chaining
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2021年1月24日ビッグサイト【一つ屋根の下8】にて発行 chaining はるゆづ+all cast/A5/308p ◎スーパーノヴァパロ3冊目 ◯1冊目【cradle】+2冊目【chronic】を加筆修正して再録 ◯本作【chaining】は全て書き下ろし(120頁弱、10万字程度)です ◯一から十まで全部捏造 ◯はるゆづ+オールキャスト ◯設定上呼び名が違ったりしています ◎倫理的に特殊な箇所もありますが創作上の設定です(過去二作より比較的多いかもしれないです) ●近未来SFというよりは技術の発達したディストピアを想定 ◯三部作で最終巻です。長々とありがとうございました。 ◎ハッピーエンドだよ ☆表紙は今回も大好きなよるさんにお願いしました! ▽サンプルは本編より適宜抜粋しています。 ▽あんしんboothパック(ネコポス)での発送になります。
本文サンプル
(前略) 「りゅーうーちゃん!こっちこっち!」 人混みの先、ぴょん、と跳ねた桃色の頭が大きく腕を振るのに誘導されて、竜持は足を早める。 「ごめん、お待たせ」 「待ってないよー」 並んで顔を覗き込めば、珍しく前髪を上げている悠太がにこりと首を傾げる。今日は合皮のジャケットを着ていて、濃紺のレザーがよく似合っている。 「いや、待ったでしょ?ドリンクくらい奢るよ」 「んーん、待ってないんだ」 「それ、悠太も遅刻したってことになるけど」 「へへ」 へへじゃない、と笑いながら、竜持は肩を竦める。やれやれと首を振ってから、ターミナルの出口へ足を向けた。今日は珍しく外で待ち合わせしようなどと言うから、どんな風の吹き回しだろうと思ってはいたが、どうやら単にそういう気分だっただけのようだ。趣向を変えて、とでも言うのだろうが、今日は悠太の方が先に待ち合わせ場所に着いていたからいいものの、いつもの方向音痴を発揮し続けていれば、急な仕事で大幅に遅れてしまっていた竜持の方が先に着いていた可能性も大いにある。やはりこれは今回限りの方がいいな、と密かに決めて、竜持はゲートを通り抜けた。 「それで?今日は何を見つけたって?」 「今日はねー、こっちの深部に面白そうなお店が出来てね」 僅かに声を潜めた悠太は、人通りの多い歩道から竜持を隠すように移動して、そのまま脇道へ逸れる。いつものふたりでのスイーツ巡りの外出は、居住区に飽きたらず、各深部へも縦横無尽に行脚している。基本的に深部へ行くには帝国軍内外の所属に関わらず必ず申請が要るものなのだけれど、何事にも抜け道はある。例えば深部側から居住区へ入りたい場合には申請に何日もかかる場合があるが、緊急事などはそうも言っていられないし、逆に竜持たちのように住民IDの信頼性が高い人間はなんとかねじ込んでもらうことも出来た。とはいえ、身元をはっきりと証明してしまうと軍にも情報が行ってしまう可能性がある為、竜持たちはいつも、また別の抜け道を使う。 紹介と仲介を何度か挟んで最終的に渡りをつけてくれた人物こそ身元はしっかりしているが──なんといっても退役軍人で、竜持の元上司だ──その後の取引きは未だに正体が掴めない怪しげな『ジャンク屋』と交わしている。どんな抜け道かといっても難しいことはなく、単にそのジャンク屋の作る偽造IDを使うだけだ。偽造とはいえ元のIDに被せる形で、半分だけを嘘で隠す偽造シールドには、ある種類のスキャナに通すと贋作師でもあるジャンク屋のサインが見えるようになっている。目立たないように小さく薄く浮かぶサインであっても、見る者が見れば一目瞭然のもので、ジャンク屋のサインがあれば問題無くゲートを通過させて良い、という暗黙の了解が蔓延っていた。 (中略) 「宝探し?」 「おー、次の実習訓練な」 眉を顰めた健十に事もなげに言い放った修二は、筋力トレーニングに上げていたベンチプレスからゆっくりと手を離す。古代からたいして形の変わらないらしいこの旧式のトレーニングマシンは、修二の長官室にある個人的なものだ。ジムやトレーニングルームには複合型の新式が置かれている。