僕は、泣かない 7
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ボストンから逃亡した直江と高耶。だがその波紋か 確実に存在していた。気付いたのは男達、そして2 人を気遣う青年。 直江を追っていた刑事と探偵が、ボストンの街で 遭遇し、2人は互いの利害故手を組み2人の行方 を追うのだが…… フルカラー 92p 長いsummer(夏) break(休み)も終わり、9月になり千秋はgrade11(11年生)になっ た。一応は受験の年になった訳だ。それでものんびりしたものでSATの集中コースを受けるなどをして「受験勉強」をする者もいたが、全体からみればそれはとても稀だ。 親はnoble(名門) private(私立) university(大学)に進学して医者になって欲しいら しいが、それでも物分りの良い彼らは決してそれを強制しない。飽く迄も息子の意思で、希望で進路を選ぶのを良しとしていた。 もしそうなれば成績、スコアの他、課外授業、ボランティアは無 論、コネクションやletter of(推) recommendation(薦状)が必要になる。確か に合衆国内でも選ばれた者だけが受けれるだろうレベルの高い授業は魅力だが、掛かる費用も並じゃあない。ドクターである父親の収入は平均よりは高いが、医者も世間が思う程儲かる仕事ではない事を千秋はよく知っていた。 Ivy(東部有名) League(名門私立大学)と言うブランドには惹かれるが、そこまで拘っていない千秋はWest(西) Coast(海外)から離れる気はなく。だからUCLA か UC Berkleyに行くつもりだった。両校ともstate(州立) university(大学)だが名 門だ、高い成績が要求される。 成績自体に問題の無い千秋は、将来何をしたいのかまでは定まっていないが、焦る必要は無いと考えていた。甘えじゃあなく、慎重さを踏まえて、だ。だが昨夜父親から聞いたニュースの内容に、それからずっと捕らわれている。それは、ボストンで起きた事件だった。 「何?」 不思議な顔で父親を見る息子に、Dr.千秋は苦笑とも取れる複雑な表情を浮かべた。 「?」 忙しいDr.千秋は、週の半分は夕食を家族と共に摂る事が出来無い。今日はそして、それに当たらない日だった。 一人っ子の千秋は親にベッタリでは無いが、それでも両親との仲は良い。多分に理解のある父親と、のんびりしたどこか抜けいる母親が口煩いとは縁遠かった所為だろう。特に母親は、幼い頃から千秋の方が確りして守らなければ、と思わせる抜け振りで、だが懐の深い慈悲深い人だった。 そんな両親故、一度はあるだろう反抗期もなく―――これは千秋の醒めて大人びている性格の所為もあるのだが―――平和な家庭生活を送っている。成績優秀、アメリカでの学校生活の中でかなりの重い要素を持っているスポーツ全般も卆なくこなしてた。平均よりも明らかに高い容姿や確りとした体躯も、千秋の人気を高める要因の一つだ。しかも明るく人当たりが良いとなれば、当然友人も多いしガールフレンドも切れがなかった。 アメリカの学生生活に置いてhit(人) at(気) school(者)の意味は重い。一種の ステイタスになるのだ。人気者と仲が良いだけで、周りから羨まれる。 千秋の場合高校で一番の人気者、ではないが、それでも大体の者が顔と名前を知っている位には有名だった。ハイスクール内で一番 有名なballer(バスケ選)が(手)千秋と特に仲が良い所為もあり、2人でいるとチラ チラと羨望の目で眺められる事が多い。そんな千秋に近付きたい、ガールフレンドになりたい者は当然沢山いた。 「修平」 父親がhalf(日本)-(人)Japanese(とアメリ) half(リカ)-(人)American(のハーフ)で母親は生粋の日本人の 千秋の名前は、そのまま日本名だ。それは今も日本で健在の祖父が付けてくれたものだった。 そんな息子が、この1年近く前から少し様子が変わった事を両親はよく分かっている。ガールフレンド1人、家に連れて来なくなってしまったのだから。 この息子が周りからどんな風に見られ思われているか、誰よりもよく知っていた。それまでも何度もガーフレンドを家に連れて来たり、両親に紹介したりしていたと言うのに。もう何ヶ月もそれが無かった。外出も、確実に減っている。 表面上の部分は変わっていないが、それでも時折見せる眸の翳りが。千秋を一気に大人にしてしまった様だった。そんな息子の変化を、淋しいと思う一方で大人にまた近付いた、と納得している部分も両親にはあるのだ。 