かせていた。 それでも、長女のクラリベルがすでに五歳の声を聞き、『キルヒアイス家のダブル(ドッペル)・(・)ジーク(ジーク)』もまた悪戯盛りの三歳になっているのだ、と思うとき、どうしても『いつの間にか大きくなった』と思いかけ、その都度、彼らをここまで育て上げた彼の伴侶を裏切ったような後ろめたさに襲われずにはいられない。 「おはようございます、父(ファー)さま(ター)」 「おはよう、クラリベル」 娘に向かってキルヒアイスは笑いかけ、ふと隣のベッドに視線を走らせる。予想通り、すでにアンネローゼの姿はなかった。 相変わらず、アンネローゼ(アンネローゼ・マイン・)さま(フラウ)は朝が早い。思い、ふたたび苦笑する。彼女をその名で呼ぶことにも慣れた今でも、時として彼女をアンネローゼ(アンネローゼ・マイン・)さま(フラウ)と呼んでいる自分に気づくことの少なくないキルヒアイスだった。 そう、アンネローゼは昔から朝が早かった。彼らが晴れて『夫婦』と呼ばれる立場を確保して後も、いやその前も……いや、初めて出会った時、彼が一〇歳、アンネローゼが一五歳だった、あの『輝かしき日々』ともいうべき半年のあのころから、彼女はミューゼル家、いやキルヒアイス家の誰よりも早く起きていて、彼に笑いかけてくれたのだ。『おはよう、ジーク……』と。 じたばたと暴れる悪童二人を軽々と抱えたまま起きあがり、クラリベルを連れてダイニングへ降りていくと、すでに朝食のテーブルでコーヒー・カップから湯気が立ち上っていた。 帝国元帥であり、帝国(デア・グロスヘルツォーク・)大公(ダス・インペリウムズ)の夫人ともあろうものがと、本人たちは『キルヒアイス元帥の腹心の部下』と思っている自称取り巻きたちが、いろいろと苦言を呈してくるが、キルヒアイスもアンネローゼも歯牙にもかけていなかった。手ずから一家の食事を用意し、子供たちのおやつの菓子を手作りするのは、アンネローゼにとって最大の楽しみであるらしかった。 「おはよう」 ダイニングに接した、帝国元帥邸のそれとは思えぬほどこぢんまりしたキッチンからアンネローゼが穏やかな微笑で夫と子供たちを迎えた。 「私が将来、何になると思いました?」 どんな弾みで、朝食での話題がそうなったのか、キルヒアイス自身にも不分明だった。彼ら自身の子供時代は基本的には食事時の話題にはしないのが、キルヒアイス家のみならず、皇帝一家の不文律のようなものだった。彼らの少年少女時代を話題に上せば、必然的に話題は、彼ら自身が最も触れたくないある一点へ収斂する。この時は、そう遠くない未来に皇太子としての地位を嗣ぐことになるだろう、アレクサンデル・ジークフリード皇子の話題がきっかけだったかも知れない。 「そうね」 アンネローゼはちょっと困ったようだった。細い金色の眉を僅かに寄せ、それから表情をゆるめる。 「そうね、昔のジークを見ていたら、学校の先生……かしら」 「両親にもそう言われましたし、ラインハルトさまからもよくそう言われましたよ」 ラインハルトの皮肉だったかも知れない。汚辱と堕落の限りを尽くした旧王朝の貴族どもの間にすら、賞賛すべき美しさを、賞賛すべき長所を見いだすキルヒアイスの寛容さへの。お前が学校の先生なら、ぐれる生徒はいなくなるだろうさ……と。無論、キルヒアイス自身は皮肉とはとらなかった。皮肉だったとしても、そうして彼を理解し、信じようとするラインハルトへの信頼は揺るがなかったのだ。 「わたしもそう思います……でも、ラインハルトさまは……そのやはり軍人になられた、と思いませんか?」 「そうね」 再びアンネローゼの繊細な容貌が微かな憂いに沈む。頷いて、彼女は夫(キルヒアイス)の言葉を肯定した。 「そうね……多分、あの子がどう育っても軍人以外にはなれなった……かも知れないわね。ええ、ただの軍人ではなくて……きっと皇帝になろうとしたでしょうね」 でも―――アンネローゼはゆるやかに髪を左右に揺らめかせた。