【綱塔】地球往復デイズ
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■A6/54P ■綱海と塔子ちゃん。短編7話。 ■閉鎖済のサイトの綱塔テキストを加筆・修正したものです。書き下ろしありです。
地球往復デイズ
月は彼方で、宙の上。 進んでみたら、地球は真下。 この手で切り張り、太陽に。 まぶしさにもう、涙も舞った。 アテンションプリーズ、と抑揚のない落ち着いた音声が、ガラスの向こう側で小さな花弁を震わせた。 ああ、日本久しぶりだ、稲妻町も、と足元でぴかぴかに磨かれたフロアをあたしの革靴は踏み締める。あたしは海外旅行が初めてなわけでも慣れていないわけでもなかったけど、どうしてなんだか、日本に到着した刹那に安堵した。やっぱりホームなのかな、と自分の気持ちを不思議に感じる。稲妻町に家があるわけでもないけど、となんだかおかしい。 はあ、とついつい息を吐き出した。三月って、年度末ってなんでこうなんだろ。その年の区切りになる月だからって、なんとか成果を出そうとするのか、スケジュール入れ過ぎだよ、財前首相、と溜息だ。 パパはタフだからいいのかもしれないけど、周りが保たないよ、と苦笑したあたしも結構パワフルだ、と評されることが多い。それはぜんぜん否定しないけど、むしろ誉め言葉だと受け取るけど、年がら年中元気なわけもない。 毎週毎週、月曜に海外に出張で移動して、現地を視察して相手国のお偉いさんや有力者に挨拶して会談して、金曜夜にパーティーやってまた挨拶して、週末に帰国して、次の月曜にはまた鉄の機体の中で空の上だなんて。ひょっとして、これがウワサのブラック企業ってやつ、と吹き出しそうになった。企業じゃないけど。会社じゃないけど。 ふふふ、となんとはしに少しだけ笑う。元気の出ない時は無理にでも笑うと、それだけで元気になれる。なんて言われたりするけど、笑えない時は笑えないよ、と心底あたしは思う。そういられたら、かっこいいけど。 でも、ついぞ数秒前にわずかに頬が持ち上がった財前塔子十四歳は、一パーセントくらいのパワーを取り戻した感じがする。ふむ、とかすかに首を傾げる。そうか、一応有効ってことなのかな、と頷いた。 あたしは、わりとポジティブな方だと思う。はっきり言ってそんなにネガティブじゃあない。たまにネガティブ寄りになることもあるかもしれないけど、それは当然パワーのパーセンテージが落ちてる時だ。 ちょっと疲れたな、と稲妻国際空港の到着ロビーでスーツケースを放り出しそうになるあたしは、このまままっすぐ空港の出口に向かって歩いていけばいい。パパはもう、一足先に首相官邸に戻ってしまった。あたしも空港出口で待ち構えているだろうタクシーに荷物を渡して、後部座席で半分眠りながらうちを目指したらいい。 それでいい、んだけど。 うーん、と小さく唸りながら、スーツケースを引っ張るあたしはふわふわとふらふらとしていて、なんだか酔っぱらいみたいだ。だって、やっとオフなんだよ。今日このあとと明日だけだけど。明後日からまた海外だけど。どこだったっけ。プラハだったような。てことはチェコなのかな。忘れた。 そうだ、お茶飲もう、と到着ロビーの先に鎮座しているカフェのスツールとテーブルを横目に、つるつるとあたしのスーツケースは滑らかにフロアを滑った。カフェラテがいいかな、それとももっと甘いやつ、と店舗入口の代わりになっている大きなポスターを見やる。 ピンクが満開になったそれが、とても春らしくあたしの視界の中で溢れた。あ、桜のお茶だ、と目線を投げれば、誰かの髪色を思い出した。フロア床からあたしの腰あたりまであるポスターは、桜色と黄緑色で世界と日本と稲妻町を席巻する。 ぴたり、とあたしの革靴もスーツケースも動きを止めてしまって、あいつ、今どこにいるんだろう、と心に浮かぶ。いや、沖縄に決まってるんだけど、とゆっくりと振り返れば、電光掲示板がぴかぴかと反射して、日本列島の南端の都市名を表示した。 ぱちり、と財前塔子はまばたきをする。稲妻国際空港は「国際」と名がついているからには、海外への便が多く出発して到着する。でも、数年前から国内線も乗り入れをしていて、とぼんやりと気持ちが膨れ上がる。自分の心に浮かんだ考えに、おいおい、落ち着けよ、と冷静に対処しようとした。 