「何だよ、これ……」 訝し気な顔になる息子に、Dr.千秋は複雑な顔になった。その横で、母親は心配気な顔で千秋を見ている。 「これ?」 夕食のテーブルの上、父親から渡されたのは、Boston(ボストン) Business(ビジネス) Journal(ジャーナル)・Boston(ボストン) Globe(グローブ)・Boston(ボストン) Herald(ヘラルド) のボストンの有力紙だ。 ここLAでは殆ど見かけない新聞だった。 何故こんなものを、と思いながら開いた状態で渡された新聞に目を落とした。一面じゃあないそのページに何か載っているらしい。そう判断し千秋は、両親が心配気に見ている前で文字を目で追い始めた。 「ん?」 それから1分経ち、スープはまだ温かさを保っている頃千秋の目線が一点で不意に止まる。と同時に表情も、見る見る凍り付いていった。 手には力が入り、両手で握った新聞は破れてしまいそうだ。 「……」 穴が開く勢いで見詰めていた千秋は、直ぐに今まで読んでいた新聞を放り違うものに引っ掴む勢いで手を伸ばす。 「ッ」 そして直ぐにそれ(・・)を見付けると、もう一枚の新聞を乱暴に掴み取 った。 「……」 夫々、同じ記事が載っていたのだ。 「…こ、れ…」 内容は、先日白昼のボストン市内で起こった銃撃戦についてだった。 「……」 知らず、息を飲んでいた。 「直、江…」 口にしてしまった男の名に、Dr.千秋も溜息を吐く。 「まさ、か…」 呆然と呟く息子に、父親は、はっきりと分からないが、と同じ位小さい声を零した。 合衆国に数個ある大都市の中で、ボストンは恐らく一番治安が良い。そんなボストンで、多くの観光客の前で起こった事件だ。記事的には小さいが、それでも相手が土地で有名な実業家だったらしく、新聞に載ってしまったらしい。 東洋人、それだけだ。身元不明の東洋人が、銃撃戦の末逃走。行方は掴めていない。そして、 「高、耶…?」 穴が空く程新聞を凝視しながらの呆然とした息子の声に、両親は痛みを耐える様な顔になる。 東洋人の男そして―――子供――― 「……」 東洋人など、合衆国中にいくらでもいる。それこそ都市部なら white(白人)・black(黒人)・spanish(スパニッシュ)と並びPuerto(プエルト) Rican(リカン)よりも多い位だ。他 ならぬ千秋も日系なのだ、それもかなり濃い。そんな状況のこの国で、東洋人が事件を起こすなど日常レベルだった。1日何件の、東洋人絡みの事件が起きているのかなどとても数え切れない。 だから、ボストンの様な大都市で起こった東洋人の事件が自分の知っている男と関係があるなど、普通なら想像もしないだろう。だがこの時、千秋感覚が〟かもしれない〝と強く神経を揺さ振ってきたのだ。 「…父さんは、どう思うんだ…?」 「分からない」 「……」 こんなにも難しい顔の父を見るのは珍しい。温厚で優しく、何時も穏やかな表情をしている父なのだから。 「でも、これを俺に見せるって事は……そう思ってるんだろ?」 「……」 黙って首を横に振る父親の〟No〝はどちらに掛っているのか、千秋には解りかねた。だがそれでも、わざわざこうして見せる意味を千秋は思う。 「まさか、だろ……こんな偶然、映画じゃねぇんだからさ…」 そう言ってはみても、千秋の声には力が無い。 「……そうだな…」 低く呟く父に、千秋は黙って手を伸ばしマッシュポテトをフォークで掬った。そのまま口に放り込み、乱暴に、そう噛む必要も無いのに噛み砕く。 「……」 母親は、黙って親子の会話を心配気に見ている。親子3人の揃った夕食は始終重苦しい空気に支配され、進んでいった。 あの時、の―――? 「知ってるんですかッ?!」 あの時……それは例の銃撃戦を指しているのか?! 思わず大きな声を出したラングにも、老人は意識を向けず写真から目を離さない。その様子に男の背中に、高揚に似た寒気がゾクリ、と走った。 「サイクスさんッ」 「……」 立ち上がってしまった刑事に、老人は写真に視線を落としたままで頷いた。 「……この男…あの事件の時の……確かにそうだ、間違い無い」 「ッ」 呟く小さな声に、ラングは息を飲む。 写真に映っている男……2ヶ月程前、1つの事件に巻き込まれた。シカゴから遊びにやって来た孫を連れて水陸両用のバスに乗りボストン市内を観光巡りする観光バスだ。そこで突然始まった騒ぎに、妻や孫を守ろうとするだけで精一杯だった。それに銃を持った男達に対し、一体何が出来たと言うのだろう。 