皇帝陛下と竜の住む谷
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184P 異世界トリップファンタジー第8弾 9歳になる三郎は、とても頭が良い子供だ。初めて会った4歳の頃から既に、大人っぽい口を利いていたのはまだ新しい記憶で。幼いながらも際立った美貌で、皮肉気な笑みを浮かべるのだ。だが、 「……」 まだまだ少年の色が濃い顔には、眉根が寄っていて渋い表情になっている。 バフン、勢い良くベッドに背中から飛び込んだ高耶は、頭の下で手を組み天井を見上げた。侍女の声に衛兵と足を踏み入れた第二皇子の部屋にあったものを思い出し、高耶は無意識に溜息を零す。 皇太子である義明は、三郎の1つ違いの兄だ。タイプは正反対の2人はとても仲が良い。そんな義明の誕生日があったのは、今から2ヶ月程前で。 何時もは大陸を支配していると言ってもいい大国エチゴの次期皇帝の為に、他国から様々な者達が祝辞に訪れ大きな城内行事にもなっていた。大広間には何百と言う人々が集まり、盛大な祝いの晩餐会が催される。 確かに、次期皇帝のお披露目、の意味もあるので大切なのかもしれない。だが高耶は〟子供のお誕生会〝の楽しさを子供達に教えたかった。そんな意見が通り、今回の義明の誕生日は何時もの中庭に親しい者だけ招いた、ガーデンパーティーになったのだ。 義明の本当に身近で親しい者だけ、テーブルも小さく、料理も特別豪華ではないが、義明の大好物だけ。そんなパーティーで主役の皇子は本当に楽しそうに過ごしたのだ。 だがパーティーの準備が着々と進む中、高耶は一人頭を悩ませていた。 誕生日と言えば、プレゼント。何をあげたらいいのか義母は悩みまくってしまった。そして何となく足を向けた城下の市で、見付けたのは竜の骨―――と店主が言っていた化石だった。 竜―――この言葉に心躍らせない子供はいない。当の高耶も、竜の骨らしい、との言葉にすっかり夢中になってしまった。 思った通り高耶のプレゼントを、義明は大層喜んだ。大事に大事に掌で包む義息子を見詰める黒い眸は、酷く優しい色を敷いていて……だが、話はここで終わらなかった。 竜の骨(らしきもの)に三郎が反応してしまった。9歳にしてはかなりクールな三郎は、大多数の子供のように駄々をこねたり泣き喚いたりしない。そんな三郎が、義明の骨を無理矢理取ろうとしてしまった。その際小火騒ぎも起してしまったのだ。 そんな2人を見た高耶は考えた、三郎にも何か……と。 再び市の外れの店を訪れた高耶は、店主に同じものを求めた。だが残念な事に竜の骨、は一つだけで。ガックリと肩を落とした高耶だったが、そこで一冊の本を勧められる。 古い本だった。 表紙の絵は、まさしく炎を吐く竜の姿。しかも絵はリアルで、見たことの無い種類の竜の本だ。 昔昔、竜がいた事は本の世界で読まれてきた。その殆どは子供向けで、確かに竜自体は凶暴なのだが絵は可愛らしいものが多かった。高耶も、義明も三郎もそんな本しか読んだ事がない。 だが、この本は違った。 まるで写真のような、炎も流れる血もリアルで、子供向けとは思えなかった。 迷わず高耶は本を買った、2人の皇子達の為に。 本を見た2人はそして、本に夢中になった。それはもう、高耶の予想以上に。特に三郎は、もう数え切れない程本を読んでいる。普段から余り活動的ではなかったのだが、竜の本を読むようになってから、それは特に強くなった。自分の部屋で夢中になって、本を読むのだ。そして今日それは、壁一面に描かれた竜、となって現れてしまった。 「……うーむ」 子供の落書きを怒る気にはなれない。そもそも子供とは、落書きをしていい生き物、なのだから。だがこのまま落書きしまくったら、 「むーん……」 ゴロン、とベッドの上で高耶は唸りながら回転した。 絵を描く事は良い、好きなものを好きなだけ描いて欲しい。だがそれが壁ではちょっと…… 「……やっぱ拙いか……」 先程の侍女の驚きようを思い出し、高耶はふぅ、と息を吐く。 「スケッチブック」 それしかないのだが、高耶は知っている。そんな小さな紙に描くより、大きな壁に描いた方がずっとずっと楽しいのだと。それでもやはり、ここは三郎に頼みキャンバスを縮小化してもらうしかない。 「よっし」 思い立ったら、と言う事で勢い良くベッドから起き上がると高耶は、飛び出すように部屋を出て行ったのだった。 エチゴの王宮は広大だ。だから何でも揃っている、と考えたのは高耶の思い込みだったらしい。 「……え」 「申し訳御座いません……」 済まなそうに頭を下げる侍従に、高耶の肩も落ちてしまう。 「うん、分かった、そんな気にすんなよお前の所為じゃねぇんだし」 口調は乱暴だが、高耶の優しい声に顔見知りの侍従はもう一度頭を下げる。 