neverland way from D
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2023年01月29日ビッグサイト【一つ屋根の下10】にて発行 neverland way from D はるゆづ・あしゅこれ+ブレイブ+ダイコク/文庫/228p ◎Bハロパロ ◯以前出した本の続編というか当時長くなりすぎてしまうのでカットしていたダイコク側+編 ◯以前の本の設定を知らないと判らないかもしれない不親切仕様 ★しっかりバチバチ対立してます注意 ◯2020/1.19開催【一つ屋根の下7】にて無配としてお付けしていた『スノウ・スロウ・メロウ』収録 ▽▽▽ 屋根下10!めでたい! ということで(?)まさかのBハロ続編です。 続編というか書く気はあったんですけど悩んだ結果削った設定と出番を掘り起こしたものになります。 本当にバチバチしてる(当社比)のでお気をつけて。 とはいえ全部雰囲気設定ですのでふわっとそういう映画なんだな〜くらいでお願いします。 そして今回も素敵すぎる表紙は大好きなよるちゃんが描いてくれました! サンプルはランダム抜粋です。 あんしんBOOTHパックでのお届けになります。
本文サンプル
(前略) 「えっ、竜ちゃんの管轄はこの辺りじゃない筈だけど」 健十が屋敷に戻ってきた頃には、双子の姿は見えなかった。出迎えたというよりは鉢合わせた悠太に聞けば、森をもう少し進んだところにある果樹の群生地を教えたらしい。散歩を兼ねた食料調達とあらばまだ戻ってはこないだろうと見越して、健十は手短に偵察の結果を話す。適当な相槌を打ちつつ聞いていた悠太が大きな目をぱちりと瞬いたところで、健十は小さく首を傾げた。 「りゅう?」 問い返してから、脳裏につい先程見下ろした光の色を思い起こす。目下悠太が気にしているのはあの紅色の魂の持ち主のことだけだ。 「今の名前」 「ああ……」 「こないだ言ったのにー」 おざなりに肩を竦めても、悠太はにこにこと笑うばかりだ。いちいちひとつひとつの人間の魂のことをしっかり注視したり見送ったりしたこともない健十は、あの毎度神に愛されている白い魂のことだって、毎回認識している訳ではない。会わずに終わる生の方が多かっただろうし、そもそも悠太があの紅色に固執し始めて何度目かにようやく、いつも傍になんだか強烈なのが居るな、と気付いたくらいなのだ。悠太だってそうだったのだから、逆に言えばあの魂を何度か認識していることの方が異常である。 「そうだっけ?最初のしか覚えてない」 「覚えてても昔の名前で呼んじゃダメだよー?」 「呼ばないよ」 名前になんて興味が無いから、という理由は咽喉の奥に押し込んでおく。悠太が初めてあの紅色と出会った時は、確かに人間の男の姿をしていた。あの時は本当に熱心に悠太が話すのを何度も何度も聞かされていたし、そんなに言うならどんな奴なのだと気になって健十自身も交流を交わしたこともあった。だから最初の姿と名前は今でも覚えているが、会ってみたところで、何故悠太がそんなにも執着を向けるのかが全く判らなかったのだ。その後魂を見送り、また次の生で出会っては親しくなるのを何度か繰り返した後、悠太自身がこれは恋とか愛とかに似ている、と言い出した時には、健十はおおいに感心し、なるほど、と納得もしたものだ。 吸血鬼って恋しても案外死なないんだね、と笑った悠太の、どこか困った風に下がった眉さえ覚えている。それはお前が割り切っているからだ、とは、健十は当時も今になっても言わないでおいている。いつか、見送るのが嫌になった時には、灰になってしまうのかもしれない。その時には、やはり恋をしたら死ぬんだなと認めるほかない。 さておき、特に意識して覚えているつもりもないが───とは言っても吸血鬼に自然な忘却は無いから、どうせ覚えてはいるのだが───、あの紅色の魂は今世ではりゅうなんとかと言うらしい。名を呼ぶことは無いし、名を縛るつもりも無いからわざわざ確認はしないが、悠太はきっと傍らの白い魂の名も知っているのだろう。 「んー…、ちょっと僕行ってくる!」 「ん?」 「すぐ戻るねー!」 