皇帝陛下と魔王の箱庭
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183P 異世界トリップファンタジー第14弾 書類や謁見、議会を何件も抱えている直江は常に政務に追われている。だがそれは〟日常〝で、直江にとって特別な事ではなかった。そして今も、執務室で書類に調印を押している。 コンコン 「……」 1人で机に座っていた直江は、ノックの音にゆっくり顔を上げた。 「陛下」 その声だけで、誰が何をしに来たのか悟る。 「入れ」 声と共に、扉が静かに開いた。 「聞こう」 「は」 入ってきたのは風魔の頭領である小太郎だった。 前置きや普通ならあるだろう大仰な挨拶は、この皇帝には一切無用だ。腹心の部下はそれをよく心得ている。 「オワリを国家として立たせたのは、オダノブナガ、先日死んだ長の次男に当たる男です」 「次男か」 不機嫌そうに呟く意味が分からない筈の無い男は、淡々と続けた。 「長男は父親と同日(・・)死亡しました」 「同日だと?」 「はい」 「それは面白い」 ふん、と酷薄な嗤みを浮かべ、直江は口元を歪める。高耶には決して見せない表情だ。恐怖王、と呼ばれた本性が前面に現れている。 強烈な圧迫感、そして威圧。だが小太郎は顔色1つ変えず淡々と報告を続けた。 「ですがこちらの予想と違っていたのは、オダが自らの手で行った事です」 「自ら?」 小太郎の言葉に、直江の目がピク、と上がる。 「はい、父親(・・)の(・)遺体(・・)の(・)前(・)で(・)」 「……」 確かに人を使うだろうと思っていたが、自ら、と聞いても直江は然程驚かなかった。却って納得している位だ。 「長の位置を奪い、国まで侵すか」 独り言のように呟く直江の様子はだが、どこか愉しそうだった。 「しかし遺体の前だと?全く面白い男だ」 くくく、と嗤う皇帝の薄紫の眸はあくまでも鋭い。 直江には、その光景が容易に想像出来た。 父親の遺体の前、哀しむ兄を切り伏せる弟、何の躊躇も無く。そして愉しそうに嗤い、飛び散る血飛沫を浴び赫に染まる男。 「ふん」 簡単な事だ、弟は兄を〟障害物〝と見做(みな)した、それだけの 事だ。障害があれば取り除く、至極自然な事だった。それでも直江は、そこに弟であるノブナガの〟愉悦〝を感じ、嫌悪感を顕にする。それは同属嫌悪に似ていると同時に、間逆の感情だった。 「来るな」 「恐らく」 「内容は」 「挨拶と」 「謁見、だな」 「御意」 「……」 直江は考える、この場合の最上の行動を。 背凭れに躯を預けると、ギシ、と古い椅子は音を立てる。 正直厄介だ、この手の輩は。 野心を隠さない所はいい、それは問題は無かった。新興の国家の国主に、野心の無い訳がない。だが引っかかる箇所が多々あった。 「拒否するのが一番簡単だな」 国力は雲泥の差がある。しかも遠く離れた国だ、たとえ間者を入れたとしても、軍で攻め込むのは不可能だ。 国交を拒めばそのままに、互いに何の繋がりの無い国、として歴史を刻んでいくけだ。 「はい、ですが」 「分かっている」 これまでの経過を聞けば、今は取るに足らない存在でも1年後はどうなっているか分からない。3年後5年後、10年後は更に予測が付かなかった。 「やはり、見るか」 直江の言葉に小太郎は、無言で一礼し静かに下がった。そして再び執務室には直江が1人残される。 「オワリ」 伸し上がるのは悪い事ではない。人間世界こそが、弱肉強食なのだから。無能は王は排除され、新王が立ち支配する、それを歴史は繰り返してきた。 今でこそ安定しているエチゴだが、10数年前までは国境には常に緊張に支配され何度も敵の攻撃を受けた。 エチゴは畏怖されていると同時に、多くの国に憎まれている。憎んでいる者の多くは、処刑を逃れ今は排除された王族関係者達だ。 国王、重臣達は勿論処刑された。その他の王族なども、過酷な運命に落とされた。だが、生残っている者が多いのも事実だ。どんな境遇にあるかは夫々だが、決して幸せとは言えない者が殆どだろう。 他国で過酷な肉体労働に従事したり、女ならば売春宿。いや、まだこの程度なら運が良い。更に王に近かった者などは奴隷として売られたのだから。 奴隷とは、人間としての尊厳を全て奪われた生き物だ。奴隷に思考や意思、希望は必要無い。玩具として主人の気紛れのままに、生死を握られる。 エチゴは既に奴隷制度は廃止しているが、残っている国も多かった。 戦乱期、恐怖王と呼ばれた直江の敵に対する報復は、過酷且つ残虐だった。一切の容赦が無いが故、恐怖王、と呼ばれたのだ。 当然だが、それを後悔した事は一瞬だとて無い。もしこの先攻め入る国があったとしたら、今までと同じく、否、これまで以上に直江は剣を振い過酷な運命を裁断するだろう。 敵に対する制裁、報復、刑罰、それらを直江は〟政務〝として行った。戦い中にあった昂ぶり、怒り、憎しみ、それらは政治的判断をする時一切立ち入らせない。刑罰に感情は無用なのだ。だが、 「……」 1人直江は溜息を吐いた。 オワリ オダ 表舞台に浮上してきた言葉。 