それでも、妻も孫も、そして自分も掠り傷1つ無くこうして無事に事件は終わったのだから、老人は良しとしていた。 「サイクスさん……」 互いに立ったままの老人と刑事は、やっと視線を合わせ見詰め合う。 「この男が、この男が確かにあのバスに乗っていたんですね?」 「……ああ…この目は…この顔は印象的だ…間違いは無いと思う…」 「そう、ですか…」 一気に力が抜けた躯は、ドスンと、腰を椅子に降ろしてしまう。 「でも、あの時この男の方が追われていた様だった……囲まれてバスから逃げたのだから」 「それはどういう意味です……?」 徐々に真相が浮かんでくる、そんな錯覚にラングは静かに興奮していく。 「いや…はっきりとは覚えていない……だから言い切れないのだが……大きな音がして…そしてこの男が銃を持っていた。だが他の男達も、この男を囲む様に銃を持って……だからこの男はバスから逃げたんだよ……少なくとも私の目にはそう見えた」 ドクン 心拍が加速していく。 「……それで……そこに子供はいませんでしたか?」 子供 高耶 「いた」 短い答えは、はっきりとラングの耳を打つ。 「……」 「そうだ、確かに子供がいた、と言うより声を聞いた気はする…だが姿は見ていない」 「……声……その子供は…他の、普通の乗客の1人だったんですか?それとも…」 直江、そして子供―――高耶 「悪いがそこまでは分からない」 「……そう、ですか……」 「バス内には孫も含めて何人かの子供がいた筈だ。だが君の言って いるのはそれ(・・)と(・)は(・)違う(・・)子供、だろう?」 「はいそうです」 「そうか……わたしもあの状況じゃあ、少なくともパニックを起こしていたからなぁ」 「いえそんな」 ここまで冷静に話を組み立てられるのだ、確かに銃声で普段よりは冷静さを欠いていただろうが、それでもこの老人には落ち着きは残っていたのだ。 「誰でもあんな事態に遭遇すれば慌てパニックを起こします。あなたはでも、ここまで冷静に周りを見ていたんですね」 これはお世辞でも何でもなく、ラングは純粋に感心していた。そしてこれで、あの事件の容疑者として上がっているのが直江の可能性が高くなった。そして子供の影。直江、と断定するならば、子供は高耶に違いない。 切れた線が、徐々に徐々に繋がっていく……ゾクリ、とするのは高揚感に似たものだ。 「……」 黙ってしまったラングに構わず、老人は写真を見詰めながら何か考え込んでいる。そして不意に口を開いた。 「いや」 「え?」 「いや……あの時、そうだ……あの時この男が、子供に何か言ったんだ…」 「!」 老人の言った内容に、ラングは再びいきり立ってしまう。 「言ったッ?!何をですッ?!」 大きな声を抑えられず、老人に詰め寄った。 「……銃に気付いた誰かが騒ぎ出し……そしてバスの中がパニック状態になって……」 興奮気味のラングとは対照的に、老人はゆっくり落ち着き思考を巡らせる。 「……」 写真に目を落としながら記憶を辿る老人を、ラングは息を飲んで見守った。 「……子供は……子供の姿は見えなかったが、確かにそこにはいたのだろう……この男が呼んだ……気がするよ。前の話なのであやふやだが」 「……」 「だが、敵か何か分からないが、確かに誰かに話し掛けていた……血相を変えていたので覚えている、いや、思い出した」 「血相…」 直江の心を動かし血相を変えさせる、そんな人間はこの世に1人しかいない。 高耶――― 「……そうですか…」 互いに躯から力が抜けた。老人も椅子に腰を降ろすと、やっと写真をテーブルの上に置く。 「サイクスさん……今の話、以前事情聴取された時刑事に話しましたか?」 「いや、男を見た気がする、とは言ったが……それにこの写真を見て思い出したよ」 「そうですか……それと、この男が襲われていた、と言いましたが、その襲っていた相手について何か」 「いや、そこまでは分からない……何か揉めていた様で…仲間割れでもしたのかもしれない」 「……」 「でも刑事さん、こんな話飽く迄も憶測でしかないよ」 「……はい」 穏やかに笑うと老人は再び立ち上がった。 「申し訳ないが、これからまた出掛ける用事があってね…」 「あらあなた、刑事さんとお話していらしたの?」 「ああ」 「刑事さん、途中で席を外してしまってごめんなさいね」 「いえ、サイクスさんにお話しを聞かせて頂きましたから」 「そう?」 「それじゃあ私は失礼します……色々とお話し、ありがとうございました」 「こちらこそ、お力になれなくて」 「とんでもないです、参考になりました」 そして2人は握手を交わすし、ラングは高級アパートメントを後にしたのだった。