余計な話に飛び火する前に話を進めようと立てた算段はこれでも遅かったらしく、言葉尻が流れたと思えば、既に悠太の姿は無い。考えるのと同時に体が動くのは昔から変わらず、悠太の消えた空間を胡乱に見つめてから、健十はやれやれと首を振った。 ため息を落とす前に、屋敷の正面玄関が開く気配がして、そのまま飲み込む。ゆるりと振り返れば、既に長い廊下の先にはバスケットを抱えた双子の姿があった。 「おかえり」 「健十さんもおかえりなさい!」 にこり、と口角を上げる遙日の手元をちらりと見下ろせば、屋敷のどこかから引っ張り出したのか、古びたバスケットには果物だけでなく木の実や、花までが雑多に盛られていた。食べるものはともかく、花はどうするつもりだろうかと思いつつもひらりと指を翻して手招けば、一度顔を見合わせた双子は素直に廊下を駆けてくる。先程悠太が出てきたところで鉢合わせた為に入り損ねていたリビングルームのドアを開けて、先に入るように視線で促した。すれ違いざまにちらりと上目に健十を見やった唯月が、その視線のまま室内に入ってすぐにくるりと振り返る。 「…何かありましたか?」 語尾に疑問符はついているものの、確信的な唯月の口調に、健十は小さく片眉を上げる。聡いのも賢いのも好ましいが、とりあえずは情報収集に走っていった悠太の帰還を待った方が良い。 「まあ、それは後でゆっくり話すよ。その前にそれ空にしてくれる?」 「えっ、あ、はーい?」 くるりと翻した指先に、返事をしながらも遙日の首が傾く。その手がしっかりと抱えている先からささくれが気になって仕方ないのだと説明する前に、健十は長椅子に近付き、ステッキだけを置いた。 「そのバスケット、服とか引っかけそうだから今度新調しておいで」 ぱちぱちと瞬く双子に改めて近付いて、健十はバスケットの端に載せられた赤い薔薇を一輪つまみ上げる。まだしっとりと濡れている花弁をくるりと回して、強い薫りに満足する。 「花の使い道は?」 「特に…綺麗だったのでお土産にでもと思って」 「そう、じゃあこれで紅茶を淹れてあげよう」 片頬で笑えば、双子の大きな瞳はぱちぱちと再び長い睫毛を瞬かせた後、すぐにきらきらと光って、笑みに細められる。 (中略) 健十は手にしたステッキをくるりと回す。健十が気配を消すことを止めてから予想していたよりは早くピンと張り詰めた空気を伺えば、外にも僅かに騒めきの漏れていた店内はしんと息を潜めている。まさか客の全てが関係者だったのだろうか、と僅かに眉を上げたところで、正面にした店の出入り口である扉がゆっくりと開いた。 関係者しか居なかったのであれば、好都合である。 「…どちらさまかな」 先陣を切ってきたのは、あの眩しい白い発光体だった。健十はゆるりとひとつ瞬いて、視界を切り替える。近くに寄れば魂の輝きが眩しくて見ていられず、見る場所を変えれば、ようやく青年の姿が目に映る。 「名乗るほどの者では」 へえ、と思わず感心してしまったのはおくびにも出さず、にこりと微笑みの形に口角を上げる。穏やかな声はそれでも宵闇へ確かに響いた。魂に似た色をした白銀の髪の下、深く力強い青の瞳が僅かに細められる。 「それではこちらも名乗らなくて良いかな」 「お好きに」 「そう」 持ち替えたステッキに両手をついて、笑みを深める。あくまで紳士的な姿勢は崩さず、しかし視線は冷たく突き刺した。こちらを伺う白い男に隙は無く、彼の背後では既に何人かが建物を出て、陣形を整えようとしている。闇に紛れられてはいるのだろうが、生憎健十の視界にははっきりと視えている。 悪くない動きだった。よく訓練されていて、討伐隊としてもすぐに機能するだろう。しかし悠太の情報によれば、彼らの中に討伐隊所属の者は居ない。 「それで、何かご用かな?酒の一杯でもご馳走しようか」 白い男は時間を稼ぐ役なのか、厳しい中にも気安い口調で首を傾げる。それはそれで良いな、と冗談混じりに応えようとしたところで、健十のはるか後方に、大型の獣の気配が忽然と現れた。その唐突さは召喚されたものの特徴で、例の若草色の青年が乗っていた使い魔だろう。あの白い獣は幻獣ではあるが、獣には違いない。 種別や種族によって思うところは様々あるものの、健十は基本的に獣が嫌いだ。