古風な愛
- ¥ 1,870
華族直江 用心棒高耶 時は明治19年、江戸が遠くなってきた頃。直江は帝大の学友鮎川に連れられ、馴染みの遊廓にやって来た。そこで出会った用心棒の高耶と互いに心惹かれるようになる。だがあまりに違う身分故、末弟を可愛がる橘子爵家は二人の関係を赦さなかった。追い 詰められた二人の取った選択は―― 明治時代・リシアス・華族・遊廓 とある小説のパロ 188ページ 1Cオフセット
明治、身分違いの切ない恋の行方―――
「何も聞かないぞ」 「何も言う気は無いさ」 「……」 先手を打った筈なのだが、相手の方が一枚上手だ。さらり と躱(かわ)され不満そうに唇を尖らせる。そんな表情は幼い頃からちっとも変わらなかった。 「ふふふ」 「何が可笑しい」 「別に」 「……」 拗ねた顔をすると、元々の童顔が更に幼く見えると教えてやるべきだろうか。 「しかしこの男……高耶、お前誰なのか知っているのか?」 「知らん」 だから何だと言わんばかりの態度に、がっくりと肩が落ちてしまう。 「はぁ……」 溜息を一つ吐くと、ゆっくりと諭すように説明を始めた。 「まったく仕方のない……いいか?この人は直江様と言う。元々お得意様だった鮎川様のご友人だ。最近成田屋を利用してくださっている、これからお得意様になっていただく予定の方だ」 「……」 「それも上客」 だから失礼があっては困る、皮肉げに言われ増々顔は不機嫌なものになった。 「……何だよ、譲は放って置けと言うのか?」 店主を〟譲〝と呼んだ男に、成田屋主の表情が緩む。 「いや」 「だったらッ!」 思わず大きな声を出してしまったのは、品川廓の中では大棚の、成田屋が抱える用心棒だ。 成田屋用心棒、仰木高耶は今日店主のお使いで銀座まで出ていた。正直銀座で買い物、など気が進まなかった。だが店主に頼まれては仕方がない。 成田屋には、最近吉原から流れて来るのか〟いい客〝が増えていた。その中でも裕福な平民層が多く、あまり見っとも無い店構えは成田屋の名折れになる。その為銀座の最先端の部屋を飾る装飾品などを取りに行っていたのだ。 無論高耶が品物を選んだのではなく、既に注文してあったものの料金を払いに行っただけだ。もし品物を選べ、などと言われたら、何があっても断っていただろう。もっとも店主にも、この高耶にそんな、一番適していない用事を頼むなどありえないのだが。 大金を持って歩くので、下手な者では不安が付き纏う。腕が立ちしかも、持ち逃げなどしない信用出来る者でなければならなかった。その条件を満たすのは高耶しかおらず、否、高耶以上の適任など存在しなかったのだ。 事情がよく分かっている高耶なので、気が進まないが銀座まで出、きちんと料金の支払いを済ませてきた。そして人力車に乗って品川に戻ろうとしていた時に問題は起きた。 ガス燈の無い通り夜道は闇に近い。だが銀座が近いだけ、まだ少しだけ明るさはあった。そんな通りを人力車の上から眺めていた高耶は、少し先の方に人影を見付けた。 初めは気にしていなかったのだが、近付くにつれ段々と全貌が見えてくる。それと同時に〟異変〝に気付いてしまった。目のいい高耶は男の、様子のおかしさに勘付いたのだ。 奇妙な歩き方から、初めは酔っ払いと思った。だが何だか嫌な予感がして、降りる必要もないのに男の手前で人力車から降りてしまった。 目の前で高耶が降りると直ぐに、男は待っていたように乗り込もうとする。それを見て、何だ、単なる待ち客か、と思い降りてしまった事を後悔した。だがやはり、高耶の勘は正しかったのだ。 一歩目も無かった。乗り込もうとしたその瞬間男は倒れてしまったのだから。 驚く高耶だったが、男の表情は明らかに苦痛を表していて。もしこのまま捨てておけば、朝には冷たくなっている可能性も高いと思った。 考えたのは少しの間だけだ。 倒れた男を人力車に乗せると、高耶は自分も再び乗り込んだ。そしてそのまま品川廓へと人力車を走らせたのだった。 「まぁ話は分かったよ、でも驚いたね、まさか行き倒れが華族の御令息だなんて」 「ふん」 不貞腐れながら、高耶は眠っている直江を見下ろした。 