1mm
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7月25日TRC【Ambition’s Bible9】にてコピー本で発行したものを文庫にリサイズしました。 内容は同じです。 1mm あいゆづ/文庫/78p ◎愛染×唯月 ◯唯月が19歳の時くらいの気持ち ◯回りくどくてめんどくさい態度のけんけんに唯月がぐるぐる考える話 ◎どハッピーエンド ◯序盤に双子の弟がわりといます(距離が近いです) ☆☆表紙は大好きなお友達よるさんにお願いしました! ◯サンプルはランダム抜粋しています。 ◯あんしんboothパック(ネコポス)での発送になります。
本文サンプル
部屋で着替えるのと一緒に持ってきたヘアゴムで後ろ髪を適当に結った唯月は、そのままゆるいシャツの袖を捲り、流しで手を洗う。タオルで水気を拭きながら、冷蔵庫を覗いた。三日前に少し遠くの業務用スーパーでバラエティのロケがあった明謙が、ついでにと帰りがけにたくさん買ってきた食材がまだいくらか残っている。 一度冷蔵庫を閉めて、ダイニングの椅子に引っ掛けられているエプロンを取る。黄色のそれは、今朝の当番だった遙日が置いたままにしていたものだ。唯月にも自分のエプロンがあるけれど、別にどれでも良い。遙日の黄色に限らず弥勒の深緑や明謙の紺のエプロンだって勝手に拝借するが、初めは色違いで四着揃えた意味が無い、と笑っていた三人も、もう今となってはほとんど何も言わない。 冷蔵庫の中身を頭の中で反芻しながら、唯月はダイニングの端にある食材庫にしている棚を開ける。常温保存のものは全てここだ。男が四人も暮らしていれば、冷蔵庫だけではどうしても足りない。こちらは近所のスーパーで買ってきた人参とキャベツ、ジャガイモの袋を取り出した。今夜のメニューは和風ポトフと小松菜と油揚げの胡麻炒め、大根とチキンのサラダに決めた。ポトフを多めに作れば量も問題ないだろう。 料理は割合に好きな作業ではある。気分が乗らない場合はひどく面倒に思えるけれど、そうでも無い時には適度に無心になれ、ストレス発散とまではいかずとも、小さな達成感を何度も味わえる時間はそれなりに有意義なものだ。 本来、今日の夕食当番は弥勒だった。明日からロケで遠方へ出るのを理由に、明後日の当番と変わってもらったのだ。 そう、明後日は仕事で居ないから、変わってもらったのだ。決してストレス発散がしたかった訳では無い。 自分に言い聞かせるように内心で呟いて、唯月は皮を剥いた人参をざくざくと切っていく。大きめの乱切りはいくら本数が多くてもすぐに終わってしまい、切った人参を水を張った鍋へごとごとと放り込んで、火を点ける。弱火にしてからジャガイモの皮を剥き始めたところで、小さくため息をついてしまった。 ストレスでは無いのだ。正確には、まだ、ストレスにはなっていない。最近の唯月の頭の中の何割かを常に占めているその事柄を、考えるのは苦でもないし、怒りも苛立ちも無い。ストレスというには中途半端な悩みは、僅かに唯月の心をもやもやとさせるばかりだ。そもそも、何故自分が悩まなければいけないのかも判らない。 皮を剥いたジャガイモをそのまま包丁でざくざくと切る度に、少しすっきりする気持ちと、新たに湧いてくるもやもやとで、眉根は僅かに曇る。冷蔵庫から取り出した玉ねぎを切り始めたところで、玄関が開く音がした。小さく首を振って、皺の寄っていた眉間を解す。 「たっだいまー!あれ、今日の当番唯月だっけ?」 「おかえり、はる」 勢い良く扉を開けた遙日に、一度首だけを回して返事をする。