あんなに他人に頭を下げるのが嫌いな子が並の軍人で終われるはずはないから。 「あなたがいなかったら、皇帝にはなれなかったと思います」 言い切り、それから彼女は木漏れ日のような微笑を浮かべて、クラリベルの金茶色の髪を撫でた。 「知っていて、ジーク? 『栴檀は双葉より芳し』って言葉」 「とんでもない人間は、子供の時からとんでもない」 言わんとするところを察して、キルヒアイスは笑った。ラインハルトさまは子供の時からラインハルトさまでしたから。 「そうよ。いつもそうだった。ラインハルトが突っ走って、あなたが止める。でも最後は二人で一緒になって一生懸命になって……。初めて会った時からずっとね……覚えている、ジーク? 」 アンネローゼが指さした先を追って、すっかり明るくなった窓外に視線を走らせたキルヒアイスの表情に苦笑が深くなった。 帝国元帥邸とは言え豪邸のそれとはほど遠い、さして広くもない庭の向こうの通りで愛犬を散歩させる人々の姿も遠くはない。彼の苦笑を深くさせたのは、黒っぽい毛並み、短いしっぽとしかつめらしい頬髭を蓄えた角張った顔つきの親子二頭連れらしい小型犬の姿だった。 記憶の底をまさぐり、その犬種の名を引き出そうとするが、政治と軍事の両面にめざましいほどの才を恵まれたこの赤毛の帝国元帥の頭脳も、犬種に関する知識までを蓄えておくには不足のようだった。 代わりに、唐突に脳裏に浮かび上がってきたのが、彼がまだジークフリード・キルヒアイス以外の何者でもなかったころの記憶だった。 「―――たしか、……と言ったかな?」 親子二頭連れの小型犬を連れて足早に歩く男性と、それを見送っている少年と少女。少年は一〇歳のキルヒアイスであり、少女はその隣家に越してきて半年になる、貧しい貴族の娘だった。
デザートのご注文は
「祭だぁ!」 雄叫びを上げたのはやはり『ビッテンフェルトあの人』である。 ――― 毎度同じパタンで恐縮です…。 「騒ぎは収まったことだし、後始末もそろそろ終わる。ここは祝いに一つぶわーっと行こうじゃないか」 毎度、ビッテンフェルトの強引な論理にあきれ果てる帝国首脳たちだったが、今回は違った。 帝国憲法の制定や、アレク皇太子の正式な立太子などなど、祝い事目白押しになるはずだった帝国暦一〇年が、ローエングラム王朝そのものが危うくなるような大反乱でてんやわんやの状態になった。秋も深くなってようやく後始末も一段落し、意に反して叛乱に巻き込まれた将兵には一時金と休暇が与えられたことで、晩秋の帝都は時ならぬホリデイ・シーズンを迎えていた。 そして、一般将兵はそうやって時ならぬ休暇をエンジョイしていたとしても、高級士官たちはそうそうは休めないのも事実。 とは言え、『刻苦精励、奮励努力、二四時間戦えます、ジーク・カイザー皇帝万歳』が信条の帝国軍首脳にしても、全身が冷や汗でいっぱいになるような内乱の後である。 「だから祭だ。ちょっとは羽目を外さねば、肩が凝ってたまらん」 と叫ぶオレンジ色の髪の猛将に、誰も正面から異を唱えなかったとしてもまったく不思議ではない。 では、誰が皇帝ラインハルトに上申するのかといつものようにもめている彼らに、今回ばかりは珍しい助け船が出た。 「諸卿のご希望は、わたしが皇帝陛下に申し上げてみましょう。もとより皇帝陛下は、今回の内乱での諸卿のお骨折りを何よりよし誼み給うところですから、ささやかな報酬として何かのイベントを催すことに反対はなさりますまい」 国務尚書マリーンドルフ伯自身が、“内乱で最も骨を折った”文官の一人だったことも事実だったから、その上申はあっさりラインハルトの裁可するところとなった。 「いいだろう。皆の骨折りには何らかの慰労が必要だと思っていたところだ。一日や二日、羽目を外したところで、予の治世の隙とそし誹られることにはなるまい。期日、内容は適任者を選び、実行委員会を作って任せよ。