fill me in (下)
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12月8日【夢中物語2】にて発行 fill me in (下) ちづ(←)みか/文庫/90p ◯東雲に入学した巳影が千鶴に恋をするまでの話 ◯付き合わずに終わる ●巳影の入学理由、一年生時等捏造 ◯巳陽がわりと出ます ◎巳影とモブ女性との絡みが一瞬あります ◯上記モブが少し喋ります ◎上下巻の下巻となります。これにて完結です あんしんboothパックでの発送になります。
本文サンプル
(前略) 「またお前か…」 「まあ、でしょーね」 にこり、と笑って頬杖をつく。今日明日の授業におけるペアを発表された頃から、千鶴の嫌そうな視線は何度も送られていた。洋介によって造り出されたゆめ世界の、順番待ちのモニタールームに乱雑に置かれたテーブルのひとつに座っていた巳影をじとりと見下ろして、千鶴は大きく肩を竦める。巳影と同じく、千鶴もすぐにシステムに順応した方の生徒だ。とはいえ彼は、ペアである仁以外と組む時にひどくやり辛そうではあるのだが、まあペアの相手と問題なければ当面は関係無いだろう。 「今日もヨロシクね千鶴ちゃん」 「だからそれやめろ」 「あ、ちづちゃんの方がイイんだっけ?」 「ゆめの中で怪我したり死んだりしたらどうなるか気にならない?」 「お、それわりと気になってたんだよね。一回やってみる?」 「そちらがどうぞ」 にこり、と綺麗に笑みを作る千鶴に、巳影も改めて笑顔を作り返す。表向きにこにこと和やかなそれに、次の順番の為に脇を通った幽がびくりと肩を揺らし、柳は苦く笑って視線を逸らしていく。 先日聞いたところによると、もはや巳影と千鶴の関係はある種名物になっているらしい。人を勝手に見世物にするな、とその時は笑ったけれど、皆が遠巻きにするおかげで下手な邪魔が入らないのは面倒が無くて良い。 (中略) 「最近ずいぶんお気に入りだね」 「んー?」 何だ、と目を開けば、顔に覆い被さるように派手な長髪がかかっている。ホラーかよ、とのんびり瞬きつつ、手探りで眼鏡を探し出した。かける頃には、桃色の髪は既に離れている。 校舎裏のスペースでうとうととしていたのは昼休みのはずだ。以前に湊が気持ちよさそうに寝ていたのを見かけたことのあるこの場所は、ほとんど人通りの無い静かな場所だ。この辺りを縄張りにしているのだろう野良猫を見つけたのもここで、さっきまで彼の姿もすぐ隣にあったのだけれど、巳影が寝ている内にどこかへ行ってしまったようだ。横向きに芝へ伏せていた体をのんびりと起こす。 座ったまま、ぐ、と両腕を伸ばして伸びをすれば、頭の隣にしゃがみ込んでいたらしい柳が改めて腰をおろした。優雅に長い髪を耳にかけて、のんびりと景色を楽しむかの如く宙へ視線を投げている。 「なに、避難?」 「まあそんなところ」 ふあ、と小さくあくびを漏らして、スマートフォンを取り出す。よく眠った気分だったが、まだ昼休みは終わっていなかった。 (中略) 「そー言えば今日はひとりなの?」 探りを入れるというよりは確信を持って放った言葉に、淀みなく動いていた千鶴のフォークが止まる。だいせいかーい、と胸の内だけで呟いて、巳影は素早く指を動かして、巳陽へのメッセージを打ってしまう。情報提供でのギブアンドテイクは日常で、どちらが先に声をかけるかが優位性に関わってくる。情報の有益性はともかく、早くに連絡しておくにこしたことはない。 「ワンちゃんはご主人サマに置いてかれちゃったの」 「うるさい、うざい」 おやおや、と肩を竦める。これは本格的に調子が悪いな、と思わず苦く笑って、メッセージを打ち終えたスマートフォンの画面を消した。改めて正面へ視線を戻せば、中途半端にパスタに突っ込んだまま、フォークは完全に放置されてしまっている。いつも鮮烈な光を宿す紅色は、どこかくすんで見えた。 