皇帝陛下と再生の大地
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136P 異世界トリップファンタジー第11弾 午前中に公務があった高耶は、一人で昼食を摂ると厨房にひょこっと顔を出した。 「皇妃様?」 厨房にいた料理人が高耶に気付き驚いた顔になる。 「小次郎いるか?」 「小次郎ですか?」 知ってるか?と部下に声を上げると、一人が庭園に野菜を採りに行った、と答えた。 「今呼びに行ってきますから」 慌ててエプロンを取った侍女に、高耶はいいよいいよ、と首を振った。 「丁度いいよ、オレも外行こうと思ってたから」 そう言って軽く手を振り、高耶は厨房を後にした。 王宮の庭園の一角には高耶的に言えば、家庭菜園、がある。数年前に高耶が始めたものだ。元の世界にいた頃からベランダにプランターを置いて紫蘇を植えたりしていたのだ。冬は枯れてしまうのだが、夏になると沢山葉を付け紫蘇づくしになっていた。 薬味系が好きな高耶にとって、結構重宝した。素麺や冷奴など、ちょっと欲しい、と思った時にプランターから一枚二枚採るだけなのだから。 王宮は広大で、当然庭園も果てなく広い。これを利用しない手はないではないか、とばかりに厨房にいる下働きや料理人達に話しをして実現に至った。今では温暖な気候も手伝って、一年中何かしら採れるのだ。 採り立ては当然新鮮で、皇帝一家は無論、城で働く者達もこの野菜をよく食べている。 のんびり回廊を歩き外に出ると、高耶は庭園の一角にある菜園に向かった。不便の無いように、出来るだけ王宮、特に厨房に近い場所にそれはある。 渡り廊下から庭に出て少し歩くと、そこには広い菜園が見えてきた。初めは小さかったが、今では東京ドーム1個分程度の広さになっている。 「えーと……」 きょろきょろと小次郎の姿を探していると、 「あ」 見付けた。 目当ての少年は、少し離れた葉野菜が植えてある場所にいる。そこで高耶は悪戯を思い付く。悪戯と言ってもただそぉっと近付いて、わッ、と脅かそうと思っただけなのだが。 「……」 気付かれないよう、そっとそっと近付く。丁度小太郎が大きな木の側にいるので余計近付き易い。高耶はそのまましゃがみ込み野菜を選別している小次郎の視線を避け、直ぐ脇にある木の陰までやって来た。 「……」 どうやって脅かそう、と思い木の陰からそっと少年の様子を伺う。が、 「……」 掛けようとした声が止まってしまった。 そこにいたのは確かに高耶の知っている、料理の美味い少年だ。だが、では今目の前にいるのは? 「……こ……」 何時も浮かべている笑みは、そこには無かった。まだ幼く見える顔の何処にも、あらゆる表情が見当たらない。まるで、凍った人形のようだ。それは直江や小太郎が何時も浮かべている〟無表情〝とは確実に違う種類のもので。小次郎の顔にあるものは〟死んでしまった表情〝としか言えないものだった。 「……」 ゴクリ、と高耶の喉が鳴る。声を掛けられずどうしようか見ていると、小次郎がまだ若い、採るには早過ぎる野菜を引き抜いた。 ブチッ、と勢い良く抜かれた野菜はそのまま、少年の手に握り締められている。 「……」 息を飲んだ。 何も無かった小次郎の表情が、段々と動き始める。徐々に浮かび上がったのは、紛れも無く〟憎悪〝と言う名のもので。あどけなさの残る顔には余りに不似合いだった。それでも憎しみに燃える眸は何を見詰めているのか、豊かな土を睨み付けている。 睨む、と言うにはそぐわない、感情の中にある全ての憎しみが浮き上がっているかのようだ。 「……」 ゴクリ、と喉が鳴る。 高耶は迷った、このまま何事も無かったように声を掛けてもいいものかと。果たしてそれをして、見なかった振りが出来るだろうか。 