新式への総入れ替えが決まった時にひとつ引き取ったと本人は言っていたが、総入れ替えとなったのは確か五十年は前の記録に残っているから、本当のところは判らない。修二は冗談を言うのにも本気で取り組みすぎて、冗談と本気の区別があまりつかない人間である。厄介ではあるが、堅苦しいばかりの頭でっかちな上司よりはマシだ。 健十は渡された──というより呼び出した割に延々と筋力トレーニングをしている修二に顎で示された先にあったところから勝手に手に取った資料を改めて頭から読み込みながら、もう一度だけ首を傾げておく。次の、というか本日午後の実習訓練の内容についてなのだけれど、方法は良いが、対象が不明瞭だった。 「範囲はこの施設内ということですか?」 「ああ、この帝国軍本部敷地内全域だな」 起き上がった修二はうっすらと浮かぶ汗を拭う。吸水布は適当に放って、水素ボトルを軽く傾けた。マシンに座った姿勢のまま、健十を見上げる双眸はどこか楽しそうだ。 「それで、具体的に何を探すんです」 「くく、お宝だよ」 「対象物がはっきりしていないと探しようが無いんですが」 わざとらしく再び眉を顰めてみせても、修二の笑みは深まるばかりだ。冗談と本気の区別も難しいが、悪戯をしかけてにやにやと高みから楽しむ人でもある。 「ま、それはルール説明の時にな」 「模擬戦にするんですか?」 「個人戦だと能力差でエラいことになりそうだから二人一組がいいだろうな」 特性ズラせよ、と続ける言葉は、組分けは健十に丸投げするということだろう。いつものことなので肩を竦めておくが、生憎今日の実習訓練は守護部零壱隊のみの訓練である。人数を合わせるとして健十が監督に回ってしまうと、今の所属隊員の特性だと修二が想定しているだろうずらし方は難しくなる。宝探しと言うからには、探査や索敵の能力が少しでもある者とそれ以外とを組み合わさなければならず、今現在の零壱隊だけでは平等にいかないのが問題だ。 「二人一組だと人数が──」 「ああ、唯月はソロだぞ。アレと組ませたら相手が楽しちまうからな。お前もちゃんと入れよ愛染」 水素ボトルを置いてようやく立ち上がった修二に、ああ、と片眉を上げる。詳しいルールを何も教えてくれないから──簡素に纏められた資料にも必要能力の詳しい内訳は全く書かれていない──一度気にしないことにはしていたのだけれど、どうやら今日の探索法は唯月が得意な範囲らしい。であれば確かに彼と組んでしまえば、ペア相手の訓練にはならないだろう。健十を頭数に入れて良いのなら、なんとか組めない事もない。 「ちゃんと賞品も用意してあるからな」 長官用のジャケットを右肩へ引っ掛けて、修二は長い髪を鬱陶しそうにかき上げる。 「そんなに期待出来ないですけど」 「あんだって?」 「一応楽しみにしておきます」 「相変わらず可愛くねーなお前は」 「かわいいと思われたい訳ではないので」 にこり、とわざとらしく笑えば、あっちへ行け、と指先で追い払われる。いつも通りのやり取りに小さく肩を竦めてから、健十は略式敬礼を残して長官室を後にする。本来帝国軍内での上司に対する態度としてはあり得ないものだけれど、この人だけは別だ。他の上役に見られでもしたら懲罰ものかもしれない。 「あー、愛染」 「はい?」 退室しようとしたところで間延びした声に呼び止められる。振り向けば、既にデスクに座っていた修二は声音とは裏腹に妙に真剣な表情をしていた。 「これは極秘の訓練だ」 「………はあ、」 じっと注がれる鳶色の視線はいつだって強い。いつだって強いのに、今日は何故か、いつにも増して気圧されてしまった。健十はぱちぱちと瞬いて、間抜けな相槌に頷く。 「零壱以外どこにも漏らすなよ」 「…了解しました」 半ば無意識に口調さえ改めて、健十はもう一度略式敬礼に片手を挙げた。 (中略) 「健十!」 廊下で呼び止められて、数歩行き過ぎてから立ち止まる。振り返れば、ホールの角から特務課の隊服が現れた。駆け寄ってきたその足が止まる前に、軽く手を上げる。 「和南」 「おつかれさま」 いったい壁を何枚抜いて自分の姿を見つけたのか、という指摘はしないでおくことにして、もう一度手を翻した。覗き込んできた淡い青の瞳には、同情まで見える。どんな顔をしているかは、自分でもよく判っているつもりだ。 