Spring has coming
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2021年1月11日TRC【Ambition’s Bible10】にて発行 Spring has coming あいゆづ/文庫/170p ◎愛染(アイドル)×唯月(美容師)パロ ◎唯月とモモタスのみ非アイドル、その他は通常通りです。(キラキンは3人、MooNsは4人グループ) ◯便宜上呼び名が違っていたりします ◯唯月が25〜26歳くらい ◯モブが微妙に喋ります ⭐︎表紙はよるさんに描いていただきました!いつもありがとうございます!! ▽サンプルはランダム抜粋しています。 ▽あんしんboothパック(ネコポス)での発送となります。
本文サンプル
(前略) 「愛染さん、お隣失礼しまーす!」 「うん、どうぞ」 軽やかに椅子を引いて腰を下ろした後輩に一度首を向ける。彼の方が出番が早い筈だ。 「お願いしまーす」 隣に座った後輩──遙日は、姿勢良く鏡に向かって、軽く頭を下げた。健十への挨拶ではなく、背後に立ったヘアメイクのスタッフへのそれはいつも通り朗らかで、健十の微かに鬱々とした気分も少しばかり晴れた。鏡ごしにぼんやりと眺める肌はこちらもいつも通り白く輝いていて、くるくると元気に動く夜明け色の瞳は美しい。健十は割合にこの後輩のことを気に入ってはいた。綺麗なものは好きだ。 「あっ、髪は大丈夫です!勝手にやると淋しがるので」 「ああ、そうでしたね、ごめんなさい。じゃあ今日はこっちで結んじゃいましょうか」 「わっ、良いね!それにしましょ~」 見るともなしに遙日のヘアメイクを眺めていれば、訳知り顔のスタッフが一度出しかけたハサミをしまった。くすくすと笑う表情はどこか微笑ましいもので、健十は思わず頬杖をついて遙日を覗き込む。 「遙日、何か撮影中だっけ?」 「ん?俺ですか?俺はこの間終わったばっかりですよ」 ごはんでも行きますか、とぱっと向いた明るい笑顔は、ブラシを入れていた手にすぐに正面へ戻される。鏡越しに視線を合わせてやって、わくわくとした笑顔に片頬で笑った。 「それは別に良いけど」 「やった!」 「じゃなくて、髪切れないの?」 「髪?あー、」 きょとんと大きく瞬いた瞳は、すぐにへにゃりと緩んだ。溶けるような笑みは今まで見たこともなく、おや、と眉を上げる。 「俺、専属のスタイリストが居るので」 「へえ?初耳」 「ハルぴょん専属じゃないでしょー」 あは、と笑う声が遙日の向こう側から飛んで、健十は眉を上げたまま更に首を傾げる。いつものポンパドールに前髪を上げてもらっている明謙と目が合えば、鏡越しに大きく肩を竦められる。 「なにそれ?」 「ハルぴょんのお兄ちゃんがね、美容師なんだよ」 「あー…あれ?遙日って双子って言ってたっけ?」 「そうですよー」 「そういえばゆっちー元気?最近行けてないなあ」 「元気元気。淋しがってたよー」 「えー、ホント?」 「ほんとほんと」 メイクの仕上げを施されている遙日の横顔をまじまじと見つめる。双子だと言うのは確かに以前から聞いていたけれど、よく考えてみればこの綺麗な顔がもうひとつあるというのは何とも非現実的でもあるな、と今更感慨深く思う。 「双子ってことは、やっぱりそっくりなの?」 「唯月の方がキレーですよ」 「?遙日も綺麗だけど」 「ぎゃっ」 「あは、ちょっと健十、ハルぴょん口説かないで」 「口説いてはないけど…ええ?遙日より綺麗なのはちょっと気になるな」 「えっ、えっ、唯月のこと口説かないでくださいよ?」 「へえ、唯月くんって言うんだ」 良い名前だね、とわざとにっこりと笑ってやれば、ヘアメイクも終わって折角整った顔が、唖然と口を開けて固まっている。