名誉実行委員長には…そうだな、ビッテンフェルトがよかろう」 かくして、帝都を挙げた、夏祭ならぬ『秋祭り(ヘルブストフェスト)』の開催が決定された。 ☆☆☆ 「早食い競争……だと?」 統帥本部総長は激務である。 上司として帝国宰相、そして皇帝がいるとは言っても、実際に帝国軍を動かす最高の権限は統帥本部総長にある。彼の指一本で、合計二〇万隻の宇宙戦艦と三〇〇〇万人以上の将兵が動くのだ。しかも、三〇〇〇万人を動かすために、その倍のバックアップの人間が働くのだし、彼らへの指揮系統の行き着く先はやはり統帥本部総長なのである。事実上、一つの国を動かしているとさえ言えるほどの巨大な権限だった。 権限が巨大なだけに、当然、仕事も多い。 グリフォン有翼獅子の紋章が捺された招待状を渡され、ロイエンタールは眉をひそめた。 「『獅子の泉の元帥たちによる、優雅なる早食い夕食会』だと?」 深夜を過ぎて帰宅したロイエンタールを、彼女は別に出迎えたつもりはなさそうだった。 「まだまだこき使う気だけれど、それだけだと申し訳ないから美味しい食事をさせてあげようってことね…料理が皇妃陛下のお手作りでないことを祈るわ」 憎まれ口を無視して、陪席者のリストに視線を走らせる。ビッテンフェルト、アイゼナッハ、ファーレンハイトにケスラーとミュラーあたりはいいとして、軍務尚書の名を見いだしてロイエンタールは肩を竦める。 単に早く食べるだけではなくて、『より優雅に、よりスマートに、そして早く』食事を終えた人物を『帝都で最も優雅なる早食家』として賞賛しようという趣旨そのものは悪くない。しかし、それにしてもまいん・かいざぁ我が皇帝から直接のお招きを頂いた晩餐会というなら、ありがたくお受けするところだが、慰労のイベントごときに元帥を駆り出すとは、宮内省も最近どうかしてしまったのではないか。 それに、よりによって軍務尚書も参加とは。 「あやつの陰険漫才が出し物というのでは、せっかくの食事が不味くなる。疲労の宴でしかないではないか」 ――― 陰険漫才でも漫才と言うからには相方が必要です、元帥。軍務尚書の相方が統帥本部総長その人であるというのは、帝国内外でのコンセンサスなんですが――― 音にならない“プチッ”という音がしたようだった。 「余計な解説をやめんか、卿は!」 「誰に向かって言っているのよ。いよいよ、お前もこのあたりが危うくなってきたのではないの」 こめかみのあたりを指した人差し指をくるくると回してみせる女に、ロイエンタールは冷笑で応じた。 「コロッケとタワシの区別も付かないような奴に言われる筋合いではないな」 「そんな下賤の食物など、どうして私が知っているはずがあって? そうそう、わすれるところだったわ。招待には別の意味があるそうよ」 ロイエンタールは耳を疑う。 「優勝者には、皇帝陛下から特別の報償として、一つに限り、その者の希望するところを皇帝陛下にかなえていただける……だと?」 「伝えたわよ。あとで聞かなかったなんて言わないで頂戴」 振り返りもせずにサロンを立ち去っていったのにも、ロイエンタールはすでに気づかない。 そんな馬鹿な話があるか。たかが祭のイベントの、それも早食い競争の食事を優雅に早く済ませたというだけで、『何でもまいん・かいざぁ我が皇帝に聞き入れて頂ける』だと。そんな美味しい……いや、ナイン否、そんなたわけた話があっていいのか? いったんは閉じられたサロンの扉が開き、クリーム色の髪が覗いた。 「言い忘れていたわ。皇帝からの報償をもらうためには完食が絶対の条件だというのを」 「完食?」 「出された食事で、食べられるものはすべて食べること、よ。語彙が貧弱ね、相変わらず」 不当きわまりない批判を容赦なく浴びせた後、応答も待たずに再び扉は閉じてしまったが、もはやロイエンタールにはどうでもよかった。 ヘテロクロミア金銀妖瞳が、妖しい青と鋼の黒の煌めきを満たしていた。 『何でもまいん・かいざぁ我が皇帝に聞き入れて頂ける』 ――― そんな素晴らしい、望外な……いや、そんなバカなことが実際にあるなどとは信じない。だが、万が一にも冗談半分にもそんなことを我が皇帝が約され、そして万々が一にも軍務尚書にそのとんでもない報償が下されるようなことがあったりしたらどうなるのだ? 我、出席せざるべからず! 明日、さっそくレッケンドルフにはスケジュールの調整を命じよう……決意も固い統帥本部総長閣下だった。