まだ着替えていない彼は、そのまま持っていたバッグをリビングソファに置き、手に提げていた紙袋をダイニングへ持ってくる。 「明後日居ないから、とのと代わってもらった」 「あっ、そうだ…!もう明日から居ないじゃん〜!」 ぐしゃり、と悲惨な顔になった遙日は、ジャケットを脱ごうとしていた手を止めて、ふらふらとキッチンへ入ってくる。ちょうど玉ねぎを切り終わったところだったから、唯月は包丁を置いて、半身で振り返ってやった。挨拶のハグとビズをいつも通りにしたけれど、遙日には一気に覇気が無くなっている。 「五日も会えないなんて…」 「ふふ、電話するから」 「絶対だよ…」 ぐすん、と泣く様子まで見せる遙日にくすくすと笑えば、先程まで心を占めていた靄も少しは晴れるというものだ。やはりこの片割れの弟は、可愛くて、大切で、頼もしい。 「判ってる。はる、着替えたら手伝って」 「はーい!って唯月俺のじゃんそれ…唯月のは?部屋?」 「そう。はるしていいよ」 はいはい、と笑いながら一度置いたバッグと脱いだジャケットを持って部屋に戻る遙日を見送りながら、玉ねぎを鍋へ入れる。次はキャベツをざっくりと切って、ベーコンが良いかウィンナーが良いかは遙日に聞くことにした。 大根の桂剥きをしていれば、唯月の青いエプロンをしながら、遙日が戻ってくる。 「今日のごはんはー?」 「和風ポトフと、小松菜と油揚げ炒めたのと、大根サラダ」 「美味しそー!」 「はる、とののササミちょっと貰っちゃって、裂いておいて」 「はあい」 必ず当番を決めている朝と夜の食事以外に、弥勒や明謙はトレーニング食を自分で必要な時に作って食べている。いくつか常備されている中に定番の鶏の胸肉もあり、こうして常備しているものは後でどれだけ使ったかを伝えれば、勝手に使用しても良いことになっている。唯月のお菓子の材料だって、割合にみんな勝手に使っていく。 大根を細く切って、ボウルへ移していく。ササミを裂きながら今日の出来事を話してくれる遙日に相槌を打ちつつ、今度は小松菜へ手をつけた。鍋の具合を見ながら、ササミを裂き終わった遙日に、今度はレタスを少し千切ってもらう。収録や移動中の楽しげな話を聞いて笑ったり言葉を挟んだりしていたのだけれど、唯月はふと声が途切れた瞬間に、また小さく息をついてしまった。落ちた肩は、遙日には気付かれてしまっただろうか。 「はい、唯月こっち終わったよー」 「ん、ありがとう」 心得たもので、遙日はサラダボウルに千切ったレタス、唯月が分けておいた大根、裂いたササミを盛り付けておいてくれている。ドレッシングはそれぞれの好みの味があるから後でやってもらうことにして、唯月は炒め終わった小松菜と油揚げのフライパンを持ち上げる。出しておいた皿に流し入れていれば、遙日が隣に立ってポトフの鍋を覗き込んだ。 「で?何か悩み事?」 「………………まあ」 「ふふ、隠せると思ったー?」 「まあ」 「えっ」 「ふふ、嘘」 ひょい、と肩を竦めて、鍋前のポジションを取り戻す。頭上にある調味料の棚を開けて腕を伸ばせば、空いた胴に遙日の腕が絡まった。よろける間もなく、しっかりその腕に支えられ、唯月は塩と顆粒出汁を下ろした。弥勒などはきっちり出汁を取るところからやるが、唯月はもう面倒なのでこれで済ませる。 「もー。なになに?何に悩んでるの?おにーさんに言ってみなさい」 「うーん、おにいさんに話してみようかな」 「うんうん!なーに、なんでも言ってみなさーい」 「おにいさん、ちょっと離れてくれる」 「えっ」 「すごくやり難い」 「あ、ごめん」 ぐりぐりと肩に擦り付けていた頭をぱっと離して、遙日が半歩下がる。