いくらか青ざめている気もする目元に吹き出してしまえば、細い眉がぐしゃりと顰められた。 「愛染さんだと冗談にならなくて嫌なんですけど…」 「ふふ、いや冗談冗談。遙日と並んでるところは見たいけど」 「えー?」 「んー、まあでもハルぴょんたちってやっぱりそんなにそっくり!って訳では無いよねえ」 未だに訝しげな視線を送ってくる遙日が立ち上がれば、入れ替わりに背の高い後輩がやってくる。遙日もそのまま愛染の今度は反対側へ移動して、大きく肩を竦めた。 「まあ二卵性だからね」 「あ、二卵性なんだ?」 「それでも同じ格好したらそこそこ見分けつかないでしょ?」 「まあ…うーん、でも最近はなあ。唯月の方が綺麗でかわいいし…」 「出た、遙日のブラコン」 遙日と入れ替わりに座った弥勒が呆れた色の濃い目を細める様子を見るに、遙日のこれはいつものことなのだろう。ますます一度は見てみたくなってきている健十は、立ったままスマートフォンをいじっている遙日へ改めて振り返った。 「で?その勝手に髪切ると怒るお兄ちゃんはどこで働いてるの?」 「え?唯月は別に怒らないですよ」 (中略) おはようございます、と元気よくしてもらった挨拶に軽い会釈と口元の笑みだけで応えて、唯月はのんびりと休憩室に向かう。開店前の美容室は忙しなくはあるが、仕事が多いわけでは無い。他の店がどうかは知らないけれど、少なくともここではシフト制で朝一に出勤してくる二人が掃除や予約の確認をしたりしてしまえば、細かくやることは無い。時間内で問題の無い仕事を勤務時間外にやることはない、というのは百太郎の信条であるし、唯月も大いに支持するところだ。気合いの入った新人などは張り切って早めに来たり遅く居残りをしたりして練習をしていたりもするが、それはそれで自主的なものなら好きにすればいいとも思う。先程元気な挨拶をくれたのも、今日のシフトではもう少し遅い時間に入っていた筈の新人のスタッフだった。彼女は確か昨夜も閉店後に居残りをしていた気がする。 唯月が美容師になったのには、それほど強烈な理由は無い。先程の新人のように小さい頃から憧れていた職業というのでもないし、ここ最近ふたつ上の先輩が苦心しているコンクールで名を上げたいという欲も無い。大元を辿れば母親の影響でアイドルになりたいと夢を持った弟に、一緒に受けようとオーディションに誘われた時、唯月はぼんやりと、自分はそちら側では無いだろうな、と初めて弟の我儘を聞かなかった。かといって彼を応援したい気持ちは強く、かつ彼を一番良く魅せる方法を知っているのは自分だろうな、という自負もあった。更に言えばこちらも大元を辿れば母親の影響で、唯月は自分の美的感覚と手先の器用さにはそれなりに自信がある。となれば、何か弟をサポート出来るような知識や力が欲しいと思ったのが、最初の理由だった。 結局は百太郎に拾ってもらってスタイリストとしてやっているが、高校に上がる頃には既にメイクやファッションの勉強はしていたし、遙日の髪はそれこそ小学生の頃から唯月が切っている。それなりに優等生として通った専門学校時代には、ネイルやマッサージ系の資格も取った。日々のどこかで、些細でも、遙日の役に立てればいいと思ったのだ。自慢の弟はメディアに出るようになってから更にぴかぴかと輝いているようで、手の入れ甲斐もある。とはいえ仕事も増えてきた今となっては、そうそう唯月に出番は無いのだけれど。 唯月があまり他人に興味を持っていないこと、とにかくその相手を綺麗にはするけれどただそれだけなことを、百太郎は面白がってくれているが、それは向上心やハングリーさが無いと散々学校で指摘されてきていたことを何故か好意的に見られているだけだ。