「あー…本当におつかれさま」 「もう疲労感は通り越したようだよ。麻痺ともいうけど」 「ランナーズハイだね」 「ひとつも走ってないんだけどな」 「ワーキングハイとも言う」 「それはそっちの十八番だろ」 うんざりと首を振ってみせれば、和南の方もやれやれと頭を振った。いつもであればもう少し気を使った返しも出来るのだが、今はキレの良い嫌味ひとつ言えそうもない。 「それで、消息は?」 「さあね。元から存在してなかったみたい」 「元から…?」 淡色の瞳がぱちりと大きく瞬く。もう一度首を振って、健十は端末の時刻を確認した。ちらりと周囲に視線を巡らせて、指先で和南を呼ぶ。時間はまだ余裕があるが、立ち話に適した場所では無い。健十は手近な扉の認証キーに無造作に触れて、中に入った。ずらりと並ぶ会議室やミーティングルームは、扉を開けておけば使用申請は要らない。長時間ドアを開けたままにしておくとアラームが鳴り響くが、和南にまさか時間が余っていることはないだろうし、健十もあまり長話はしていられない。廊下で行き合った程度の立ち話の時間であれば、健十が扉を開けた記録が残るだけだ。特にやましいことがある訳でもなし、健十自身には何か調べられて困るような事もない。大人しく着いてきた和南が入室したところで、扉の開閉を内側のキーから操作する。清掃用の機体が入った時と同じ処理だ。 「元からってどういうこと?」 「そのまま。元から、大黒修二なんて人間は存在しない」 (中略) 以上、と簡潔な終了の言葉に、続々と立ち上がる。健十もタブレットの電源を落として、肩を解すようにぐるりと首を回した。ひと息ついてから立ち上がる。一度オフィスに戻らなければ、と出入り口へ向かおうとすれば、既に半数は居なくなっていた会議室に、白い男が立っていた。珍しい姿に、ひょい、と片眉を上げる。 「あれ、倫毘沙居たんだ」 「ひどいな、ずっと居たけど?」 小さく笑う彼は特段気分を害した様子もなく、健十を待って会議室を出る。倫毘沙もオフィスに戻るのなら、途中まで道のりは一緒だ。肩を並べて歩けば、廊下に居た面々からさっと道を開けられてしまった。健十ひとりではここまであからさまでも無いのだが、さすが天下の北門倫毘沙だ。変に目立っていないといいけど、と内心苦く笑いながらも、つい先程までの部隊長小隊長会議の話へ立ち返る。定例会議の今日は主に報告に終始はしたが、来月には深部のセレモニーもある。確認事項は尽きることが無い。 「それはそうと、今日は和南じゃないんだね」 「ふふ、耳が痛いな。定例会議はわりと出席してる方だと思うけど」 「そうだっけ?」 ぐるりと目を回す。冗談めかしてはみたが、よく倫毘沙の名代で会議に出ている和南こそ定例会議でよく見かける気もするが、特務課第壱に関しては倫毘沙と和南のふたりで出席する会議も多い。実務をほぼ和南が取り仕切っているからというのもあるだろうが、特務課そのものの体制のせいでもあるだろう。第壱隊部隊長であると同時に、倫毘沙は長官補佐でもある。まあつまり、和南以上に多忙だ。 「今日はひとりで出たいなってお願いしたんだ」 「それこそどういう風の吹き回しだよ」 「たいした議題も無いはずだからね、カズには休んでもらおうかと思って」 「ドクターストップなの?」 「手前だよね。まあこの会議を抜いたところで休んでくれてるといいんだけど」 「自室軟禁とかした方が良いんじゃないの」 「カズじゃ出てこれちゃうよ」 「軟禁じゃ甘いか…」 本人が聞いていたらとてもいい笑顔のまま鋭い角度の嫌味で口撃してくるだろうな、と思いつつも、もちろん本人は居ないので健十たちは好き勝手に話す。大袈裟に言ってはいないが冗談ではある内容に笑いながら、古代の神話のように開けられた道を通り抜け、人けの少なくなった一角から壁に手をついた。パネルが現れて、健十の手のひらを読み込む。のっぺりとした鈍色の壁が仄白く光ったところで、隣に立ったままの倫毘沙を改めて振り返った。 「上まで乗ってく?」 「うん、そうしようかな」 壁面に垂直に走る青いラインが壁を割って、健十は先に倫毘沙を入れた。中のパネルは早々に倫毘沙が操作している。