everlast
- 800 JPY
1月20日【DREAM!imagination2】にて発行、再販分です。 これ以降の再販の予定はありません。 everlast ちづみか/文庫/130p 本編一学期終了時のあのシーンから、夏休みに京都旅行に行く付き合ってないふたりの話。 お互いにメンタルがぐちゃぐちゃだけど表面上は楽しく観光する7泊8日。楽しそうに書けてるのかは判りませんが。 付き合ってないけどベタベタはしてます。 あんしんBOOTHパック(ネコポス)での発送となります。
everlast本文サンプル
切る風は生ぬるい。指先だけが出るドライビンググローブの革と皮膚の間には午後の風は入ってくれず、もうしばらくすればうっすらと汗ばむかもしれないが、まだ不快になるほどではないだろう。巳影はバックミラーでちらりと後方を確認してから、少し速度を落として十字路を左折する。午後の国道は平日だからか交通量もあまりなく、スピードを出しすぎないようにだけ注意をする。数分に一度は確認するスピードメーターは、ひとりで走る時よりずっと小さな数字のメモリを保っている。腹部に回された腕の力が緩まっていないこともついでに確認して、巳影は指先だけを少し浮かせてハンドルをしっかりと握り直した。 後ろに乗せた千鶴に気付かれないように、ため息の代わりに細く息を吐く。 スピード狂とまではいかないが、バイクに乗る時は、巳影はスピードを出す方が好きだ。全身に受ける風の力は適度に強い方が心地良いし、景色が流れる視界も悪くない。普段レンズで視力を矯正している分、はっきりと見える世界が端々だけぼんやりと見えなくなるのは不思議な感覚で、まだ暫くは飽きずに楽しめそうだ。そもそも移動手段としてであればスピードは速い方がより効率的であるのは間違いもない。効率を重視するのは巳影としては当然のことで、だからこそバイクが好きな理由でもあった。 ただそれもこれも、ひとりの時だけの話ではある。忍者のように気付けば勝手に乗っている某生徒会長は例外として(彼はスピードを出せと煩い)、誰かを乗せるとなればいつものようなスピードで、という訳にもいかない。 特に千鶴の時は、というか主に千鶴くらいしか頻繁に乗せていないが(ここでも某生徒会長は例外とする)、景色を楽しむ訳にも、気ままにハンドルを切る訳にもいかない。バイクの後ろへ乗る、ということを本質的に判っていないのだろう千鶴はともすれば巳影に掴まる腕の力が緩まっていくこともあるし、その状態で急角度でハンドルを切ったりすれば、この華奢な体は簡単に振り落とされるだろう。 千鶴がタンデムシートに座る大半の理由は、考え事、と称した内証の時間を、ただじっと座っているのが苦手な彼が形だけでも移動中だという体裁を取っているというだけの話で、だから千鶴本人にしてみれば教室の椅子で空を見上げているような、自分のベッドで枕を抱えて寝転がっているような、おそらくそんな位置付けなのだろう。何度命の危険があると言っても聞かない彼に注意させるのはもうとうに諦めてはいるけれど、だからといって巳影が尖らせる神経が和らぐわけでもない。気を使うのよ、と冗談めかしたあの言葉は八割以上が本音で、いくら好物といえども飴くらいで対価になるものではない。 ないのだけれど。 巳影はゆっくりと速度を落として、赤信号に停車した。右足を地面へつけて、首を回して後ろを振り返る。ヘルメットを被せた小さな頭は俯くように額を巳影の肩へつけたままで、その頭頂部をこん、と軽くノックした。はっと上がった顔に、ヘルメットのスライドを上げて首を傾げる。 「ちづちゃんお腹空いてる?」 「え?ああ…まあ」 「そ」 わかった、と軽く頷けば、呆けたような千鶴の瞳がスライドの向こうでぼんやりと瞬く。巳影は特に反応を返さず、スライドを下ろして姿勢を戻した。