センスはあるのだからもう少しやる気を見せろ、と何度講師に言われたか判らない小言も嫌みも説得も、唯月の心に火を点けることは終ぞ無かった。だから唯月はコンクールの類いで上位になったことは無いし、絶対に唯月でなければ、という固定客がたくさん居るわけでもないから売上げで店の上位になることも無い。百太郎のところだからやれているのだろう自覚は唯月の方にこそあり、だからごくたまに来る引き抜きや臨時ヘルプの話には、話を聞く前から首を横に振っていた。淡々と仕事を熟すだけの唯月を文句も言わず本当の意味で自由にさせてくれるのは、きっと百太郎しか居ない。 「おはよう、唯月」 「…おはようございます。あれ、泊まりですか?」 休憩室のドアを開ければ、その百太郎がソファから起き上がるところだった。太いヘアバンドで赤い髪を後ろに流して止めた彼は、体に巻きついた毛布をてきぱきと畳む。 「帰るのが億劫になってな」 「エレベータ昇るだけじゃないですか」 「寒いんだよ、廊下」 戯けた風に肩を竦める百太郎に、唯月はぐるりと目を回してみせる。呆れた顔をしてみせたが、その理由には大いに共感は出来た。彼はこの店のみっつ上の階に住居を構えているが、このビルの廊下には空調機能が無い。 「唯月こそ、早いな?今日は中番じゃなかったか」 「ちょっと、カラー見ておきたくて…十二時からって奥空いてます?」 「空いてたと思うが…」 休憩室の暖かさにようやくコートを脱いで、ロッカーに荷物ごとしまう。スマートフォンだけポケットに入れて、唯月は電気ケトルに水を入れた。ソファから立ち上がらないまま、百太郎がノートパソコンを開く。 「ん、今日は今のところ大丈夫。誰だ?遙日か?」 そのまま予約を入れてくれているのだろう百太郎はキーボードに指を走らせ、モニタから目線を上げないまま首を傾げる。小さなあくびが漏れたのをちらりと見てから、唯月は自分の分と彼の分もマグカップを取り出した。自分専用のカップを置いているスタッフが多いが、どれも個性的で覚えやすい。 「愛染さんです」 コーヒーを淹れながら、出来るだけ何でもないように返事をする。キーボードを打っていた音が不自然に途切れ、視線が背中に刺さるのを知らないふりをして、カチリと音を立ててお湯が沸いたケトルを手にする。 「……ふうん、そうか」 含みのある言葉に、お湯を注ぐ手が反応しないようにだけ注意した。強張った肩はとっくに見破られているだろうが、百太郎はそれ以上何も言わない。 何も言わないけれど、そうかそうか、とでも言いたげな空気に唯月の方が負けて、ぐしゃりと顔を顰めた。コーヒーの入ったマグを両手に、僅かに頬を膨らませて振り返る。 「…何ですか」 「何でも?」 にこり、と笑う百太郎は、ひらりと手を翻す。その翻った手にマグカップを押し付けてやれば、可笑しそうにくすくすと笑われた。唯月は複雑に顔を顰めて、彼の隣へ座る。 (中略) 落ち着けるところがあるから、と健十が拾ったタクシーは十分も走らない内に通りの一角で停まった。ビルの陰に隠れた螺旋状の階段をくるりと半周分降りたところに、分厚い木の扉が現れる。白い手が、長方形の突起になっているドアノブを押し開ければ、からん、とドアベルが鳴った。すぐ近くにいた店員に健十が軽く手を振れば、すぐに奥の個室へ通される。 よく来るのだろうというよりかは、慣れているな、という感想の方が強い。着ていたコートを脱いでから、唯月は改めて提げていた紙袋を差し出した。 「ありがとうございました」 「いーえ、お役に立てたならなにより」 にこり、と笑う健十は、それでも手を出そうとはしない。唯月はちらりと袋の中の白い生地を見て、隣の席へ置いた。