「……」 もし身元が分かっていれば、人足に任せそのまま高耶は帰ってきた。人足も、身元を教えれば謝礼欲しさに喜んで自宅まで送り届けただろう。 「ちッ」 「また……舌打ちなんて」 普段から舌打ちは品が無い、と言われている高耶だが〟品位〝など何の必要も無かった。 「いいだろ、オレはただの用心棒だ」 「……」 決して自棄になっていない、気負いの無い高耶に余計、譲は哀しさを感じた。それを口にしてしまえば高耶に対する侮辱になる。だから譲は、静かな笑みを浮かべ遣り過ごした。 「朝まで起きなければ医師を呼ぼう。後は直江様の自宅に使いを出さなければ」 「面倒だな」 「ああ、でも仕方がない」 親切心で助けたとしても、成田屋で死亡すれば直江の実家、橘子爵から何を言われるか分からない。最悪罪に問われるかもしれない。 相手は金も力もある華族、しがない揚屋が敵う相手ではないのだ。 「っつたく……」 ぼやきながらも、高耶は眠る男をじっと見詰めている。先程までは苦しそうだったのだが、今は静かに眠っていた。 「高耶、もう大丈夫だろう。お前も寝なさい」 「……」 店主の言葉に、用心棒は怪訝そうに振り返る。そんな高耶に譲はにっこり微笑んだ。 「いいから、疲れただろう」 「……ではそうさせてもらおう」 釈然としない顔で立ち上がると、高耶は静かに部屋を後にした。一人残った譲は、じっと眠っている、上客になる予定の男を見下ろした。 「……」 見れば見る程いい男だ。血統も申し分ない。こんな男が馴染みになってくれれば店に箔も付く。 この世界でしか生きられない者は多い。そして成田屋は、そんな女、男達を大勢抱えている。もし成田屋が無くなれば、その瞬間路頭に迷う者も少なくないだろう。 見目の良い遊女は他の店に移れると思うだろうが、実際はそう簡単にはいかない。 品川廓で隆盛を誇る成田屋をよく思わない店は多く、きっと働いていた遊女に手を差し伸べる事はないだろう。店に入れなければ、末路は暗澹としたものとなる。 四民平等などと謳い明治維新は成されたが、蓋を開いてみれば、結局何も変わっていなかった。権力は集中し、彼らは決して欠片も零そうとはしないのだ。 底辺で生まれれば、底辺で生きていくしか道は無い。上へ浮き上がれる事はなく、女達はもっと悲惨な人生を送らねばならないのだ。 躯を売った女が、普通に結婚し普通に生きる、そんな事はまず不可能と言っていい。働いている間に、囲ってくれる〟旦那〝を見付けられれば運が良いと言えよう。それが決して〟幸福〝とは程遠いものだとしても。 「ふぅ……」 だから、と思う。 だから成田屋を潰す訳にはいかない。成田屋店主成田譲には、この店を守り、同時に働く、ここでしか生きられない者達を守る義務があった。 成田屋で働けるのは、とても運が良い事なのだ。それは働いている遊女が一番よく分かっている。 仕事に関しては厳しいが、遊女としての権利と安全を責任を持って守ってくれる店主がいて、頼りになる用心棒もいる。そんな店が、一体どれ位あると言うのか。 他の店から移ってきた遊女は、ここは極楽だ、と仲間の女郎に語っていた。 成田屋の安定の為には、上客は一人でも多い方がいい。そだから、 「ここで死んだりしないでくださいね」 無意識に、口から零れていた。店主の小さな声を聞く者は誰もいなかったのだが。 しばらく男の様子を観察していた譲だが、もう大丈夫だろう、と腰を上げた。本当ならもしもの時の為に、ここで布団を並べて寝た方がいいと分かっている。だが譲には、どしてもこの男と並んで寝る気にはなれなかった。もし高耶なら、そうしただろうか? 「……」 あんな風だが責任感はかなり強い。それは幼い頃から変 わっていなかった。あんな事さえなければ高耶は、こんな場 所にいる人間ではないのだ。 「……」 思い出してはいけない。例え思い出したとしても、思い出した顔をしてはならなかった―――高耶の為に。 「まったく」 溜息混じりの声は、とても優しいもので。そこには皆に見せている、厳しい店主の顔はなかった。