八海の雑用をよく言い付けられている侍従なら、スケッチブックのような備品について知っていると思ったのだ。だが残念な事に、書類となる紙の束は大量にあるのだが、子供が絵を描くような紙は見た事がないとの答えが返って来た。 「じゃあ他探してみる」 そう言い残し、高耶は今度は執務室へ向かった。 皇帝である直江が雑務について知っているとは思えなかったが、きっと側にいるだろう八海なら何か知っているかも、と思ったのだ。 早足で回廊を歩き、通り掛かる衛兵や侍女に慌しく挨拶を返しながら、高耶は直江のいる皇帝の執務室へやってきた。 コンコン 「直江ー」 ノックと同時の声を聞いた瞬間、室内にいた直江の表情が柔らかくなる。直江自身に自覚は無く、それは無意識の反応だ。 「どうぞ」 「うん」 そっと扉を開くと、そこには思った通り八海も政務の真っ最中だった。 「これは皇妃様」 慇懃に礼をとる宰相に、高耶も軽く頭を下げる。 基本的に高耶は、出来るだけ直江の仕事の邪魔をしてしまう事を避けている。それはやはり、自分の体験からきているものだ。 リーマン人生をそれなりに送ってきた高耶にとって、仕事の大切さは身に沁みているからだ。だからこうして政務中に、用も無く顔を出す事は無かった。 「何かありましたか?」 そんな高耶を知っている直江も、何か〟用事〝の為にやって来たと分かっている。 「うん……あのさ」 言いながら、チラ、と八海に視線を流した。 「あのさあの……スケッチブック、ってこの城にあるのか?」 「スケッチブック?」 「スケッチブック、ですか?」 同時の声に、高耶はこっくり頷く。 「そ、絵を描く紙」 「……」 何が何処にあるのかなど、直江が知る筈もない。だから高耶は八海に向かって言っているのだ。 「八海、知らないか?」 「……絵を描く……いえ、私は見た事がありません……高耶様がお使いになるのですか?」 「オレじゃないよ、三郎」 「ああ」 なるほど、と納得する八海は、今度は頷きながら答えた。 「それなら教育係の色部殿がご存知かもしれません」 「あーそっか」 ぽん、と手を叩く。 子供と一緒にいる色部なら、そんな授業もしたのかもしれない。 「そーだなー、うん」 八海の返事を聞くなり、高耶は直江に背を向けていた。 「高耶さん?」 「じゃー色部んとこ行ってみるッ」 言うなり執務室を飛び出してしまった高耶は知らない、 「……」 無視された形の直江が、どんな表情をしていたのかなんて。 「……まったく……」 今夜のお仕置き決定、とニヤリと口元を引き上げた男の顔を見なかった事は、高耶にとって幸運だったのか不運だったのか。だが、その様を一部始終見てしまった八海は、 「……」 不幸!以外の何ものでもなかったのは言うまでもない。 パタパタパタ 廊下を走ってはいけません、むか~し何度も言われた台詞だ。だが人間、そう簡単に直るものではない。 パタパタパタ 別に急ぐ必要もないのだが、何故か焦ってしまうのは人間の習性なのか。 パタパタパタ 「はー」 やっと辿り着いたのは、皇子達の勉強をする部屋の前。 「あ」 だが、考えてみれば今、色部は授業の真っ最中ではないか。親である自分が勉強の邪魔をしてしまうなど、本末転倒。 「うむむ」 ここはじっと、授業の終わるのを待たなければ。そろそろ終わる時間だ。 高耶は通りかかった侍従に、終わったら色部に部屋に来て欲しいと伝えてくれ、と頼み今度はゆっくり廊下を歩いて行った。 コンコン 「色部様がおみえになりました」 「どうぞ」 衛兵の声に答えると、扉がゆっくりと開とそこには厳つい顔をした皇子達の教育係が立っていた。 「失礼いたします」 一礼し部屋に足を踏み入れた色部の後ろで、扉が静かに閉まる。 「お呼びだとか」 「そうなんだ」 色部とは既に気安い仲―――と高耶は思っている―――なので、高耶もだらん、とソファに座っていた。そんな高耶の態度に、行儀作法に煩い男の目がキラリ、と光る。 「高耶様」 「んー?」 「仮にもエチゴ皇妃なるもの、人前でそのような……」 「はいはいはいはい」 長くなるのは必至の説教を読み取り、高耶は慌てて姿勢を正す。 「これでいいか?」 「はい」 こほん、と色部は咳払い。 「じゃあそこ座ってくれ」 「失礼致します……それで?私に何か」 「うーん、別にそんな畏まった用事じゃないんだけど」 ポリポリ、と頭を掻きつつ高耶は口を開いた。 「あのさ、色部はあいつらに芸術の授業はするのか?」 「芸術?」 意外な高耶の言葉に、色部は少し驚いてしまう。 「そう、絵描いたりもの造ったり色々」 高耶の説明に、色部は納得したように頷いた。 「いえ、そのような事はお教えしておりません」 「……」 やっぱり…… 確かに国を継ぎ支える皇子達に、芸術方面は必要ないと判断されているのだ。確かにそれは間違っていない、いないがどうも高耶は納得出来なかった。