折角強いて浮かべていた笑みが、すとんと抜け落ちる。よりによって背後を取られたことが気に食わなかった。意図してそうした訳ではないだろうが、結果的に向こうの戦略としては上々だ。 「まあ、別に話をしようとは思ってないんだ、そっちと同じでね」 健十の声音か穏やかさは消えた。冷たい声が、先程よりはるかにしっかりと、辺り一帯に響く。白い男の眉がぴくりと跳ねた。素早く、しかし細かく動いて印を結ぶ指を視界の端に、健十はステッキを優雅な仕草でゆったりと持ち上げる。よく誤解されるが、このステッキ自体は何の変哲もないただのステッキだ。魔法の杖でも魔女の箒でも何でもない。ないが、思わせぶりにそのステッキの先でとん、と地面を突けば、今にも動き出そうとしていた周囲の気配が、ぴたりと止まる。 一切止まらなかったのは目の前の白い男だけで、健十は片頬で小さく笑った。 「そろそろ飽きたし、この街からも失礼しようと思っていてね。最後に少し遊んで行こうかと」 「なにを、」 嘯けば、髪と同じ色をした白い眉がぎゅっと寄せられた。『奔放で享楽的な吸血鬼』の模倣は割合に得意な方だと自負している──なんの事はなく、実の家族の真似をすれば良い──健十は、穏やかで紳士的な態度から、にやりと厭味に口角を歪めた。 挑発する仕草でステッキから左手を離し、これ見よがしに指をぱちんと鳴らす。わざと気配を少しばかり残したまま姿を消せば、静かな夜闇が一気に騒然となった。 少しばかりの動揺と慌てた騒めきの中、的確な指示とそれに応える冷静な声もいくつか聞こえる。酒場のある街道から少し外れた林の中、追ってくる気配を待ちながら、健十はぼんやりとステッキを回す。 「それで?あんなに嫌だって言ってたのは誰だったっけ?」 「だーってケンケンひとりじゃ心配でさあ?」 あは、と笑いながら、かさりとも葉を揺らさず、背後の大樹から悠太が降りてくる。視線もやらずに肩を竦めれば、ぷらぷらと隣へ並んだ。 「まー、僕もちょっと運動してくよ」 竜ちゃんの方は行かないからね、と念を押す言葉には応えてやらない。どうせあの白と紅のふたりが率いる一団が、今集まっている聖職者たちの中では一番の実力者だろう。だとすればこちらの人数が増えたところで、追ってくるのは健十の筈だ。悠太のことだから、適当に健十と鉢合わないようには勝手にする。 「ま、あっちのおっきー獣の方は任せていーよ」 「あんまり遊びすぎるなよ」 「えー、ちょー楽しみなのに」 「ていうかお前、双子は?」 「眠らせてきた!」 大丈夫あと二日は起きないよ、とにこにこと笑うそばかすに、ようやく視線を向けた。胡乱に軽く睨んでやっても、笑顔が崩れることは無い。警護の意味は、だとか、まだ人間でもある彼らを二日も眠らせたら起きた時に大変だとか、そもそも本人たちの了承は取ったのかとか、言いたいことも聞きたいことも山程浮かぶが、健十はその全てを咽喉の奥で押し込めた。まあいいか、とついたため息で全てを消して、ステッキを持ち直す。こちらの場所を特定出来たのか、追手のスピードが上がった。 「まあ、じゃあ遅くても二日後には帰って来なよ」 「ケンケンこそ、どっかで倒れないでよねー」 じゃあね、と大きな手をひらりと振った悠太は、もうそこには居ない。樹々の向こうにちらちらと見え出した人影が充分に近付くのを待って、健十はゆっくりと背を向けた。 (中略) まだ明るい空に、うっすらと白い月が浮かんでいる。円に近い形をしているそれは、少し左の端が欠けているものの、一段と大きく見えた。 のっぺりと浮かぶ白夜月をもう一度見上げてから、さて、と和南は改めて辺りを見渡す。まだ時刻は少し早いが、今夜の拠点はここに決めた方が良いだろう。小高い丘の上は、寒さも深まってきた季節柄、周囲の木々は軒並み枯れ木になり視界は薄寒く、良く言えば見通しが良く、悪く言えば遮る物も身を隠す物も無さすぎる。旅人が野宿に選ぶには夜半に風が強くなった時のことを考えれば短所の方が多い場所になるが、和南たちに限って言えば、その辺りを補う方法はある。 「暉、龍広、一応周囲の探索お願い出来る?」 「おっけー!」 