あの日に唯月を守ってくれたコートは、目に入るだけで少しばかり安心する。触れれば力が抜けるのだと言えば、健十はどんな顔をするだろうか。言うつもりなど無いのだけれど。 「ここ、メニュー多いから適当に頼んじゃっていい?」 「はい、もちろん…あ、でも」 「何か食べられないものある?」 「食材は大丈夫なんですけど、量が」 「昼食べてないんだろ?」 「だとしてもどうやら僕の胃は普通よりも小さいみたいで」 「へえ?まああんまり食べてるところ想像出来ないよな」 うん、と何にかは判らないがひとり納得しているらしい健十に、それはこっちのセリフだ、と思いつつも曖昧に頷くだけにしておく。唯月にしてみれば、健十が店でコーヒーを飲む姿にさえ当初違和感が大きかったのだ。最近ようやく見慣れてきたとはいえ、あの銅像や人形が液体を飲み込んでいるかのような異様さは、ある種の迫力がある。所作も優雅で素晴らしいが、固形物なんて食べるんですか、とこの数十分で何度か聞きそうになった質問は再び飲み込んだ。失礼云々の前に、何を言っているんだ、と呆れられてしまうだろう。 健十が立ち上がり、ドアを開けて顔だけを外へ覗かせる背中をぼんやりと眺める。店のスタッフとの親しげな雰囲気に、慣れているな、と再び思っていれば、くるりと首が振り向いた。 「あれ、お酒は?飲める?」 「あー…少しなら」 「そう」 再びスタッフへ向き直った健十は、程なくして扉を閉めた。まっすぐに向けられる空色に、思わず視線が揺れて、そのままそっと逸らす。ついでに、ようやく周囲をぐるりと見渡した。落ち着いた、飾り気のあり過ぎない店内は、アイボリーとブラウンで統一されている。 「あ、そういえば、撮影もそろそろ終わりそうなんだけど」 「はあ…おつかれさまです」 「うん、ありがとう。再来週かな、それで来月はライブがあるから、髪戻したいんだけど」 グレーの前髪に指の先が触れる。ネイルケアをしてから店を出ても良かったな、と今更になって気付いて、少しばかり申し訳なくなった。別に唯月がやらなくても、健十の指が綺麗でない訳もないのだけれど。 「はい、除染で大丈夫だと」 「まあこれはこれで気に入ってるから良いかなと思ったんだけど」 再び前髪の先をつまむようにした健十に、ゆるりと首を振る。髪は唯月がしっかりとセットした後だけれど、いわゆる『いつもの』髪型は、やはり健十に一番似合っていると思う。今の色だって、アッシュグレーの内で健十に合わせるのなら、の最適解を出したつもりだけれど、あの鮮やかな空色の方が良いに決まっている。あの自然な色は、どう染めたって再現出来る気がしない。 「元の方が良いですよ」 「…そう?」 ぱちりと瞬いた空色が、探るようにじっと注がれる。テーブルに両肘を軽く置いて、健十は僅かに身を乗り出した。相変わらず魔物のような男だな、とじっと見返してしまう。 「唯月はその方が好き?」 含みのある声音に、一度返事を躊躇う。深い意味など無いと脳内で自分の頬を張って、唯月は小さく頷いた。健十の口唇が、柔らかく笑む。 「じゃあ早く戻したいな」 珍しく、判りやすいほど嬉しそうな声音に、唯月は徹底的に言葉を失くした。今口を開けば何か自分の意思とは関係のないところまで喋ってしまいそうで、背筋が凍る。 あれから、自分が傷つかない為だけにずっと感情を殺してきた唯月の心は、元々素質があったのだろう、簡単に全てを投げ出して、凪いだ。この四年、何があっても大丈夫だった唯月の感情に、健十はこうも簡単に波風を立てる。恐怖すら感じるし、迷惑だと離れればいいものを、気付いた時にはもう手遅れだった。きっと健十は、本当に魔物なのだ。抗えない力のせいにする方が、自分の浅はかさに目を瞑れて良い。 (後略)