ここから健十のオフィスがあるフロアまではざっと二十階層を昇っていくが、その少し下で降りるらしい。特務課のオフィスへ戻るなら一度別のエレベータへ乗り換えるか連絡通路を移動しなければいけないが、どうやら他のミーティングがあるようだ。 「お前こそちゃんと休んでるのか?」 「健十よりは上手に休んでるから大丈夫だよ」 「…随分言うようになったよな」 入隊順で言えば健十よりほんの少し後輩にあたる倫毘沙の姿をしみじみと眺める。出会った頃の姿を思い出していることは早々にバレて、整った横顔は苦く歪んだ。この男にも若い頃を恥ずかしいと思う気持ちは少しはあるらしい。 「良い教師が周りにたくさん居るからね」 「俺以外であることを祈るよ」 (中略) 先に起きていた遙日の僅かに寝不足気味な目元に笑いながら、唯月は粛々と服装を整えた。研究所で落ち合おうと言っていたから、健十は今日のスケジュールを面会の日ということに調整してくれた筈だ。父親でもあり、研究所の所長でもある博士に会う時には、出来るだけラフな格好で会いに行っている。それでも今日は、ジャケットは持っていくことにした。コルセットや端末はいつも通り着けずに、部屋のデスクへ片付けておく。同じような格好をした遙日と部屋を出れば、早朝は、ただでさえ薄暗い照明が更に暗い。 「そういえば俺寺光博士に会うの初めてかも」 「そうだっけ?」 「だって唯月の面会って半分検査だから一緒に行けたこと無いし」 俺は研究所に縁ないし、と首を傾げる遙日に、唯月も同じように首を傾げてみせた。遙日が、というよりは、普通は研究所などとは縁が無いのだ。唯月が特別なだけで、それも父親と会う口実の方が多いかもしれない。 「面会もしたことないんだっけ…はるのお父さんでもあるのにね」 「うーん、俺は外にも居たからその辺実感無いんだけど…唯月がうちの父さんに会ったことないのと一緒!」 外の居住区で暮らしていた遙日にも父親は居たという話は聞いた。博士に聞けばそれは彼の弟らしく、子供のいないその弟夫婦に預けていたと聞いたが、元々父親はあまり家に居なかったらしく、入隊以降遙日がその父親と会っている素振りは無い。そういえばどうして気にならなかったんだろうと思いつつ、今回も唯月は尋ねてみたりはしない。遙日の言葉の端々に、父親という存在への興味の無さは感じていた。 「でも最近面会行かないよね」 「忙しいみたい。定期検診はあの人じゃなくても出来るし」 「唯月の定期検診って何やるの?」 「基本的には脳とか内臓が正常に動いてるかとか、あとはチップとかのキャッシュクリアと、傷口のチェックかなあ」 「思ったよりやることたくさんだった。そっかチップとかあるから研究所なのか」 「まあ…」 左腕のチップに関してはたまに物理的に腕から抜く時もあるから、その場合は医務部に行くし、データ提出だけならシステム課でも対応してくれる。だからそれだけじゃないだろうけど、という言葉は、そっと呑み込んでおく。唯月にも説明出来ない感覚的なことだから、今口に出したところで仕方がない。 唯月の身体には、いくつかチップが埋められている。外部アクセスで操作出来る内臓型の端末、くらいにしか唯月は思っていなかったが、これを言うとたいていの人は嫌な顔をすることは身を持って知っている。外に預けられた遙日と違って、実の父親の元に残された唯月は、幼い頃からずっとこの帝国軍本部で育っているせいか、他の人とは少し価値観や倫理観がずれているのはそれなりに自覚していた。いたが、その唯月のずれた感覚を自然と受け入れてくれるのが、この遙日であり、零壱隊であり、第壱隊だった。唯月の世界はそこだけであり、それ以外にはさほど興味も無い。 だから今回の件にも迷いは無かった。以前の自分が何を恐れて記憶を消したのかは知らないが、そしてきっとそれを受け入れて作業を実行してくれた父親にも申し訳ないが、唯月は唯月の世界の為であれば何だって出来る。 「研究所は行ったことある?」 「データ届けにくらいかな?」 「そう…はる、こっち」 研究所への正規のルートを進もうとする遙日の袖を引いて、唯月はエレベータホールを通り過ぎる。きょとんとしている遙日を連れたまま、唯月は廊下をまっすぐに進んだ。しばらく行くと、右手に不意に何も無い壁が現れる。 