軍隊の人的リソースに関する一考察
「帝国軍に女性がいないってのはホントだぜ。受付にも野郎が座っていやがった」 旧帝都(オーディン)を訪れたオリビエ・ポプランが、身も蓋もない感想を言葉の形にして同行者たちの苦笑を誘ったのは、動乱の時代、あるいは英雄の時代が今にもその幕を閉じようとする頃だった。 実のところ、ポプランの感想は必ずしも真実を言い当てたものではなく、帝国軍にも少数ではあるが女性の士官や兵卒は存在した。ただし、かつてシュミットバウアー子爵夫人コルネリア・ゲルトルーデがそれを切望しつつも、ついに帝国軍士官学校への入学を許されなかったように、帝国の女性たちに帝国軍組織への正規の門戸が開かれていたわけではない。 女性士官の大半は勅任官であり、言い換えれば時の皇帝の『気まぐれ』により士官の地位が授けられているケースがほとんどだった。彼女たちは例外なく、いわゆる門爆貴族の子女であり、士官の肩書きを得て任地を与えられても実際に赴任して任務に就く例は皆無に等しかった。彼女たちにとって士官職は爵位や、極端に言えばドレスや装身具の類に過ぎず、仮に司令官職を与えられたとしても、それは過大なほどの収入を伴う名誉職でしかなかったのだ。 一方女性の兵卒……つまり下士官と一般兵士の場合はほとんどが辺境警備部隊や貴族の私兵部隊による現地採用であり、正規の帝国軍兵士ではなかった。彼女たちの場合は実際に任地にあって、それぞれの職務に就くのが普通だったが、その職務は地上にしても宇宙にしても後方基地に限られており、やはり艦隊勤務者はいないのが通例だった。 無論、何事にも例外はあるもので、帝国軍で高級士官の肩章を纏い、前線指揮官の地位に就いて同盟軍との干戈の場に身を置いた女性も極少数ながら存在することは存在するのである――が、彼女たちについて語るのは本稿の目的ではない。 帝国暦四八九年一二月、ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥は対フェザーン侵攻作戦『恐るべき(フィンブル・)冬(ベト)』を発令。実に一四個艦隊、兵力にして二〇〇〇万人を越える巨大な兵力を動員しての一大侵攻作戦である。 この作戦の発動を前に、ラインハルトはある命令をキルヒアイスに伝えている。 「女性の帝国軍士官への登用と、同じく志願兵への採用の検討……ですか?」 さしもの『帝国軍最高の驍将』も面食らうことはある。感じの良い青い目をぱちくりさせて、金髪の超絶美形の盟友を見詰めるさまが、二二歳という年齢相応に見えて、ラインハルトに近侍していたヒルダの微笑を誘った。 「ラインハルトさま、いいえ元帥閣下。一つ、確認させてください」 「お前の懸念は分かっている。帝国軍の女性全員がマリーン(フロイライン)ド(・マ)ルフ伯(リーン)爵令嬢(ドルフ)のように聡明であるとか、勇敢だとか錯覚しているわけではないぞ」 まるで恋人を手放しに誉め讃えるような台詞を、ラインハルトはごくごく事務的に放つ。キルヒアイスはちょっと毒気を抜かれた思いで、完璧な造形美を誇る、金髪の親友の顔を見直した。 これは完全に天然なんだろうな、とキルヒアイスは、ヒルダに視線を走らせる。できるだけ平静な表情を装おうとしているように見えたが、明らかに頬の色に紅の色彩が強い。 ラインハルトにしてみれば、事実を述べているだけのことで、ヒルダのことを誉めているという意識は全くないのだろう。一方のヒルダも、頬を染めはしても、別にそれが特段の親愛や、あるいは求愛を示すものではないことは十分に察しているようだった。