「……ぅ……」 自信が無かった。 そんな考えが心に落ちると、高耶はそっと音を立てずにその場を後にしようとした、が、 「ッ」 ここは畑で石が転がっている。当然石には小さいものもあえば、 「どわッ!」 大きなもののあるのだ。 「くッ」 見事にその場に大の字になった高耶は、余りの情けなさにそのままの格好のまま動けない。 「……皇妃様」 高耶の声に驚いた小次郎は、弾かれたように立ち上がった。 「あ痛たたたた……」 土だらけになってのろのろと起き上がった高耶の側に小次郎は、慌てて駆け寄る。 「大丈夫ですか?」 「平気……あー痛ぇ……」 とほほ、と躯を起こして土の上に体育座りになった。 「石に躓いちゃったよ」 「ああ、この辺ごろごろしてますからね……直ぐ手当てされた方が」 「平気だよこんなもん」 そう高耶が言うと、互いに言葉が途切れてしまった。 「……」 「……」 そうなると、先程の小次郎の様子を思い出してしまう。何って言えば、迷う高耶の耳に、小次郎の静かな声が落ちてきた。 「こんな所で何を?」 「あ?ああ……お前を探しに」 「私に何か御用ですか?」 「……」 小次郎の様子に、変わった所は見当たらない。先程見たのは高耶の錯覚のような気がしてくる程に。だが、あれは現実で夢じゃあない。 「……うん……ちょっと、時間があったら料理でも教えてもらおうと思って、さ」 「……」 「でも、何か考え事してたみたいだから……その……邪魔しちゃ悪いし」 あはは、と乾いた笑いを浮かべる高耶の声を、小次郎は俯いて聞いていた。 「じゃ、オレ行くな?」 決して悪い事をしている訳じゃあないのに、とにかく高耶は今はこの場から逃げ出したかった。今の空気の中で、小次郎といるのは気詰まりだったのだ。 「じゃあな」 そそくさと立ち上がり立ち去ろうとした高耶はだが、 「皇妃様」 「ッ」 小次郎の声に、足を止めた。 「……何、だ?」 ゆっくり振り向いた高耶に、小次郎はにこやかに小さく頭を下げる。 「感謝しています」 「……え……」 いきなりの言葉に、高耶は面食らってしまった。 「何、で?」 「……もし皇妃様がお声を掛けてくださらなかったら……私は野垂れ死にしていたかもしれません」 「……いや、そんな事は……」 福祉にも力を入れている王都では、確かに貧富の差はあるが貧しい者には手を差し伸べている。エチゴに住んでいるのなら、それを知らない筈が無いと思うのだが。 「とにかく、こうしていられるのは皇妃様のお陰です」 「……いいよ、オレも小次郎の料理食べられて嬉しいし」 これは本心だ。それが分かるのか小次郎は、心からの笑みを浮かべる。 「今度料理教えてくれよな」 「はい」 今度こそ城へ向かって背中を向けた高耶を、小次郎は黙って見送った。だから高耶は知らない、少年の顔には笑みが浮かびだが、そこには酷く切ない色が浮かんでいたのを。苦しみを飲み込む、そんな表情をしていた事を。 *************** 「お願いだッ、兄をッ、兄を診てくださいッ!」 不作で麦も採れない、家畜も流行病で死んでしまった。兄弟の食べるものは何も無くなってしまったのだ。このままでは飢え死にしてしまう、そう思った兄正宗は決意する、獣があちこちにいる森に入る事を。森は危険だが、栄養のある動物も多く生息しているのだ。小動物でも捕れれば何日かは食い繋ぐ事が出来る。 弟である小次郎は当然止めた。だが兄は笑って、大丈夫だ、お前の為に美味いものを捕ってくるから待ってろ、と言い残し森に入ってしまった。 兄が戻ってくるまでは、本当に不安で心配だった。夜になっても戻ってこない兄に耐え切れず小次郎も森に入ろうとした時だった、 ガタンッ 「兄上ッ」 家は先祖代々サガミ王家に使えてきた騎士の家系だ。