「近道があるの」 「へえ?」 (中略) おもむろに始まった戦闘の音を耳に拾いながら、唯月は走る速度を変えずに廊下の角を曲がる。既に龍広が制圧したのか、時折廊下に倒れている隊服やトレーニングスーツを避けながら、唯月は扉が開け放たれている備品室へ滑り込む。足を止める前に、入り口付近に落ちていたオートバイクのハンドルを拾った。見覚えのあるそれは龍広のもので、改良を繰り返している彼の愛車は、ハンドルの側面を三度叩けば、アクセルとブレーキも兼ねたペダルが、収納されていたハンドルからするりと飛び出す。靴の半分も乗らないその小さなプレートに走りながら片足を乗せれば、もう一枚のプレートは勝手にもう一方の足の下へ入り込んでくれる。アクセルの右足を踏み込んで、唯月は片手に持ったハンドルへ顔を寄せるように身を屈めた。スピードを上げるバイクは広い備品室を横切って、奥の演習場へ飛ぶように走っていく。唯月はハンドルを持っていない方の手で腿のホルダーに入れた警棒を握った。まだ抜かない内に、こちらも開いたままになっている演習場のドアを抜ける。 目に入ったのは、トレーニングスーツの群れだった。モニターで見た彼らとは違い、先程の備品室にあったものだろう武器や装備をしっかりと着込んでいるが、立っているのはもう三十体ほどだ。他は床へ崩れているか、既にここを出て行ったに違いない。 黒いスーツの群れの向こうに別の色合いをした人影をちらりと認めて、唯月は迷わずバイクのスピードを上げた。限界速度を知らせる警告音が鳴っているが、無視をして更にアクセルを踏み込む。強制減速の設定をされていなくて良かった、と今更に思いつくより先に、唯月は抜いた警棒を軽く振る。強い電流がばちりと光って、持ち手の先に光の剣が現れる。最大出力で振り抜きながら、唯月はハンドルを手放した。ペダルを蹴って跳べば、突然制御を失ったオートバイクはその勢いのままボディスーツの群れへ突っ込んでいった。バチバチ、と大きな音を立てる光剣に倒れた者と併せて、半数以上は戦闘不能だ。 「大丈夫ですか野目さん」 「唯月お前、俺のバイク!」 「またやっちゃいました」 増長さんには内緒にしておいてください、と肩を竦める。唯月がオートバイクを大破させる現場を龍広に見られたのは、これで三度目だ。一度目は唖然としつつも心配してくれたが、二度目にはげんなりとされ、今回は完全に呆れ返っている。(毎回正当な理由があるとはいえ、スピードを出したまま障害物に突っ込ませる、というおよそ正規の使い道では無い方法で壊している為、龍広の反応は正常のものだ。お前はバイクを武器か何かだと思っているのか、と言われたのは、もちろん最初からだったけれど、実は彼の知らないところでもう一台壊していると言ったら、なんと言われるだろうか。) ため息をつきながらも、龍広は手にしていた銃で速やかに残りのトレーニングスーツを沈めた。唯月ももう数人の攻撃を躱しつつ光剣で斬り伏せる。すぐに静かになった演習場には再び龍広のため息が響いたが、唯月は気にせず警棒をしまい、モニターを引っ張り出した。 (中略) ふるりと首を振って気にしないことにして、唯月もようやく管理室を出る。偵察だけでなくいくつかの掃討もしてくれていたのか、帝人たちの通っただろう廊下には転々と落ちる人影が増えていた。唯月は早々に方向を変えて、百太郎の勘に従って白点のひとつを追う。唯月が今いるフロアよりもうふたつ上にいる白点は、別のエレベータを探して廊下を移動している最中だろう。ちょうど良い、と呟いて、唯月は壁に触れる。このエレベータも含んだ抜け道も全て、全員に教えてはある。全ての場所を諳んじられるのは唯月だけだろうが、ともかく、これを上がればほぼ目の前に出てしまう筈だ。この位置を覚えていなければ、誰だか確認する前に攻撃されかねない。 という可能性を考えつつも、唯月は躊躇なくエレベータを操作した。すぐに開いた壁の向こうに、案の定走り抜けようとしていた人影から銃口が向けられる。発砲より先に、イヤホンを外して飛ばした。トリガーにかかる人差し指の骨に当たったそれは軽い銃声と共に跳ねる。照準の狂った銃弾を発砲した本人へ突っ込むようにスライディングした姿勢で避けて、そのまま下から腕を伸ばし、向けられた銃の銃身を握る。 