彼女が少しは勘違いしてくれれば、もう少し、この二人の関係も進展するのだろう、などとキルヒアイスは余計な気を回してみたりする。 「それなら安心です、閣下」 敬礼し、関連書類を収めた超小型ディスクを受け取った。 「それで、なぜ今の時期なのですか?」 「そうだな、話が前後した。帝国軍の兵力補充制度には大きな欠陥があることは知っているな」 「知っています」 帝国では、特に同盟との戦いが始まって以来、国民皆兵が建前となっている。しかし、実際には門閥貴族や富裕者、高級官僚の子弟は徴兵を免れ、兵役の義務は一部の平民にのみ課せられていたのが実情である。 「一部の平民……ですか?」 キルヒアイスも苦笑する。ラインハルトに従う形で幼年学校へ進み、そのまま帝国軍の士官となってしまった彼だが、万一ラインハルトとの邂逅がなかったとしても、今頃は一介の兵士として前線に出ていたに違いないのだ。 「最大の問題は、徴兵逃れが許されていることに加えて、宇宙艦隊の兵員として動員可能な人たちが限られていることもあります」 ヒルダが補足した。大学に入った頃、ヒルダはその事実に気づき、ローエングラム元帥府の一員となってからは組織的な調査も進めてきた。平民と一括りにはされていても、帝国では貧富の差が非常に大きい。子弟に大学教育を受けさせることのできる、いわば中産階層が薄い。一方、帝国軍、特に宇宙艦隊は軍隊には違いないが、その将兵が操るのは宇宙船である。扱いには少なくとも大学教育レベルの素養を要求されるのだ。 「……つまり、もともと人的資源として希薄すぎる中産階層の一部だけが帝国軍への人材供給を一手に押しつけられている……ということですね」 キルヒアイスは頷く。かつて『ハーメルンⅡ』で出会った多くの下士官と兵士たち。大学で優れた成績を上げていたにもかかわらず、一介の一等兵として絶望的な兵役生活を送る若者が何と多かったことか。 「徴兵逃れについては、既にオーベルシュタインが改善に着手しているが、いずれ強制的な徴募による兵員の補充は取りやめるつもりだ」 ラインハルトの言葉にキルヒアイスは大きくうなずく。帝国の人口は約三〇〇億。年間の出生数は三億弱、男性だけでも一億を優に上回る。過去一五〇年の同盟軍との戦いで毎年三〇〇万を超える死傷者を出してきた帝国軍だが、出生者に対する比率は三パーセント以下であり、何も『国民皆兵』による強制的な動員は必要がない。もし、この一億数千万人の同年代の男性全てが、宇宙艦隊に勤務可能なだけの教育を受けられるならば…… 無論、ラインハルトがフェザーンを制し、さらに同盟を下したなら、年数百万もの若者が戦場に無為に斃れることもなくなる。強制動員はますます必要なくなるのだ。 「なるほど、そういうことですね?」 「そうだ、そういうことだ……フロイライン」 「今回の動員開始の前に、帝国の各所では多くの人々が帝国軍への従軍志願を提出しています」 ヒルダが表示させた資料は、志願者がすべて男性のみに占められているのではないことを示して余りあった。志願者の約三割強は女性だったのである。 「……わたしは、その……」 珍しくラインハルトの口調が闊達さを欠くのがキルヒアイスの注意を惹いた。 「女性までを前線に動員することに決して賛成……というわけではない」 「閣下、私(わたくし)も決して、無条件に女性を戦場に駆り出せと申し上げているわけではありません」 ヒルダが柔らかく割って入るのに、キルヒアイスも半歩を進み出た。 「そうですね。現実に女性からの士官登用や女性兵の制式採用が制度として確立されたころには、今次の戦いも終わっていましょう。現実として、帝国軍の女性が実際に戦場に立つことがあるとしても、敵は同盟軍ではなくなっていることでしょうね」 名誉職としてのみ士官の階級を身に帯びる門閥貴族の女性は論外としても、現実に『現地採用』の形で軍に属している女性兵たちの待遇は酷いものである。