その事に2人の兄弟は誇りを持っている。だが前の王は暴君だった。国や王家の為に命を掛けている騎士達の存在を、捨て駒程度にしか思っていなかった。それに絶望した兄弟の父は王都を捨て田舎に移った。そんな頃だった、エチゴとの戦乱に入ったのは。 騎士だった父と兄も呼び出され、戦闘に加わった。だがエチゴとは戦力が比べ物にならなかった。 数的にはそう変わらないのだが、何よりも統率力のある指揮官に恵まれなかったのだサガミは。 戦の何も知らない王族の縁者の貴族が司令官になった。それが地獄の始まりだった。 司令官はただ、闇雲に攻めた。こちらの状況を全く考えずに。それを見かねて意見したのが小次郎の父だった。 情勢が不利な場合は一旦引き、そこでまた立て直す、こんな当たり前の事を言われた司令官は、引くなど腰抜けのする事だ、と怒りそれでも必死で言い聞かせようとする小次郎の父を、鬱陶しいと思い不利な戦いをしている前線へ出るよう命じた。 そこで命を落とした父の事を、小次郎は一緒にいて命は助かった兄から聞いた。当然小次郎は戦いに敗れ処刑になった王族に対し何の感慨も持たなかった。 サガミが滅びる直前の国政の酷さを十分知っていた小次郎はだから、エチゴの占領下になったとしても、それを歓迎した位だ。父を殺したサガミを小次郎は憎んでいた。 だが、生活は更に厳しいものとなった。サガミ地区に移った兄弟を待っていたのは、その日の食事にも欠く貧しい生活だった。だが2人は騎士の誇りを持って、何時かは中央の手が入りまともな治世になる、と信じていたのだ。なのに、 「兄上ッ!」 帰ってきた兄は、躯中傷だらけであちこちに血を流している。 「小次郎……」 やっと戻ってきた兄は弟の顔を見て安心し張り詰めたものが切れてしまったのか、その場で倒れ込む。そして小次郎は慌てて兄をベッドに寝かせた。 傷は広くはないが深く、兄の躯を傷付けていた。傷からは細菌が入り込み、そこから細胞は死滅していく。それを食い止めるには薬が必要だった。 小次郎は地区で一軒の医師の元へ走った、ひたすら走った、たった一人の家族でもある大事な兄の命を救う為に。自分の為に森へ入り、瀕死の重傷を負った兄を失わない為に。 「先生ッ、先生ッ!」 ドンドン扉を叩く小次郎は、やっと出てきた医師を見て安堵に力が抜けてしまった。 「先生……兄が……兄を診てくださいッ」 必死に頼み込む小次郎にだが、領主の親類である医師は困った顔になる。 「先生?」 「……診察代はあるのかい?」 診察代……言われた瞬間心臓がス、と冷えた感覚に襲われるのを感じた。それでも小次郎は必死に言い募る。 「……いえ……でも、でも時間が掛かっても必ずお支払いしますッ」 「診察代だけじゃない、その様子だと薬代も必要になる」 「それも必ずッ!兄が死にそうなんですッ!」 今にも医師を引っ張って行きたい思いを必死に抑えた。 「申し訳ないが……それは出来ない」 「何故ですッ?!」 悲鳴に似た叫びにだが、医師は困った顔をするだけで。 「治療代は直ぐに支払わなければならない……これは中央から、エチゴ皇帝の命なんだよ」 「……え……」 「後で払う、と言うケースは殆ど成されない事が多い……それは税の滞りに繋がる。だから税も重くなりどんどん地区は貧しくなってしまう……」 「……そん、な……」 「もしここで君だけの頼みを聞き診察をしたりしてそれを皇帝が知れば……この地区全体が処罰され、死罪されるものも出るだろう」 「そんなッ、皇帝がそんな事する筈がないッ」 興奮に息を切らす小次郎に、医師も悲痛な顔になった。目には涙さえ浮かべている。 「すまない……私も君の兄の命を救いたい……だがどうする事も出来ない……出来ないんだよ……ッ」 「……」 蒼白になって震えている小次郎を見て、医師は涙を流した。