ちょうど青に変わった信号に、腹の前にある千鶴の手を軽く叩く。ぎゅ、と改めて服を掴んだ力を感じてから、巳影は地面を蹴った。 「……しょっぱい」 「ふふ、そーね?」 でも嫌いじゃないでしょ、と笑えば、千鶴はむっと口唇を尖らせながらも、細長いフライドポテトを運ぶ手を止めない。チェーンのハンバーガーショップのポテトはわざとらしい形に塩気が強すぎるけれど、それが良いところだ。お気に召したらしい千鶴の向かいから巳影も一本拝借する。 バイクで向かう目的地は決まっていなかったけれど、一応は移動の体裁を保ちたい千鶴の為に、巳影はいつも適当な道を走らせてどこかへは行くようにしている。例えばどこかで食事をしたり、例えばどこかで買い物をしたりしてからまた遠回りをして寮や学園に戻るこのドライブを、千鶴が気付かない内に遂行するのが巳影の最近の役目だ。嫌でもなければ苦でもないが、というかそもそも巳影はメリットのないことはしない主義だが、ちらりと盗み見た千鶴の表情に、今回ばかりはため息を吐きたくもなる。 千鶴の考え事は、大半が仕事に関するものだ。彼の仕える主人に大きな仕事がある時だとか、小さいけれど大量の仕事がある時だとかのスケジュール管理や私生活のケアを考えていることが多い。それは千鶴の仕事でもあり生きがいでもあるのだろうから巳影にはなんら思うところはないし、口を挟むべきことでもないと思う。ただ残りの、思い込んだら割合真っ直ぐになってしまう視野の狭い千鶴が鬱々と考え込んでしまう類の『考え事』は、少し放って置けない時もある。あるけれど、今回はまた程度が違った。 春先に、千鶴に余暇の楽しみ方を教えてやれ、などと巳影に丸ごと投げてきた時も思ったが、どうやら彼の主人は言葉が足りない。とはいえ千鶴が判るように言ってやればいいのに、と思う反面、千鶴が自分で思考した末に答えを出さなければ意味がないと思っているのだろうな、という気持ちはよく判る。よく判るが、だからといってもっと上手い言い方はあるだろうし、ここまでショックを受けるだろうことを判っていてのこの仕打ちはあまりにも荒療治ではないか、と巳影としては呆れてしまう。呆れはするが、千鶴の主人はそういうところがあまりにも真っ直ぐで、真っ当で、融通が効かない。そこが美点ではあるのだろうが、しかしそういうことはこの状態の千鶴を見てから言ってくれ、と思ってしまうのは仕方がないことだろう。尤も、千鶴もここまで無防備になるのは今のところ巳影の前だけのようだから、この件に関しては誰にも同意は求められない。 「ちづちゃんさ、」 ため息は飲み込んで、頬杖をつく。ハンバーガーを頬張っている千鶴の頬へ反対の指を伸ばして、口唇の端についたソースを拭ってやった。 「夏休み、どうするの?」 「仁さんのお側にいなくても仕事はあるから」 「お家の?」 「まあ、そう」 「ふーん」 「ずっとある訳じゃないけど」 「あのさあ、」 どうしようかな、と束の間逡巡した隙は指先で拭ったソースを舐めることで誤魔化して、巳影は出来るだけなんでもないような顔を作って、笑った。 「オレね、お盆あたりに帰る予定なんだけど」 「は?帰る?」 「んー」 首を傾げる千鶴に、適当に頷く。氷の溶けたアイスコーヒーは薄く間延びした味で、舌には苦味も残らない。 「京都」 「きょうと」 ぱちり、と瞬いた千鶴は視線を泳がせて、窓の外をぼんやりと眺める。僅かに揺れた睫毛にため息を押し込んで、巳影は安っぽいプラスチックのカップの中でかしゃり、と小さくなった氷を回した。 「千鶴も行く?」 え、と戻ってきた紅い瞳はまだぼんやりとしていて、巳影は頬杖をついたままにこり、と笑ってみせた。千鶴の手元で空になっていたハンバーガーの包みをひょい、と引き抜いて、簡単に畳んでトレイの隅に追いやる。 「ま、気分転換に旅行でもしてみたら?」 考えておいて、と小さく付け足して、巳影は残り少なくなったアイスコーヒーを吸い上げる。 (中略) 「うわ、思ったよりすごい」 「ふふ、素直でよろしい」 鴨川沿いをぶらぶらと下って、河原町のあたりから四条烏丸をぐるりと回って堀川通りへ出る。会場の入り口には提灯のゲートが出来ていて、ちょうど火が入ったところのようだった。すっかり辺りも暗く、何とはなしに人出も増えている。そういえば今日は金曜日だから、人が増えるのはこの後からだろう。一週間ほどしか開催しないとはいえ集客の見込めそうな土日を目前に最終日を迎えるのも強気だな、と巳影などは思ってしまう。それも観光客を端から頭数に入れていないからかもしれない、と、橙に光る提灯をくぐり抜けながらぼんやりと思う。 提灯の入り口を抜け、案内所を通り過ぎれば早速七夕飾りのついた笹が立っている。いろとりどりの短冊は大判の不定形で、どうやら何かの企画もののようだ。隣を歩く千鶴の目はそれよりも先の行灯が並ぶ通りに既に向いていて、巳影は彼の歩調に合わせてゆっくりと進む。 いつも速足の千鶴はおそらく仁の歩幅に合わせているのが無意識に身についてしまったのだろうけれど、今日ばかりはのんびりと歩いていることに気づいている巳影は、もしかしたら千鶴もこちらに合わせているのかもしれないが、ここへ来るまでの五十分弱程度の道のりも、たっぷりと時間をかけて歩いた。おそらくこれが、今回の京都旅行での歩幅になる。 ずらりと並んだ行灯にはおそらく著名人やら何やらからのメッセージが書いてあるらしく、律儀に全てにざっと目を通しているらしい千鶴をちらりと見下ろす。引き結んだ口は無表情ではあるけれど、行灯の光を柔らかく映した紅い瞳はきらきらと輝いて見えた。好奇心だろう。一種動物めいてもいるその本能的なまっすぐさは、巳影の好くところだ。本人が上手く隠せていると思っているところも含めて、愛しいと思う。それを指摘すれば今度は本当に上手く隠してしまうだろうから、巳影は気付かれない内に視線を行灯へ移した。メッセージの文字列は読み飛ばして、ぼんやりとした光にゆっくりと瞬く。 二条橋をくぐるところで、ふわり、とお香の薫りが風に乗って漂ってくる。橋の下か、と川を振り返れば、隣でぴくり、と千鶴の顔が上がった。何かあったかと振り向けば、宙を見上げた千鶴が小さく首を傾げる。 「…幽みたいな匂いがする」 「っ、ふは、確かに?」 思わず吹き出せば、何かに納得したかのように千鶴が小さく頷く。くつくつと笑っても千鶴は平然としていて、巳影は更におかしくなってしまう。 「幽ちゃん同じお香でも焚いてたかな」 「さあ、成分の判別までは出来ない」 「ふふ、そうね」 あ、と巳影の前を横切って川を覗き込んだ千鶴は、くすくすと笑い続ける巳影には興味も示さない。巳影も気にせず、千鶴の隣へ並んで川を見下ろした。澄んだ川底がきらきらと光っている。 「石?」 「発光石かな?蓄光石?」 仄白く光る石が川底にランダムに並べられている。青白くも見えるそれは天の川に見えなくもないが、おそらくこれは別のものだろう。 「何で?」 「そーいう演出、って言うと元も子もないけど、あれじゃないかな、蛍」 「ほたる?」 「そ」 「これが?天の川じゃなくて?」 「うん」 そーね、と言っただけで特に説明をしない巳影に、千鶴が不思議そうに首を傾げる。何故、と言われてもそう見えたから、としか言いようがなく、それでもこれは蛍を模しているのだろうとなんとなく確信を持って言える。 ふうん、とあまり興味のなさそうな声音で言いつつ最後まで川底の光る石を目で追った千鶴は、その視線をすぐに、唐突に現れた笹飾りの行列に奪われる。単色にライトアップされた笹は白っぽい黄金色に輝くようで、切れば月の姫でも出て来そうな雰囲気がある。こちらは白く細長い短冊で統一されていて、書かれた文字は全て子供のもののようだ。 ひらひらと風に揺れる短冊に、たくさんの願いが翻る。 