腕は外れはしなかったけれど、動きを制限されるまで締め付けはしなくなった。唯月は気にせず、調味料を入れていく。細かい量は考えず、全て勘と経験則だ。 「…はるさ、ちょっとやって欲しいことがあるんだけど」 「うん?なになに」 左手で調味料、右手でレードルを動かしながら、唯月はゆるりと首を傾げる。後ろへ移動した遙日の顔が肩から覗いたところで、味見用の小皿にスープをひと掬い入れて、口元へ差し出す。熱いスープを二回吹き冷まして、遙日が首を伸ばして小皿へ口をつけるのをぼんやりと横目に眺めながら、レードルを鍋へ戻す。 「ちょっと、僕にさり気ない感じで告白してみて」 (中略) ──それで、どうしてこうなっているのか。 唯月はフォークを動かしながら、向かいの席を見る。時折会話をしながら、かつ淀みなく食事を進める健十は、唯月をホテルのエントランス前で降ろした後、車を預けたのか駐車場まで届けたのか、暫くした後に唯月の部屋まで訪ねてきた。と言っても健十に割り当てられたのは隣の部屋だし、唯月の方がエレベータ寄りの部屋だ。つまり通りすがりでもあるだろう健十は、部屋に戻らず、半ば強引に唯月を食事に連れ出した。明日の準備がある為スタッフは皆忙しく、初日の夕食は各自で、と事前に言われてはいたが、唯月は適当にルームサービスか、ホテルのすぐ近くにあったコンビニエンスストアで済ませようと思っていたのだ。こんな、ホテルの上階にあるイタリアンレストランに来るつもりでは無かった。 襟付きのシャツを着ていて良かった、と内心で肩を竦めながら、既にメインディッシュも食べ終えている。とはいえ唯月にフルコースを食べる胃袋は無く、健十のコースをつまみながら、別に何品か頼んでもらったが。 「そういえば体調はどう?暑かったり涼しかったりするだろ、衣装とかで」 「まあ、今のところは特に」 「そう?まあ明日かもね」 「山だから少し涼しいと良いですけど」 健十の話題は当たり障りなく、唯月もその通りに返してしまう。自分も大概そうだけれど、健十の表情は読み難い。仮面が染み付いているのだろう。詳しくは知らないけれど、健十も他人に対してどこか冷めたところがある。冷めてはいるが、人間のことは嫌いでは無いらしい彼はどこへ行っても人間関係をそれなりに良好に構築している。唯月は面倒に思ってしまう時もあるから、その点は素直に尊敬していた。ただ、自分にそうされるのはまた別だ。 ごく少ない回数ではあるが、健十と芝居の仕事をした経験上、彼の役作りは日常に僅かに及ぶ。完全に役に入り込むことは無いけれど、なんと無しに人当たりや、相手役との関係が若干近くなったりはしている。意識的なのかどうかは知らないが、きっとどの現場でもそうなのだろう。 今、唯月への態度がその証拠だ。まるで仲の良い弟を気遣う気さくな兄のような話題選びは、この映画でふたりが兄弟役だからだ。 仕事としてはそれで良いし、唯月としても助かりはするのだが、ここ最近の悩み事を胸に秘めたまま、いつもと違う環境でふたりきりの時にそうされてしまえば、また大きなため息でもつきたくなるものだ。しかし唯月も仕事はきちんとやりたいし、健十の仕事への姿勢も理解している。そちらも尊重したいとなれば、もうそんな悩みはおくびにも出さず、ただ兄を慕う弟の顔をするしかない。 「あ、唯月デザートは?食べれる?」 「愛染さんは」 「俺はパス。コースにティラミスがついてたから、食べられそうならどうぞ」 「じゃあ、いただきます」 ワインを一杯だけ飲んでいた健十が、グラスの縁を親指で軽く拭う。無意識なのだろうその白い指を見ていれば、ウェイターを呼ぶのにひらりと舞った。あの長い指に、触れたことは無い。 (後略)