和南自身は地図を取り出しながら指示を出せば、軽い返事と共に白い大型獣を瞬時に召喚した暉が身を翻し、龍広はそれとは別方向へ足を向ける。端の擦り切れた地図は決して詳細なものではないが、位置関係や現在地はおおよそ正確に読み取れる程度のもので、日程的な問題は今の所ないようだ。 「百と帝人は結界の準備を」 「了解です」 地図に目を落としたまま、背後に控えていたふたりにも指示を出す。出すまでもなく僅かな荷物の入ったバッグを置いていた帝人は、すぐに首に巻いていたストールをするりと外した。百太郎が短い呪文を詠う内に、暉たちも戻ってくる。 「大丈夫そー!」 「こっちも特に何もなさそうだな」 「そう、じゃあ今夜はここに泊まろう」 見晴らしの良い場所は探索も早い。野宿場所の決定に、はあい、と何人かが返事をするのと同時、百太郎の詠唱は終わった。彼の言葉の端を伸ばすように、補助に使っていた帝人のストールを中心にして淡い紅色の光がドーム状に地面を這い大きくなっていく。数メートルを拡大したところで光はぱちん、と消えた。これで夜風の強さも冷たさも、襲撃や侵入者にも心配は要らなくなった。百太郎の結界はそれほど頑丈で正確である。 和南が地図をしまう頃には、暉は白い獣の顎をひと撫でして召喚を解除しており、龍広と帝人は軽いテントの設営に入り、百太郎は火を起こす場所を決めている。チームを組んで十年ともなれば───しかもその内の殆どを旅しているとなれば、何も言わずとも役割分担は勝手に割り振られる。和南も僅かな荷物を下ろして、簡素な旅装の首元を寛げた。被ったままの赤いフードが僅かに土埃に汚れているのを気にも止めずに、痩せた地面を少し掘っている百太郎の向かいにしゃがみ込む。 「暉、薪を頼めるか」 「はいはーい!皆おいでー」 軽やかに指笛を吹いた暉の合図で、小さな猟犬たちがどこからともなく彼の足元へ集まり出す。黒と焦茶の毛並みのくせに輪郭は白く輝いて見えるようなその猟犬たちは、暉の二度目の指笛を合図に、三々五々散って行った。シャーマンの中でも少し特殊な能力を持つ暉は、主に動物霊や神獣との交信や契約が多く、その中でも先程の猟犬たちはよく働いてくれている。白い大型獣を別格とすれば、和南が知る限りでは暉との歴史も一番長い筈だ。 「ああ、リーダー」 「うん?」 その猟犬たちの背を見るともなしに追っていた和南は、赤いフードに振り返る。薪の設置場所を平すのを手伝おうと出していた手は、宙で止められた。 「重ねがけしておいてくれ。なんだか嫌な予感がする」 「そう?わかった」 百太郎の予感といえば明日の天気よりも確かなものだ。和南は姿勢を変えないまま、止められていた手をそのままもう少し上に向ける。先程見た紅色のドームを正確に思い出して、和南はゆっくりと瞬く。瞳と同じ淡い青色のドームが現れたところで、腕を下ろした。光は地面を這って広がっていき、しゅわりと大気に溶けるように消える。 基本的に、他人との術を完全に混ぜ合わせるのは相当に難しい。難しいが、それも十年の付き合いの賜物であるのか、チーム内の誰かとであれば、今では和南には容易いことだ。 「まあ何も無いと良いんだが」 そうだね、と肩を竦めれば、軽やかな足音が駆け込んでくる。猟犬たちと一緒に薪拾いに行っていたらしい暉は、脱いだ旅用の外套に山程の枯れ枝を包んで担いでいた。 「お前またこんなに…一晩でそんなに要らないぞ」 「わーかってるんだけどさあ、みんながせっかく拾ってくれたから」 「だから喚ぶ頭数減らせって言ってんだろ」 「みんな仲良しだから一緒に出てきちゃうんだよねえ」 呆れる龍広と悪びれない暉の会話はいつものことで、にこにこと聞き流しながらテントの設営をさっさと済ませる帝人の姿もいつも通りである。和南も苦く笑いつつも、どっさりと山になった薪を半分受け取った。百太郎の魔術の火を借りずとも、盛大な焚き火が出来そうな量だ。 「ふむ、まあ、暉が居るとはいえ、火は大きい方が良いかもな。この辺りは野犬だの猪だの出ると聞くから」 「ああ、時期的にはまだ大丈夫でしょうけど、冬眠明けの熊とか目撃が多いのもこの辺りですよね」 「しかしそんな大型の生き物がいる気配無かったぞ」 「大型に限らずけっこー不自然なくらい!