「そんなにしょんぼりしちゃって、ちょっと留守なだけでしょ?」 「…別に、」 「うーん、じゃあ、気晴らしでも行く?」 「は?」 ひょい、と指を伸ばして、千鶴の皿に残っていた海老を一尾摘まみ上げる。ぱくり、と齧れば、細い眉が怪訝に顰められた。ソースのついた指先をぺろりと舐めて、にこりと笑う。 (中略) 「はい、返すね」 「……なに企んでるの」 「別に、オレもごはん食べようと思ってただけだけど」 「……ふうん」 不審げな視線を隠そうともしない千鶴は、それでもマグカップを受け取る。まだ夏の暑い時期でもないのだから、もう少し温かいものを食べればいいのに、とだけ思った献立だったが、思いのほか口には合ったようで、千鶴はマグカップに口をつけた後、すぐにフォークを差し込む。昼間にパスタを操っていた所作は何だったのか、と思えるほど雑にフォークを握る手は、意識をタブレットへやっているからか既にひどく疎かで、巳影は思わず笑ってしまう口元を隠す為にサンドウィッチに手を出した。齧りつけば、バリ、とバゲットが軽やかな音を立て、舌にはチーズの塩味と卵の甘味が広がる。 「ていうか何か食べてたんじゃないの」 「いや?まあ食事はあるにはあったけど」 「へえ」 「なあに?興味ある?」 「全然。まあ愚民たちにはそんな趣味の悪い香水が移るくらい楽しいんでしょうけど」 「うーん、やっぱり酷い?」 「今すぐ出てってほしいくらい」 「えー、せっかくごはん作ってあげたのに」 「勝手に作ったんだろ。頼んでない」 「あ、大丈夫、頼まれると作りたくなくなっちゃうと思う」 「大丈夫、頼むわけないと思う」 「そー?じゃあ要らない?」 「私のバゲットですよねそれ」 「素直に食べるって言えばいーのに」 くすくすと笑って、もうひと口サンドウィッチを齧る。簡単に作ったけれど、ひどく美味しく感じた。退屈だった気持ちも、いつの間にか上向いている。 (中略) 穏やかな気候は気持ちがよく、青い空は夏の近さを感じる。その前に梅雨が来るのだけれど、今年はどうやら短く終わるらしい。雨が降ればバイクに乗る機会が減るから、巳影には朗報だった。 うとうととする気分はそのままに、ゆるりと目を開ける。どこにいるのだっけ、と思い返すより前に、遠くに建物が見えた。校舎の見慣れた角度から、いつもの裏庭か、と納得する。ここにいるとどうにも眠くなってしまうのは、何も湊だけではない。湊に限っては別に場所などは関係ないのだろうけど。 視界は鮮明だけれど、どうやらもう眼鏡は外しているらしい。どういうことだ、と思う前に、芝を踏む足音が聞こえた。視界に入った革靴にゆるりと顔を上げれば、鮮烈な紅色の瞳と出会う。 「こんなところに居た」 小さく肩を竦めて、千鶴はすぐ隣までやってくる。眠気が強くてどうしようもない巳影は、そのままその場へしゃがみこむ千鶴の顔を見ているしかない。 「巳影?寝るの」 聞き慣れた声音で、聞き慣れない音が紡がれる。慣れないけれど違和感のないそれは、どうにもすとんと心へ落ちるようで、巳影は重い瞼をゆっくりと瞬いた。首を傾げた千鶴の髪が柔らかく揺れる。 眠いな、と思う気持ちは言葉にはならない。どうにも口唇は動かなくて、巳影は代わりに左手を上げた。千鶴のソーダ色の髪を掬って、耳へかける。丸い耳は頬と同じ白さで、細い髪は艶やかで指通りが良い。巳影が睫毛を揺らせば、千鶴は少し首を伸ばした。露わになった白い頬に、するりと手を滑らせる。さらりとした肌が触れて、千鶴は巳影の手に擦り寄るように頬を寄せた。紅色の瞳が、柔らかく細められる。 (中略) 『ところで巳影』 「んー?」 じゃあ、と通話を切ろうとしていた巳影は、壁から離していた背を元に戻す。 『いつ戻ってくるん?そろそろ飽きたやろ』 「あー……それなあ」 『巳影、だいたいなんでも数ヶ月で飽きはるやろ。一学期保ったらええ方ちゃうん言うてたんやけど』 巳陽の声を聞きながら、ぼんやりと自室のドアを眺める。 「言うてたって、誰とやねん」 (後略)