「剛士さん」 「唯月か?」 ハンドガンと反対の手は既に警棒へ伸びているが、剛士はその姿勢のまま一度静止した。一部の隙も見せていないが、赤い瞳がじっと唯月を検分している。 「僕です」 「本物か」 頷いて、そっと剛士の銃から手を離した。ホールドアップのまま距離を取れば、小さなため息とともに銃口が下がる。 「急に出てくるな、驚くだろ」 やっぱり覚えていなかったか、と思いつつ、すみませんと謝っておく。差し出してくれた剛士の腕に掴まれば、一気に引き上げられて立ち上がる。イヤホンを拾って耳に嵌めれば、行くぞ、と剛士が走り出した。 「阿修たちが西側で交戦してる隙に、俺らは出来るだけ上に行くことになったが」 「なるほど。僕ははるたちを手伝いに行きます」 「適当に撒いてこいよ?とりあえず上に出ることが最優先だからな」 そうですね、と頷いて、湾曲した廊下を併走する。この先には大会議室があり、通り過ぎた部屋も中規模以上の会議室ばかりだ。つまりここには特に重要性がない為、彼らは現れない。剛士も乗り継ぎの為に利用しているだけの廊下は、ひどく静かだ。唯月が足音を消しているのも一因かもしれない。 「あの、剛士さん。ひとつお願いがあるんですけど」 「………なんだよ」 走る速度は変えずに、ぎゅっと顔を顰めた剛士がまじまじと唯月を眺める。上から下までじろじろと窺われて、唯月はくすりと頬を緩める。 「そんなに嫌そうな顔しなくても」 「お前の『お願い』はロクなもんじゃねぇからな」 「そうですか?心外です」 「どの口が言ってんだ…お前のタチの悪いのはちょっと腹が減って動きたくない、くらいのノリで手足が折れた上に内臓の損傷が激しくて動けないから運んでくれとか言い出すとこだからな。頼むから深刻な時は深刻な声で話せ」 「えー、そんなことありました?」 「そんなことしか無いから言ってんだよ」 ぐるりと呆れて回った赤い瞳に、唯月はひょい、と軽く肩を竦める。心当たりがない訳では決してないが、特に認める気も無い。なんだかんだとどんな『お願い』だって聞いてくれるから、唯月は剛士に頼むのだ。嫌がられても、甘えてしまう。 「まあ、じゃあ、これが最後のお願いなんで」 「縁起でもねぇこと言うな」 「心を入れ替えるって意味ならどうですか」 「今から入れ替えてほしいがな」 やれやれと首を振る剛士は、やはりそれでも拒絶の言葉は口にしない。ちらりと隣を伺って、改めて口を開いた。前方に、大会議室のドアが見える。エレベータはその手前だ。 「お願いします。増長さんのことなんですけど」 じろり、と流れた赤い視線に、出来るだけ穏やかに、にこりと笑った。 (中略) 「百くん」 不意に頭上から聞こえた声に顔を上げる。最後の夜、百太郎はなんとなしにライブラリへ足を運んでいた。特別に気に入っている場所では無かったが、過ごした時間はそれなりに長い。 この場所でこそ聴き慣れた声に、百太郎は顔を確認する前に笑う。 「どうした、唯月」 「来るかなあと思って」 プレートに乗って、本棚を物色していたのだろう唯月が立ったまますとん、と降りてくる。そういえば唯月と初めて会ったのも、その片割れと初めて会ったのもここだったな、と思い出した。 「よく判ったな」 「嘘、来てほしいなって念じてました」 「すごい呪いだな」 「効いたみたい」 ふふ、と笑ってプレートから降りる唯月は、何も手にしてはいなかった。目ぼしいものが無かったのか、本当に百太郎に会いに来ただけなのかは判らない。 唯月とはよく遊んでいた。昔はもっとぼんやりとしていた唯月とは初対面からなんとなしに波長が合い、気付けば百太郎の遊びに付いてくるようになったのだ。可愛がっていたというよりは、どちらかというと弟子を育てている感覚だった。なんにでも興味を示して気になることは単刀直入に聞いてくる姿はまるで幼い子供のようで、居住区にいる実の弟を思い出したのかもしれない。 「ここで会うのは久しぶりですね」 唯月の手に、ジャミング用のバングルが嵌っていることにようやく気がつく。おや、と眉を上げれば、唯月は天まで伸びるような本棚を見上げた。伸びた首筋にコルセットは無く、大きな傷痕が目立つ。 (後略)