なあんにも居ない」 「まあでも、この辺り食べ物も無さそうですしねえ」 「はっ!オレらの食事は!?」 「まだ携帯食があるから問題ない」 「そろそろ飽きてきたけどな」 やれやれと首を振る龍広に、和南以外の全員が大きく頷く。和南は和南で本音としては同意するものの、苦く笑うだけに止めておいた。 わいわいと賑やかに喋りながらも、手早く組み立てられた薪に向かって、百太郎が指先で印を描く。小さな炎が細い指先からぽっと落ちて、瞬く間にぱちぱちと木の爆ぜる音が聞こえてくる。暉の猟犬が選んだ枝は、今回もよく薪に適した枝のようだ。 「さて、まあではとりあえずお茶でも飲んでひと息つきましょうか」 「ああ、水源も無かったから頼むな」 はいはい、と赤いフードを下ろした百太郎の脇に、てきぱきと古びたポッドを取り出した帝人がどこからともなく人数分の銅マグを取り出していく。どこからともなくと言うか、帝人の服の影に造った亜空間からなのだが、どこか洗練されたその手つきは何度見ても奇術めいている。 (中略) 「何かいる」 「何かって…」 声を顰めれば、緊張感が増す。和南の斜め後ろでゆっくりと身を屈めた百太郎が、左手を地面についた。じわじわと広がっていく魔力を感じて、息を止める。探るように伸ばされたそれは、目視出来ない位置でばちん、と何かに弾かれたようだった。 「百!」 「大丈夫だ」 地面から弾かれた左手をひらひらと振って、百太郎は肩を竦める。細い指先が赤く染まってはいるが、流血や火傷は無さそうだ。良かった、と安堵する前に、百太郎の術を弾いた方角からがさりと微かな音が鳴る。 今度は全員で身構えて注視していれば、暗い森の中から、明るい陽光の差す広場へ、のっそりと闇が脚を踏み出した。闇の形は森から抜け出てくる度に輪郭が明確になる。ぐるる、と唸る声はまさに獣だったが、ただの獣では無いのは確かだった。黒く艶やかな身体からは、濃密な魔力の気配がする。 恐ろしい唸り声と共に、暗闇で赤が爛々と光る。血よりも鮮やかで、宝石よりも禍々しい赤。和南は覚えのあるその色に、はっと息を呑む。見開いた視界に完全に姿を現したのは、黒い毛並みに鋭い赤瞳を湛えた、大きな狼である。 今にも飛びかからんばかりの狼の姿勢に、無意識に慣れた陣形を取る。後方に下がった暉や龍広が精霊を喚び出すのが合図だが、今回ばかりはその隙さえ作れるかどうか怪しい。いつもは奇襲している側の和南たちも、目の前の一頭とはいえ、奇襲されてしまえばこんなものなのだろう。 だからこそ失敗は出来なかったのに、と奥歯をぎりりと噛み締めたところで、黒い狼の更に後方から、猛烈な速さでまた別の魔力が近付いてくる。背筋に伝う冷や汗も脳裏で喧しい程に鳴る警鐘も意識する前に、暗い森から新たな狼が飛び出した。陽光にきらきらと輝く鈍色の毛並みは、明るい月夜にはさぞや映えることだろう。 黒い狼よりふた周りは大きな鈍色の狼は、飛び出すなりぐるりと黒の身体を回り込み、体ごと森へ押しやるように上体を伏せる。押されつつも苛立った風に一喝する黒にも怯まず、鈍色はぐいぐいとどうしても黒の狼を森へ戻したいようだった。 なんだ仲間割れか、と眉を顰めたのと、どうしてそんなに焦って、と暉の声が聞こえたのと、視界いっぱいに地面が広がったのは、ほぼ同時だった。 「!?」 ずん、と強大な重力がかかったかのように、一瞬で体は地に伏せさせられ、顔を上げることも出来ない。首根っこを抑えられているような感覚に必死に周囲に目をやれば、和南たち小隊のメンバーはもちろん、揉めていた風の狼二頭も同じ姿勢で捕われていた。首の後ろを押さえつける力はあんなに大型の狼でも振り解くことは難しいらしく、辛うじて後ろ足と長い尾が反抗しているが、抜け出せそうには無い。 狼も人間も一緒くたに一瞬で制圧する第三者の介入に、和南は混乱しそうになる頭を無理矢理一度空にする。抑えられている強い力のせいか、はたまた別の要因か、ひどい頭痛がするのも役に立った。一度思考をゼロにして、冷静になる。冷静になれば、力がきちんと身体を巡っていることを感じられる。 まだ大丈夫、と自分に言い聞かせながら、もう一度仲間の様子を伺おうと視線を巡らせた先、艶やかな革靴が見えることに気がついた。