【フラット】おしなべたって、マジカルモットー
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■「おしなべたって、マジカルモットー」B6/54P ■フラットくんとⅡ世の〔桜前線〕の話(フラット視点)、グレイ・フラット・スヴィン・カウレス・ライネス・Ⅱ世が〔科対抗レース〕に出る話(グレイ視点)、フラットくんとスヴィンくんとグレイちゃんの〔水と油〕の話(フラット視点)の計3話です。 ■サンプルはフラットくんとスヴィンくんとグレイちゃんの〔水と油〕の話です。
おしなべたって、マジカルモットー
伝えて伝えた、ウォーターオイル。 ここが闇なら、どっちもどっち。 意図せず開けた、世界なら。 魔術名さえ、最後通牒。 フラット・エスカルドスとスヴィン・グラシュエートは、どちらが水でどちらが油か。 これは我らが現代魔術科において、永遠の命題だ。皆はしきりに俺が〔油〕だと公言する。別に大声で否定する気もなくて、皆がそう思うなら、世界とロンドンと時計塔においてそれは間違いないんだろう。でも、ル・シアンくんもかなり〔油〕っぽいけどなあ、と俺は考えている。重い油と重いけれどちょっとだけ軽い油とか? 「ああ、現代魔術科に〔水〕はいないな。どいつもこいつも〔油〕だろう」とは教授の弁。そうだよなあ、と俺はしっくりくる。 どれも〔油〕だ、と表現するエルメロイⅡ世かて現代魔術科を担当する〔ロード〕なのだから、教授もきっと〔油〕なんだ。そう考えると、なんだか楽しくなってくる。俺を嫌わないで受け入れてくれるだけで、相当な〔油〕だ。オリーブオイルで、サラダ油で、コーンオイルで、紅花油で、とどんどん脳裏に浮かぶ。当てはめがいがある、と頬が持ち上がったら、どうしてだかル・シアンくんに睨まれてしまった。 「こいつ、すごくとっちらかった匂いがするよ! 先生、僕が壊していいですか!」 初対面での叫びを思い出す。ガルルルル、とまるで唸るように声を上げて、俺に掴み掛かりそうだった。そうでなければいっそ噛みつかれそうで、のっぴきならない狼みたいだ、という感想。教授にぎゃんぎゃんと喚き立てているのを横目に、ああ、狼よりも犬っぽいなあ、と思い直した。命名したニックネームが気に入らなかったみたいで、ひたすらにがなり立てられたけれど、ル・シアンくんはやっぱりル・シアンくんだから。 ル・シアンくんは壊すのが大好きだ。一見クールそうな面もあるのに、わりと破壊活動寄りの発言をする。〔獣性魔術〕の使い手だから、より動物に近しい衝動があるのかもしれない。「やっぱり〔ル・シアン〕なんだね」と嬉しくなって話し掛けたら、「〔犬〕って言うな!」と目が三角になった。なんだかアメリカンコミックのキャラクターみたいだ、とワクワクした。そう伝えたら、目の三角がとびきり鋭角な三角になった。 これでいいかな、と準備している手元を確認する。くるくると指先を回転させて空中に術式を展開したら、ピカピカと小さく瞬いた。豆電球みたいな輝きは、こっそりとひっそりと点滅する。うん、オッケー、と頷いたら、どうしてだか二つ分席を空けて座っていたル・シアンくんが、キッと睨んでくる。ル・シアンくんが睨んでくるのはいつものことなので、放っておく。でも、相手は俺を放っておくつもりはないらしい。 「フラット、なにをやっている。エルメロイ先生に迷惑を掛けるな」 「まだなんにもしてないよ。それに、むしろ教授は喜ぶと思う」 「断言するが、そんなことない。あと、お前がなにか仕出かすと大抵面倒なことになるから、今のうちに止めておけ」 ル・シアンくんは常日頃から人聞きが悪い。まあ、俺もル・シアンくんも魔術師だから、〔人聞き〕よりも〔魔術師聞き〕? あんまり語呂がよくない。ほかにいい言葉はないかなあ、と考える。