マツモトエレヂー Wake Me Up When September Ends
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依頼人 探偵高耶 マツモトは、時間に取り残されたような不思議な空気が流れる街だ。この街マツモトに、私立探偵仰木高耶はいた。ある日高耶の元に一人の依頼人が訪れる。 男はこの街マツモトの名家である直江の家の者だ。いい客がやって来た、と内心喜ぶ高耶はだが、異様とも言える依頼内容に言葉を失ってしまう。 「死体を見付けてください、私が殺した死体を」 こうして私立探偵仰木高耶は、不可思議な世界へ引き摺り込まれていくのであった。 2004年発行再版 148ページ オフセットフルカラー マツモトエレヂー 188ページ オフセットフルカラー Wake Me Up When September Ends(マツモトエレヂーの続編) 2冊セット
この街マツモトには、探偵仰木高耶がいる―――
オレの名前は仰木高耶。本名だ。 オレは、オレの生まれたこの街マツモトで探偵をやっている。オレには2つ下の妹がいる、美弥だ。美弥は兄貴に似て、イヤ、それ以上にしっかりしていて優秀だ。 美弥はこの度めでたく高校に入学して、オレはそれを心から慶んだ。オレの夢は美弥を立派に大学までやり、倖せに嫁に行かせる事だ。その為に毎日がんばって働いている。 机の上に飾ってある写真立ての中で笑ってる、美弥と自分。 「美弥、お兄ちゃんがんばるからなッ!」 マツモト――時間から取り残されたような不思議な街。ノスタルジィ漂うマツモトには何処か、懐かしいような切なさを感じさせる空気が流れている。そこに、ある探偵事務所はあった。 マツモトキネマ、それはマツモトの街外れにある古ぼけた映画館だ。券を買い扉を潜って入り口右側、建物に比例した老朽化した階段を上がると突き当たりに木製のドアがある。 ドアには『私立探偵仰木高耶』と書いてある傾いた小さな看板が引っ掛かっていた。 ドアの開き部屋に入ってみるとそこはガランとした部屋があり、色彩はセピアだ。アンティィク、と言えば聞こえはいいがソファセット、机、椅子、帽子スタンドに至ってかなりの年代もので。窓の前にある机は妙に大きく上には写真立てがある。写真の中ではまだ幼い、小学生位の男の子と女の子が笑っていた。ニカッと笑う顔に傷があり、2人のやんちゃ振りが伺える。 ************************************************************* 「私立探偵仰木高耶です」 軽く頭を下げると男も倣って一礼し、名前を名乗った。そして探偵は男の名前を知った。 「―――直江、信綱です」 直江? 「……」 感じた違和感を綺麗に隠した探偵の前に、珈琲が置かれる。先程御茶を頼んだ美弥であった。気配を消していたのか突然の妹の登場に、探偵は内心驚いてしまう。 「どうぞ」 そう言って依頼人の前にも同じものが置かれた。側に来るまで気付かない程、男の観察に集中していたらしい。が、気付いた途端に途端に鼻を擽るのは珈琲の香ばしい香りだ。男は美弥に一礼すると、早速珈琲カップを手に取った。 「……良い香りですね」 「分かりますか?」 珍しく機嫌の良い声を出す美弥の心中など、探偵には良く分かっている。 妹の美弥は珈琲好きだ、マニアと言ってもいい。サイフォンやエスプレッソマシンが、年代を感じさせる台所に大きな顔をして居座っている様子は何時見ても違和感を持ってしまう。尤もそれを、探偵が触る事は無いのだが。 「ええ、私も珈琲が好きですので」 「……」 少女を談笑する男を盗み見た。 直江―――聞いた名に、探偵は必死に記憶の棚を引っ繰り返してみる。すると間も無く出てきた。 そう〝直江〟とはこの街マツモトの古くからの名家で、代々続く由緒ある家柄だ。権力も財力もまた、名誉さえ手中にしている。その直江家とこの依頼人は何か関係があるのか? 「……」 訊いてはみたいが、まずは依頼内容だ。内容に因って判断出来る可能性もある。もしも思った通りの〝直江〟だとしたら―――面倒だ、漠然とだがそう感じてしまった。 面倒は面倒でも、仕事は仕事。