びくりと肩を揺らしたが、もちろんぴくりとも動かない。 顔を上げられないから靴とそこから伸びるしなやかな足の一部しかまだ見えないが、立っているということは、この重力のような力の影響を受けていないということだ。となればこの力を行使している第三者ないしその仲間だと思ってまず間違いは無い。無いが、問題は、いつからそこに居たのか、全く気付かなかったことだった。 足音はもちろん、気配も無く、それどころか未だにどういった類の力を使われているのかすら判らない。発動に気付かないのはまだしも、行使されながらなんだか判らないというのは、いったいどういう能力なのか。魔力すらも感じ取れないのは、そういう存在なのか、または和南たちでは想像も出来ないような事象なのか。折角冷静になった頭に、じわじわと恐怖や焦りが侵食してくる。深呼吸でもして追い払いたくとも、この姿勢では息もままならない。 奥歯を噛み締めて、美しく磨かれた革靴を睨む。美しくはあるが、古いデザインに見えるそれは、もし靴屋で扱うならもはやアンティークの類であろう。観賞用に飾る者はいても、自然に履きこなす者は珍しい筈である。少しでも情報を、と目を凝らせば、視界の外で狼の唸り声が響いた。先程よりも遥かに不機嫌だと和南でも判るような地を這う唸り声は、伏せた体をびりびりと震わせる。常ならば恐怖を感じる程のものなのだろうが、今は少なくとも共通の敵ではあろうこの第三者に向けられている為か、和南はいっそ少しばかり焦りが引くのを感じる。よもや助けられるとは、と冗談めいたことまで考えられるようになったところで、はあ、と心底面倒そうなため息が聞こえた。 再び意識を集中すれば、革靴の横に、とん、と棒状のものが下ろされる。ステッキだろうか、またアンティークのようだが、と情報を探ろうとする思考を遮るように、全く、と呟きが落ちた。耳に心地の良いテノールには聞き覚えも無く、その声音に含まれる力の抜け具合からも革靴の人物の声だろう。 ステッキを持ち替えたのか、黒い棒の先がくるりと回る。 「人の敷地内で騒ぎ起こさないでくれる?」 (中略) 悠太が教会の扉を閉めた音と共に、健十は苛立ち続ける気分を抑える為に深呼吸の真似事をする。こんなことで気分が落ち着くわけはないのだが、ひと呼吸置くことは大事だ。呼吸はしていないのだが。 さて、目の前の男をどうしてやろうかと考える。彼らふたり以外にも討伐隊として派遣されてきたメンバーは居る筈なのだが、双子に撒かれている時点でたいしたことは無い。結局は目の前のこの男の処遇だけを決めればいいものの、怒りのままに引き裂くわけにもいかないのが難しいところだ。こういう時ばかりは、昔交わした制約が鬱陶しくなってくる。叩き潰してしまえば気分もすっきりするかもしれないが、潰してしまえば更に面倒なことに巻き込まれてしまう。しかし更に言えば、こんなことなど滅多に起こらないのだから、やはり制約は制約のままで良いのだ。 相棒の状態を正確に把握したらしい男は、改めて呆然と健十を見上げる。どうして、と判りやすいほどに問う視線は、ついこの間も見たものに似ていた。この間といっても一年は前だが、あの淡い青と違うのは、瞳にまだ恐怖が無いところだろうか。 健十は別に、吸血鬼とは畏怖されるものだとは思っていない。未知が恐ろしいのはどんな種族だって同じだろうから、吸血鬼が恐怖の対象だというのはより知られることが少ないからだと思っている。ただだからと言って、何事においても、知った気になって満足しているのには嫌悪を感じた。本当に知っているのならまだしも、たいていの者は何も知らないままなのだ。 健十だってこの世の全てを把握している訳では無い。その健十ですら知っていることも判らないのに、どうしてそうも恐れを知らずにいられるのか、理解が出来ない。別にしようと思ったこともないし、そもそも関わろうとも思っていないのだが、だがそれでも、自分の気に入りに手を出されればそれは別の話だ。それは吸血鬼に限った話でなくても、人間も、人狼も、悪魔も天使も、その辺の野良猫だって同じだろう。人のものに手を出してはいけないのは、どんな世界でも共通しているのではと健十は想像する。 (後略)