那覇まで飛行機で飛んでも、それからまた船だし、大海原。なんて思考は海外で経由便を乗り継いだこの身には、さっぱりと足かせにはならないみたいだ。なんでだろう。摩訶不思議。 だって、三時間もかからずに那覇まで着く、と時刻表示で気づいてしまったら、どきどき、とやたらと胸が鳴る。ぎゅんぎゅんと高速回転しているあたしの脳内は常春みたいな島の空を想像しては、なんだか無性に期待をしてしまう。 エメラルドグリーンの海。ホワイトの波。スカイブルーはうっすらと綺麗に上空で踊る。まだ灼熱じゃあない。じりじりと照りつけない。今だったら、稲妻町の五月くらいの気温なのかな。初夏っぽいゴールデンウイークみたいな? 分かんないや。知らないや。そんなことないかな。沖縄もまだ春なのかな。風は、空気はひんやりしているだろうか。 とくとくとく、と心臓は音を鳴らす。まぶたを伏せたら、あたしのまぶたの裏側で綺麗な景色が浮かんだ。想像だけど、思い出してみる。イナズマキャラバンに乗り込んでみんなで行った沖縄は、ぎらぎらとする真夏の太陽だった。でも、今は違うはず。夏ではない沖縄が、あたしを待ってる。 待ってる、ってどういうことだよ、とおかしくなった。唐突に吹き出した。誰も待ってない。あたしが行きたいだけ。春の沖縄を見たい。どんな空でどんな海でどんな日差しなんだかを知りたい。 そして、それから、できたら、あわよくば。 真冬でもドライスーツにサーフボードなんだから、春になったら海にいるに決まってる。まだ海水は冷たそうだ。でも、ひょっとしたら、もうあったかかったりするんだろうか。これも知らないや。確かめよう。腕を突っ込んでみよう。シャツの袖まくらないと。 春の沖縄って混んでそうだ。夏ほどじゃあないかもしれないけど。でも、まだ春休みじゃあないし、と考えてから、あ、大学生ってもう休みに入ってるのかも、と思い当たる。そうかあ、中学生はまだ学校だけどな、とかすかにうなだれる。このところ登校してない。 うーん、チケット高そう。ていうか、席取れなさそう。キャンセル待ちするとか、と背後の国内線のカウンターを見やる。あ、でもここ到着ロビーだ、行くならこの階下の出発ロビーのカウンターに行かないと。 それはちょっと面倒かな、と思考するあたしは、どうにもこうにもポジティブではないみたいだった。ただ少しだけスーツケースを引っ張っていって、エスカレーターで一階分降りるだけなのに。 ああ、ここが出発ロビーだったらよかったのに。そうしたらさ、運よく席が空いてたりしたらさ、スーツケースはまた渡しちゃって、今度は国内線の航空機のシートに体を預けて、のんびりと眠れたりするのかも。 春の沖縄、見たかったな、と小さく肩を落として、到着ロビーに背を向けた。うらみがましく那覇―稲妻国際(東京)の表示がぴかぴかしている電光掲示板を振り返る。到着時刻は二十分くらい前。沖縄から稲妻国際空港へきた人たちがいるんだ。訊いてみようかな、今沖縄は春ですか初夏ですか、って。きっと彼らなら知ってる。あたしの知りたいことを。沖縄の、那覇の、大海原の、季節を知ってる。 でも、ちょっと唐突だよなあ、と日本人らしい思考でエスカレーターへ向かってスーツケースを引こうとした瞬間、あたしの視界の端っこに、薄いピンク色のそれが開けた。 高さにして、あたしの目線よりも三十センチくらいは上空。桜色。ビビッドピンクじゃあないそれは、そうだ、今稲妻町で開花の準備をしている花みたいな。ピンクはピンクなんだけど、うん、桃色でもいいかも。 なんで、とこの身が呆然としたのは一瞬だけだったみたいで、あたしはその桜色に向かって駆け出していた。スーツケースなんて置き去りだ。ごめん、あとで取りにくるから待ってて、ちょっとだけ。 まったく、仕方ねえな、とか誰かの髪色にそっくりな長方形のそれが、到着ロビーの照明の真下で笑ったみたいだった。 ◇ 「綱海、綱海、綱海、綱海、綱海!」 「……あ!? 塔子、なんでお前」 「綱海、綱海、綱海!」 「……お、おう」 「綱海!」 「どうした」 「あのさ、沖縄は、那覇は、大海原は、今は夏!?」 「いや」 「じゃあ、初夏!?」 「違う」 「それなら、春!?」 「今は三月だし、まあ、日本全国どこも春だろ」 「そう?」 「おう。なんだよ、稲妻町は春じゃねえのか」 「ああ、ええと、分かんないや……」 「あ?」 