キッチリやる以外無いのだが、それでも出来れば遣り易い方が良いに決まっている。内心グルグル考えを巡らせながら、依頼人を盗み続けた。 「……」 探偵を訊ねて来る者は、当然だが皆問題を抱えている。だから表情も暗く思い詰め、緊張感を漂わせているのだ。少し前、初めて目にしたこの新しい依頼人も多分に漏れずそう言った雰囲気を纏っていたのだが、この少女との会話で少しは肩の力が抜けたようだ。玉には役に立つ―――当人が知ったら、間違いなく踵落しを食らうだろう事を探偵は密かに思った。しかし、 「美弥……」 呆然と手に持った珈琲カップを見詰めながら言うと、美弥は少女はにっこり微笑んだ。 「……」 探偵の珈琲嫌いを知らない筈の無い少女に、こっそり溜息を吐いてしまう。 「……何でもない……じゃあもういいから」 そう言って手を振ると、少女は珍しくそのまま部屋を出て行った。後で色々訊かれるだろうが、この仕事は秘密厳守が鉄則だ。いくら身内でもその辺は兄も妹も分かっているだろうが、それでもギリギリまで突っ込んでくる妹に、何時も探偵は苦労しているのだ。 ギギギ――― 静かだが軋んでいる音が部屋に落ち、そして残されたのは探偵と依頼人と珈琲の香ばしい香りだけで。 ホ、と一息吐くと、口を開いた。 「さて」 顔を引き締めた探偵は、真っ直ぐ依頼人を見詰める。追い詰めてはいけないが、ここで一気に話して貰わないと後々面倒なのだ。 「直江さん、でしたね」 「はい」 真っ直ぐに見る、と言うよりもジロジロ見られて不思議に思ってしまう。 「? 何か?」 依頼人の不思議そうな顔に、探偵は首を傾げた。 「いえ……随分お若いな、と」 その言葉に憮然となりそうな表情を、意識して引き締める。 「……確かに若いですが……気になりますか?」 まだ若い探偵は、しばしば依頼人にその若さ故不安がられる事があった。それは多分に探偵を不愉快にするもので。今も顔には出さないが、心の中では、またかよ、と呟いてしまう。 若いと言っても場数は踏んでいるのだ。見返してやりたい気持ちもあり、探偵はまだ知らぬこの依頼を完璧に遣り遂げてやる、と一人噛み締める。 「あ、いやそんなつもりは」 笑みを浮かべながらの言葉は言っている程、悪いと思っている様子は無い。一体この色男が何の用だ、と訝しんでしまった。 「まぁ、自分は確かに若輩者ですが、仕事に関してはプロですので安心してお任せ下さい」 ニコリ、と人当たりの良い笑顔。 これは本音だ。怪しげな仕事でも、何とかこなしてきた自負は探偵にはある。 「ええ……」 薄く笑う笑みに翳りが差す。そこに奇妙な予感を覚えたが、取り敢えず気付かない事にした。 「さぁ、話てみて下さい」 「……」 が、愛想良く笑う探偵に依頼人の表情は見る見る蒼褪め、そして唇を噛み締め俯いてしまった。 先程は美弥と穏やかに会話をしていた男の変化は探偵を戸惑わせるもので、一体何がこの男の身に起こったのか―――嫌な想像を働かせてしまう。 「直江さん?」 「……」 何を考え込んでいるのか、男は俯いたままだ。この場合無理矢理聞き出すのは拙いかもしれない、そう思った時、男はゆっくり上げた。だがその顔を見て探偵は眉根を寄せてしまう。蒼白に近い顔色は酷く、今にも倒れそうだ。 「直江さん?ご気分でも」 良い、筈がない。一瞬で見て取れる顔色の悪さなのだから。 「……」 「なら横になりますか?」 優しい気遣いは、下心込みだ。 見るからに金を持っていそうな男。もしもあの〝直江〟ならば尚更だ。依頼を受けると決めたら気に入られて損はない、顔も広そうだ。何しろこの仕事、口コミや紹介の占める割合を馬鹿に出来無いのだ。 金持ちの知り合いはまた、金持ち。こんな素敵な循環を逃す手は無いではないか。 「直江さん?」 ゆっくり開く唇から、探偵は目逸らせなかった。 「……を」 男の言葉に、知らず息を呑む。 「え?」 震える唇は、何を物語っているのか。 「何、です?」 ドクン 心拍が跳ね上がるのを、躯の奥の方で感じた。 「死体、を……」 「…ぇ?…」 「死体…を…」 「――――死体を……」 ――――死体を探して下さい――― 「……え…?」 落ちる沈黙。 そして壁に掛る時計の音が何故か、蟲が蠢く音―――羽が擦れ合う音に聴こえた。それは酷く耳を刺激していたのだった。