はてさて、と首を傾げていたら、ル・シアンくんは苦そうな顔をした。「……いきなり先生の〔内弟子〕が来るだなんて、引っ掛かるのは分かるけど、変なことはするなよ」ル・シアンくんは、まるで自分に言い聞かせるみたいに音にする。 くるりと跳ねている、いつものくせっ毛の元気がなくなって、なにやら少ししょんぼりしているみたい。〔ル・シアン〕のニックネーム通りに〔犬〕の耳があったのなら、へにゃりと垂れてしまいそうに。ル・シアンくんも、教授の〔内弟子〕になりたかったんだなあ、とふむふむとする。現代魔術科の〔エルメロイ教室〕は、唐突に出現したロード・エルメロイⅡ世の〔内弟子〕の噂にざわめいていた。 現代魔術科、加えて〔エルメロイ教室〕ははみ出し者や異端児の集合体だ。綿々と歴史と技術を紡ぐのを至上とする魔術界で、歴史が浅かったり古来からの魔術より現代的な術式を用いると、落胆されたり卑下されたりする。そんな〔立派な魔術師〕からこぼれてしまった、〔ニューエイジ〕が集まっている印象だ。教授は生徒の隠された才能を開花させる能力が高くて、「現代魔術科なら」と最後の頼みの綱にされたりもする。 俺も現代魔術科に入れてもらえなかったら、時計塔にいられなくなったかもしれないし、と数年前を回想する。運命みたいな出会いだった。そう、いっそ、〔現代魔術科〕自体がなにかの魔術名みたいな感じ。もちろん、そこには教授も含まれる。だから、そんな教授が選んだ〔内弟子〕に俺だって興味がない訳はない。けれど、憤懣やる方ないとか、絶対に認めないとか、愕然として気落ちするとか、そういった気分にはならなかった。 むしろ、どんな子が来るんだろう、ととんでもなくワクワクする。だって、教授の〔内弟子〕なんだよ? とてつもなくかっこよくて、はちゃめちゃに強くて、ひたすらに賢い、ドラゴンみたいな、ヒーローみたいな無敵キャラが現れちゃったりして。俺はどんなニックネームをつけようか、と密かに思考している。〔グレートビックベン☆ロンドンスター〕風が似合うかなあ、とドキドキしてしまう。ワクワクする気持ちには果てがない気がする。 「……いい匂いがする……」 普段と比較すると、一ミリほど項垂れていたル・シアンくんが頭を持ち上げた。鼻をひくつかせてまぶたを閉じ、匂いの元を探っている。〔獣性魔術〕を持つル・シアンくんは、犬並みの嗅覚を保持していると思う。現代魔術科の校舎内にいたら、俺なんて簡単に発見されてしまうから。うっとりと幸せそうに嗅覚を研ぎ澄ましているル・シアンくんの表情は、刺々しさが薄くなる。五分ほどそうしてから、ぱちりと青い目は瞬いた。 「来た……!」 つり目がちの光彩が見開いて、教室の扉を凝視している。ル・シアンくんの宣言から五秒後に、カチャリ、とドアノブが回転した。いつもと変わらない様子の教授が扉を開けて入室してくる。その後ろにフードを被った姿を伴いながら。フードと繋がっているコートが重そうに裾を揺らす。コートの隙間からチェックのプリーツスカートが覗いた。女の子だ、とちょっとだけ意外に思ったら、ガタガタン! と大仰な音階を鳴らしてル・シアンくんが立ち上がる。 ちらり、とル・シアンくんに目線を投げた教授は、〔座れ〕と手をひらひらさせた。それでも、青い光彩は真っ直ぐに〔灰色〕の象徴みたいな姿を見つめ続けている。頬を紅潮させて口をぱくぱくと開閉させ、狼狽した瞳はずっと教授の隣に注がれている。熱っぽい瞳はもどかしそうに一点を見つめていて、その先で焦げついてしまいそうだ。教授が淡々と〔内弟子〕の紹介をして、「……グレイです。どうぞよろしく」と彼女が発した瞬間だったんだ。 ガクン、と俺の視界の端で、立ち上がっていたくせっ毛が真っ赤な顔でくず折れたのは。 ◇ ミネラルウォーター、スポーツドリンク、レモンスカッシュ、カフェラテ、ストレートティー、と医務室のミニテーブルにペットボトルを並べていく。これくらいあったら、どれか飲みたいのが一本くらいあるだろうし。ベッド横の縦長の窓からは午後の陽射しが入って、室内はぽかぽかとしている。陽射しがペットボトルのクリアな部分に当たって、なんだかドリンクまでピカリと光る。魔術で精製した飲物だ、と主張してみたくなる。 ベッドではル・シアンくんがすやすやと眠っている。俺の準備していた、教授の内弟子を出迎える電飾を魔術でコーティングした術式を展開する間もなく、ル・シアンくんはひっくり返った。内弟子の女の子は驚嘆して大きな目を更に大きく見開き、その隣で教授は心底嫌そうに目を細めた。はあ、とうんざりしながら息を吐き出して、つかつかと近づきル・シアンくんを抱え起こすと、脈や瞳孔を確認する。 「……なにかに興奮したんだろう。誰か、医務室に放り込んできてくれ」 「あの、師匠、拙が運びます。この人は明らかに拙を……」 「いや、君は席に座ってくれ。向こうの後ろでいい。ああ、フラット、スヴィンを頼む」 「分っかりました!」 びしっ、と大袈裟なアクションで敬礼したら、教授はル・シアンくんが倒れた時よりもうんざりした顔をした。よいしょ、と幸せそうに昏倒している体を持ち上げながら、せっかくだから、と指先を動かした。〔現代魔術科、エルメロイ教室へようこそ!〕きらきらと瞬くのは夜空の星みたいで、昼日中でもまばゆく光る。展開した術式で壁面に投影される文字に、教授は溜息して、内弟子の女の子は小さく頷くように礼をしたんだ。 そう。ル・シアンくんは「いい匂いがする」と言っていた。その直ぐ後に昏倒したのだから、やっぱり内弟子の女の子に興奮したんだろう。これはヘンな意味ではなくて、ル・シアンくんの〔獣性魔術〕がなんらかの信号をキャッチしたんだ。ひょっとしたら、すごい内弟子がやって来たのかも。さすが教授、とうんうん頷いていたら、コンコンコン、と医務室の扉がノックされた。「はーい!」返事をすると、そっとドアノブが回転する。 「……グレイです。あの、さっきの人は……」 細く開けた扉の向こうから、灰色のフードが覗いている。それじゃあぜんぜん見えないんじゃないか、と思うサイズの隙間だった。おずおずとした様子は緊張しているような、世界の全てを警戒しているような、そんな感じだ。「大丈夫。ドクターがちょっと外してるから、留守番してるとこ。教授の講義終わった?」「はい」少しだけほっとした様子で、内弟子の女の子は静かにコートの裾を揺らし、医務室に足を踏み入れた。 ねえ、グレイちゃん、と手招きしたら、フードの真下で瞳がぱちりと瞬きした。どうしてなんだか、偉く意外そうな顔をしていた。「どれにする?」両手にペットボトルをぷらぷらと持ち上げたら、「では、紅茶を」と申し出る口調はとても慎重だ。はい、と手渡すと、「ありがとうございます。ええと、あなたは……」とじっと見返された。ああ、特に引っ込み思案でもないのかも。「フラット・エスカルドス。フラットって呼んで」 「……じゃあ、フラット」 「うん。よろしく、グレイちゃん」 「はい」 ちょっと手探りな気はするけれど、めちゃくちゃ大人しいタイプでもなさそうだなあ。静かなタイプではありそうだけれど、とまじまじと見返したら、慌ててフードを深く被ってしまった。失敗失敗、と俺は反省する。ミネラルウォーターの上にスポーツドリンクを積んで、更にカフェラテのペットボトルで塔を作る。そっとル・シアンくんの額に載せてバランスを取った。グレイちゃんはぱちぱちと、少し不安そうに瞬きをしている。 ぴたり、と揺れない位置を測って、ぱっと手を離す。三本のペットボトルは抜群のバランスで縦に伸びている。ゆらゆらと揺れ動くドリンクに、グレイちゃんは困惑しているみたいだ。