相手の名前ばかりを連呼して、その高い背に抱きついたら、綱海条介はそれはそれは仰天したようだった。あたしはそんなのはお構いなしに、那覇から二時間以上かけて、空を駆けてきた姿に問う。 よほどびっくりしたのか目を見開いて、それでも財前塔子の体を抱き止める。そのへん躊躇しないよな、とか思う。自分からはそういうことしないくせに、とかも思う。くる者拒まずなのかな、とおかしくなった。 突然の質問に頭上の頬が引き釣る。なに言ってんだ、って顔がありありと目の前にある。嬉しいのはなんでだろ、と思う。綱海にしてみたら、那覇から飛行機で稲妻国際空港まできて、突拍子もなく財前塔子が出てきたら謎でしかないはず。だって、待ち合わせとかしてないしさ。なのに、綱海はあたしの問いに答えてくれる。そういうとこ好きだ、と思った。 「よく分かんない。あたし、ずっとパパと一緒に海外出張で」 「あ、テレビで観たぜ。ロンドンとニューヨークに財前首相訪問、って」 「それは先週と先々週! 今週はパリだったよ」 「フランスか。えっと、ボンソワール?」 「そうそう、それ」 「財前首相、元気か? テレビだと元気そうだったけど」 「パパはタフすぎるよ! あたしはもう、海外はお腹いっぱいだ」 だからさ、沖縄に行きたくて、の科白の途中で気づいてしまった。ドン、とまるでぶつかるようにしがみついたあたしを綱海の腕は抱き止めて、手のひらはそのままあたしを支える。背中に、綱海の手。全力疾走していたから、顔面がその胸にぶつかった。ユニフォームでもドライスーツでもない、それ。 なんか顔が近い、と真っ直ぐに見上げているのが照れくさくなって離れようとした。でも、どうしてだか綱海の腕はあたしの背中に回されたままで、どきどきと心臓がせわしない。無性に気恥ずかしくなって、わずかに視線をそらした。 不思議そうにした唇が「あ」と短く発して、あたしの背中を支えている腕と手のひらをじっと見やった。ぱっ、とその手を稲妻国際空港の宙にかざした海の男は、手首はあたしの背中に触れたままだ。空虚になった手のひらと指先を持て余すのか、こう問うた。 「えっと、放すか?」 「なんであたしに訊くんだよ」 「だって塔子だろ、先にそっぽ向いたの」 「そうだよ。でもそれは関係ないだろ」 「あるだろ。嫌なのかって思うだろ、こっちは」 「違う。そうじゃない。ただ、ちょっと……」 「ちょっと、なんだよ」 「ちょっと、ちょっとさ……」 「なんだよ」 「綱海が……」 「オレが?」 「綱海の、手が……」 「あ?」 背中であったかいから、照れくさくて、と不機嫌そうな目線にぶつけてみれば、今度こそばあっ、と焦げた腕と手のひらが空を舞う。あ、離れた、となんとはなしにさみしくなる。でも、これで気恥ずかしさからは解放された。なんか、逆に焼けた手の甲が照れくさそうにしてる。 綱海は体温高そうだもんな、と勢いよくぶつかったシャツの胸を思う。あったかかったかな、どうだったかな、と不可思議になった。夢中だったから覚えてないや。でも、確かめるためにまたくっつきにいくわけにもいかないし、と苦笑した。 ふと、そうだ、と閃いた。綱海、と声をかけてその両手を持ち上げる。ぴたり、と焦げた手のひらを頬に当てたら、あたしのほっぺたはぽかぽかとした。なんだか、熱があるみたいだ、とふわふわする。でも、なんとはなしに気持ちいい。これはなんでだろ、とあたしは摩訶不思議。 頬と顔を綱海の両手で包むみたいにしてみたら、あったかい体温が伝わる。やっぱり体温高いな、と思う。三月の稲妻町は少しひんやりする日もあるけど、この温度があったら、きっと寒さなんて知らない。 まぶたを伏せてその手のひらの温度を堪能した。ああ、これはたぶん、大海原の熱だ、と嬉しくなる。沖縄へ飛行機で飛ばなくても、あたしは大海原の春を知る。春よりも初夏に近そうな温度だ。綱海は春だ、って言ったけど、大海原は実は初夏なんじゃないのかな、と思った。 うん、分かった、大海原の春、とまぶたを持ち上げたら。 とんでもなく目を細めた焦げた顔が、至近距離であたしを睨む。 綱海はなんで稲妻町にきたんだ? の質問には。 合宿、イナズマジャパンの、と短く赤い頬が答えをくれた。 (あたしも行く! と叫んだら、呼ばれてないだろ、と海の男は笑って見せたんだ)