同階級の男性兵士たちに対しても軍制式の採用ではないという理由で給与も低く、任地での条件も甚だしく悪い。戦死や殉職時の補償もほとんどないのが通例だった。中には兵士として採用しておきながら、実際には……などという目を覆わしめるような事例も報告されているほどだ。 「うむ……」 珍しくも白晢に薄く血の色を透かせながら、ラインハルトはかるく咳払いした。 この方にとって女性とは、戦いとは無関係な場所に守るべきものという意識がなおも強いのだろう。世の中の女性全てがそうしたものではない、とはあの蛇(ダーメ)夫人(・シュランゲ)ベーネミュンデ侯爵夫人との闘いなどを経て、十分に知識としては身につけてはいるのだろうけれど、それでも、この方にとっての女性という概念の具象はまず姉上(アンネローゼ)なのだから。 「……まあ、そういうことだ、キルヒアイス。オーベルシュタインに任せてある件に較べたら、こちらはもっと気長にやる必要があるだろうというのがフロイラインの意見だし、わたしもフロイラインに賛成だ……次の予定は三〇分後だったな?」 「ええ、第四作戦会議室で、後方支援に関する最終調整です」 「先に行っていてくれ。わたしも直ぐに向かう」 ちょっと怪訝そうにブルー・グリーンの視線がラインハルトを、それからキルヒアイスを通過した。が、特に反論すべきこともなかったらしい。小さく一揖すると、透明な光が閃いたような身のこなしでヒルダは身を翻した。 ヒルダの姿が扉の向こうに消えるのを確認し、キルヒアイスは軽く眉を寄せて、金髪の親友に視線を転じた。白大理石の彫像を思わせる横顔は、赤毛の若者の視線に気づかぬげに無表情を保っていたが、なおもキルヒアイスが見詰め続けると、その頬が淡く桜色に上気してくるのが分かった。 「さあ、ラインハルトさま。何を企んでいらっしゃるのかをお聞かせ下さい」 わざとらしく時計を見上げ、席を立とうとした瞬間を狙ってピンポイントの一撃を放つ。ラインハルトの長身がぎくんと揺れ、中途半端に腰を浮かせた姿勢で硬直した。 「な……にを、企んでいるって?」 「この件は確かにお預かりしました。ただ、時間をかけてもいられない件がありますね」 「な――?」 「女性の高級士官、特に佐官から将官待遇への登用については、早々に勅令による措置を用意します。これまでは何の制度もありませんでしたから」 「キ、キルヒアイス?」 ゆらゆらと視線が揺らいで逃げ道を探すのに、キルヒアイスはさらに一歩前に出た。両手を腰に当てた姿勢で、青い双眸から真っ直ぐな視線を蒼氷色の瞳に注ぎ込む。 「フロイライン・マリーンドルフには今回中佐待遇で従軍していただきますが、法的根拠が必要ですからね」 既に帝国はローエングラム元帥府の事実上の支配下にあり、ラインハルトの権力は皇帝に比肩する。いや、ラインハルトがその気になれば、帝都郊外の病院でなおも皇帝の名を名乗り続けている、あの哀れな少年を、本来そうあるべきただの少年の立場に代えてやることもできるほどだ。 とは言え、ヒルダが女性として、しかもローエングラム元帥府の首脳の一人として未曾有の大遠征に参画する。彼女を嫉視し、その有能さを妬む声は、決して大きくはないが絶えることなく囁きが続けているのだ。 ラインハルトがヒルダの進言を受け、女性士官の登用制度の検討を発案した背景に、そうした事情があることをキルヒアイスは容易に察することができた。そして―― 「柄にもなく照れないでください、ラインハルトさま!」 「誰が照れてるっていうんだ、キルヒアイスのお節介焼き!」 いきなり一〇年、時が戻ったような子供の喧嘩だった。
帝国暦75年の真実