俺はペットボトルを載せている額を見ていた。段々と眉間に皺が寄ってきて、まぶたがピクピクしている。仕舞いにはまぶただけでなく頬も歪んできた。ぐらり、とペットボトルが揺れて傾くと、閉じたまぶたにぎゅっ、と力が入った。「……ぐ!」 「ル・シアンくん、さっきから起きてるでしょう?」 傾いたペットボトルはル・シアンくんの顔面に降った。バツが悪そうに起き上がると、もじもじとグレイちゃんから目を反らしている。だのに、揺れる瞳がちらちらと彼女のフードの下を覗きたそうにしていて、なんだか恥ずかしがる犬みたいだ。「大丈夫ですか」と問う彼女に対して、「僕は平気です! すみません、グレイた……違っ、……グレイ、さん……」なんて、なんだか初恋を発見した小さな男の子にも見えた。 グレイちゃんは、さっきと同じようにぱちぱちと瞬きをしている。ああ、名前だ、と俺は気がつく。ひょっとして、名前を呼ばれることに慣れてない? でも、そんなことってあるのかなあ、と世界の果てまで摩訶不思議だ。首を捻っていたら、「グレイでいいです。ええと……」「あ、これはル・シアンくんだよ」「スヴィン! スヴィン・グラシュエートです! 僕のことはスヴィンと呼んで!」と声を張り上げて、見えない獣の耳がぱたぱたと動いていそうだ。 「フラット、〔犬〕って言うな!」 とんでもなく慌てた様子で俺を牽制するル・シアンくんは、いつもよりも迫力がない。「だって、ル・シアンくんはル・シアンくんだし」「ふざけるな、その認識を改めろ!」「でもさ」「馬鹿フラット! 超絶器用なくせにスカスカ頭!」いつもの調子を取り戻してきたル・シアンくんがぎゃんぎゃんと喚いたら、ぱちりと瞬きをしていたグレイちゃんの頬が小さく綻んだ。それを目撃して、ル・シアンくんは振り回していたペットボトルを取り落とす。 「……仲がいいんですね」 「うん」 「よくない!」 真逆の台詞を耳にして、彼女はくすりともう一度笑う。ル・シアンくんは真っ赤な顔でギリリと俺を睨んだ。「師匠が、ああ、ロード・エルメロイⅡ世が言っていたんです。エルメロイ教室は、水と油の〔油〕な生徒ばかりだって。だから、驚かないようにって」彼女は一つ一つ、まるで言葉を探すようにしゃべる。それは魔術の術式を組んでいくのに似ている気がする。どうして、俺がそう思うのかは分からないけれど。 「フラットとスヴィンが〔水〕なのか〔油〕なのか、拙には分かりません。でも、二人が〔油〕なんだとしたら、〔撥水性〕の油と〔疎水性〕の油なのかな、と」 今度は俺とル・シアンくんが二人してぱちぱちと瞬きをした。「ええと、ですね。拙は靴磨きが好きで……」と彼女はたどたどしくも説明を試みる。「〔撥水性〕は、コロコロした形の水玉にして弾きます。〔疎水性〕は平たい水の塊となって流れます。どっちも水を弾くんですけれど、似ているようで似ていない、と言うか……」ル・シアンくんはぽかんと口を開けている。俺はなんだか、教授に笑顔の術式を貼りつけていたのを見抜かれたのと同じ気持ちになった。 「だから、靴磨きの仕上げには、靴の素材に合わせて、スプレーを使い分けるんです」 ああ、そうか、と俺は一つを頷く。「……すみません。なにを言いたいのだか、拙もよく分からなくなって」彼女は恐縮してフードに瞳を隠し、「グレイたんは、博識だ……!」とル・シアンくんは夢見る瞳で感嘆する。俺はペットボトルの蓋を捻って、プシュッ、と乾杯みたいな音を鳴らし、レモンスカッシュの泡は楽しそうに踊った。 似ているけれど、似ていない。 似ていないのに、皆が〔油〕。 それなら、皆が〔水〕でもあるのかも。 エルメロイ教室は、魔術を掛けてくれるのかも。 (なんて、数年前よりも昨日よりも、今日のエルメロイ教室で双璧の片方は思うんだ)