「…ちづちゃんはさあ、」 揺れる短冊を、柔らかく舞う葉を見上げている千鶴を少し後ろから眺める。振り向かないけれど、ちゃんと聞いていることは判っている。 「何かお願いごととか、あるの?」 きっといつも通りの声を出せていたと思う。思うし、それで千鶴には伝わるだろうとも思う。ゆっくりと振り向いた紅は一瞬だけ揺れて、瞬きの間に強さを取り戻した。静かな、燃えるような紅。その瞳はいつだって鮮烈で、巳影は焼き切られてしまう錯覚を何度でも感じる。 (中略) 一度、いつも通りに五時半頃に目が覚めたものの、右手の中にあるぬるま湯のような温度にそっと首だけを回した。しっかり絡んだそれは白く細長く、短く揃えられた爪の先から順に辿っていけば、こちらへ顔を向けてうつ伏せている寝顔へ行き当たる。眼鏡もなく髪の分け目も甘い寝顔はいつもよりも幼く見えて、初めて見たわけでもないそれを千鶴はじっと眺めた。暗がりの部屋を、顔を出し始めてそう時間の経っていない朝陽が障子窓越しに柔らかく照らしている。白い頬に薄明かりがさして、長いまつ毛が影を落としている。息をしているのか不思議になるほどに眠っている時の呼吸が浅い巳影の白い瞼はぴくりとも上がりそうになく、だから千鶴はその表情をじっと眺めていた。 どのくらいかは判らなかったけれど、ひどく熟睡しているらしいその力の抜けた寝顔を見る内に、一度起きてしまえばもうあまり眠気を感じることのない千鶴にも感染したらしく、両の瞼に心地よい倦怠感が訪れる。千鶴は逆らわず目を閉じて、指先に絡む巳影の指を少し引いて、更に手の内へしまい込むように握り直した。 次に起きたのは眩しさからで、目を開けば少しの暑さも感じる。隣を見れば、何か呼応したのか、髪より少し濃い色のまつ毛が震えた。 「ん……」 ゆるりと現れたグレーの瞳はぼんやりと焦点が合わず、僅かに潤んでいる。もう意識のはっきりしてきた寝起きの良い千鶴は、白い瞼が重たげに二度瞬くのをじっと待つ。 「…おはよ……?」 「おはよう」 ふわふわとした掠れた声に、千鶴の方ははっきりと、しかし 小さく応えた。ぱちぱち、と今度は素早く動いたまつ毛の下、厚い口唇が薄く開く。 「…あれ、珍しい…千鶴も寝坊?」 懸命に開こうとしているグレーの瞳を眺めながら、千鶴はゆっくりと瞬いた。小さく肩を竦めれば、揺れるグレーが焦点を結びかける。 「二度寝?」 「…ふふ……もっと珍しい」 ゆるり、と崩れた表情筋で、ふわり、と笑う。焦点を結ばないまま細まった瞳はそのまま瞼の奥へ隠されて、巳影の綻んだ口唇は小さく息をついた。安堵の息のような、つい漏れてしまった幸せをかみしめるようなその吐息の真意は判らないけれど、巳影は瞼を開かないまま、千鶴が掴んだままの指先へ微かに力を入れる。するり、と手の平を這った指は千鶴の指をさらりと絡めとり、甲の骨を柔らかく撫でる。 「…みかげ、」 「……ん…?」 最初の夜こそ少し離したところへ隣り合わせに敷いていた布団も、そういえば徐々に距離が縮まって、今日はもうぴたりとくっついている。布団の境目にある繋いだ指を千鶴の手ごと引き上げた巳影は、体を丸めて枕へ更に横顔を埋める。千鶴に擦り寄るように近付いた体からは、千鶴の髪と同じ香りがした。メントールの清涼感は無く、ほんの少し甘さを感じる香りは、巳影の寝顔にはよく似合う気がした。 巳影が自分の口元へ引き上げた千鶴の指先に、微かな呼吸がかかる。 「まだ寝るの」 「…んー……あと、ちょっ…」 と、は息に紛れて掠れ、巳影の指からゆるやかに力が抜ける。巳影を起こさないまま指を解いて布団を抜け出すことは簡単だったけれど、千鶴はなんとなくそうはせずに、仰向けで首だけを回した姿勢のまま、死んだように眠る穏やかな顔を見つめる。 息は指先に規則正しくかかっているから、今度は呼吸を疑うべくもない。 (後略)