ローエングラム王朝の勃興……と言うよりも、獅子帝ラインハルト・フォン・ローエングラムの登極に至る物語は一つの英雄伝説として、長く語り継がれることは間違いがない。名もなき下級貴族から身を起こし、ローエングラム王朝初代皇帝の座に就いたのは、帝国軍幼年学校を卒業した彼が帝国軍少尉に任官してわずか八年後のことである。 頂点に達するまでのラインハルト・フォン・ローエングラムの足跡はまさに伝説という以外になく、少尉から帝国軍元帥までの一二の階級を一気呵成に駆け上がり、その間にゴールデンバウム王朝の中心となった門閥貴族をリップシュタットの戦役で打倒。さらにフェザーン自治領を併呑し、転じて、帝国との間に一五〇年の長きにわたって永久運動にも似た戦いを続けてきた自由惑星同盟領へ侵攻する。 自由惑星同盟を代表する用兵家であり、彼の終生の宿敵ともなったヤン・ウェンリー提督は、数次にわたる戦いで幾度かの苦杯を帝国軍に仰がせたものの、自由惑星同盟そのものを救うには至らず、同盟は帝国軍の軍門に降ることとなり、ラインハルト・フォン・ローエングラムは遂に帝冠を戴くに至ったのである。その足跡の一歩一歩すべてが、きらびやかな輝きに織り上げられた英雄の叙事詩と言わざるを得ない。 この黄金獅子の叙事詩は、他の多くのサーガがそうであるように、面をも向けられぬほどの光彩に溢れた英雄詩と表裏一体のように、重く暗い闇を孕んだ悲劇の一面を併せ持っている。そして、ラインハルト・フォン・ローエングラムの物語において最大の悲劇というものがあるとすれば、それはリップシュタット終結間際に起きた、いわゆる『ガイエスブルグの惨劇』以外にありえないだろう。この惨劇において、ラインハルトは、彼にとっての最大の理解者であり、協力者であり、そして友人であった赤毛の若者を永久に喪っている。 「ジークフリード・キルヒアイスが生きていたら……」 銀河を舞台とした一大叙事詩の時代を、その主人公と共に駆け抜けた多くの人々、特にラインハルトが即位後僅か二年余りで不帰の人となってのち、ローエングラム王朝を支えた皇太后ヒルデガルト、帝国軍の総帥としてあるいは帝国宰相として帝国に安定と繁栄をもたらしたミッターマイヤー元帥、および獅子の泉の七元帥たち。かれらのいずれもが口を揃え、覇業の半ばにして若くして逝ったジークフリード・キルヒアイスを惜しむ言葉を残しているのである。 『ジークフリード・キルヒアイスが生きていたら、帝国軍による自由惑星同盟への侵攻作戦(『神々の黄昏(ラグナロック)』作戦)は無用のものであったに違いない。キルヒアイスが帝国と同盟との間の架け橋となり、両国は平和裏に共存するべき道を探り当てていたに違いない』 『ジークフリード・キルヒアイスが生きていたら、ロイエンタールの叛乱もあり得なかった。帝国による同盟の軍事征服そのものがなかっただろうし、たとえ帝国が同盟を軍事的に制圧したとしても、同盟の総督として派遣されていたのはキルヒアイスに違いない。彼であれば、レンネンカンプのように敢えて地に乱を巻き起こすような不手際もしなかっただろうし、ロイエンタールのように自らの矜持を一切に優先させた挙げ句に皇帝に叛旗を翻すがごとき愚行もしなかっただろう』 『ジークフリード・キルヒアイスなら、皇帝ラインハルトに『回廊の戦い』を戦わせることもなかっただろうし、その結果として多くの帝国軍将帥を戦場に喪い、さらにはヤン・ウェンリーを暗殺者の凶刃に曝せしめるような状況を作り出すこともなかったはずだ』 『キルヒアイスがいれば、彼の後見のもとで第二代皇帝アレクサンデル・ジークフリード帝の治世は遥かに早く収まり、新帝国の繁栄はいや増していたに違いない』 『彼さえ生きていれば、ラインハルト帝もまたあのような病に斃れることもなかったのではないか……』 一つ間違えば、ローエングラム王朝、あるいは始祖であるラインハルト帝に対する痛烈な批判にも転じかねない言葉は、しかし、多くは新帝国の柱石であり、あるいはその統治の頂きに立つ人々から漏らされていることは確かだった。 この物語は、ジークフリード・キルヒアイスの、誰からも惜しまれた若すぎる死に関して、これまで誰にも知られることの亡かった驚愕の事実を明らかにするものである。