オダは恐らく直江に似ていて、同時に全く異質だ。 戦も戦術も政略も刑罰も、直江にとってそれは皇帝としての政務、政策の1つでしかない。だから愉しくも苦痛も無かった、だがオダは違う。 それら全てを私物化し、自らの快楽、愉悦の道具に使っている。オダにとって今回の侵略、占領は単に〟遊戯〝でしかないのだ。それらはあくまでも直江の想像なのだが、確信もしていた。 「……」 以前の直江なら、強い興味を持っただろう。だが今、直江の側には高耶がいる。守るべき、愛すべき者が出来てしまった。それに直江は縛られていた。無論その甘い縛めに、直江は望み甘んじて身を置いているのだが。 一番簡単なのは、オワリがエチゴを視界に入れない事だ。第一大陸にあるエチゴはオワリにとって、頻繁な交流を持つには遠過ぎる国だ。互いに、利益も損益も生まない存在だった。 「……ふん」 だが、そうもいかない。 近い内にオワリは接触してくる。これはもう、直江の中の〟予定〝として組み込まれていた。 ここ最近、高耶の周りでは様々な事が起こっていた。しかもその殆どは良いものではなく。 冬にウオヌマで起こった猟奇殺人。湖の畔の屋敷で起きた忌まわしい事件では、罪も無い子供達が狂気の犠牲になり惨殺された。そして春の祭りに起きた陰謀、裏切り、立て篭もり事件。それらに高耶が傷付かなかった訳がない。 最近やっと、穏やかな生活が戻ってきたのだ。このままずっと、そう願ってしまうのは自然な事だった。 「……」 オワリの建国、それに対する高耶の対応が気に掛かる。 高耶はただの皇妃ではない。政治的判断もするし、外交にも積極的だ。施政者としての意識も強い。 伝説の存在を一目見ようと、近隣諸国からは使者が遣わされるのはもう日常で。王族自らやって来る国もある。それらに対し、出来る限り丁重に対応していた。 「……オワリ」 オワリのオダが、高耶に興味を持たない保障は無い。帝国エチゴに400数十年振りに〟導く者〝が降り立った事を知らない筈がないのだから。 酷く興味を持つか、或いは全く視野にも入れない、そのどちらかだと直江は踏んでいる。 恐らくオダは、精神世界的なものを卑下する種類の人間だ と直江は確信していた。いくら〟導く( 高 耶)者〝がこの世界に降りた、神聖な存在だとしても、実際使えなくて(・・・・・)は(・)意味が無い。 オダならそう考えるだろう、かつての直江のように。 引き続き、風魔の目はオダを見張るだろう。経過を見て次の事は考える、そう決めると直江は、再び政務に没頭していった。そしてこの時考えた様々な杞憂は、思った以上に早く訪れるのだった。 低い山は傾斜もなだらかだ。頂上とも言えない頂上は、広い平地となっている。そこに聳え立つ城は真新しく、城壁、門と全てが黒に塗られていた。 黒い城は少ない。少なくともここオワリの城以外では、世界に認識されているものは無いだろう。 黒はこの世界の神聖な色だ、遠い過去から無意識に避けられてきた。人々の意識の中で、城を含む建築物に黒を使う事は〟ありえない〝事だった。だが、ここオワリの新王の居城は黒に染まっている。オワリは無論、近隣の国々はこの城を、恐怖を持って見上げるのだった。 「お前が行け」 「御意」 命じられた男は、片膝を着き深く頭を垂れている。 「よく見てこい……そして」 言葉を一旦止めたオワリの王、オダはニヤリ、と酷薄な嗤みを浮かべた。 「心得ております」 深く頭を下げている家臣を見る事なく、オダは大きな窓か ら遠くを眺めている。その眸は遠く、ここからは決して見(・)えないもの(・・・・・)を見詰めていた。 家臣が退室すると、金色輝く椅子に乱暴に腰を下ろす。広くない室内には、所狭しと美術品、宝飾品が無造作に飾られていた。 「お前はどう思う、モリ」 かた、と小さな音がして、オダの背後にある部屋の奥にある小さな扉から男が1人入って来る。オダは振り返る事なく、抑揚の無い声で訊いた。 「使えなくもない、と」 男の声に嗤いが含まれているのを感じオダはニヤリ、と口元を歪める。 「ふん」 真っ赫な髪を一纏めに括り、夜着のようなガウンを着たオダはゆっくり振り返った。 「どんな力を持っているにせよ、わざわざ他国に置いておく必要はないでしょう……変わったものがお好きな我が王の側にあってこそ、使えるのだと思います」 「だがそれをすればエチゴは黙っていまい」 言葉だけを聞けばエチゴを恐れているようだが、表情がそれを裏切っていた。何が愉しいのか、オダは嗤みを深めたのだから。 「それはそれ、本人が望むなら諦めるしかないでしょう」 モリ、そう呼ばれた男はゆっくり顔を上げた。まだ若く20代前半、天然のウエーブのかかった金色の短い髪が、窓から差し込む日の光に輝いている。まるで彫刻のように整った顔は、直江やオダとは違う種類の美貌を持っていて、それを十分自覚している笑みを敷かれていた。 「望むか?」 「やり方次第では」 「ではそうしろ」 「では私もエチゴへ参ります」 「お前が?」 「はい、その方が確実でしょう?それに少々興味がありまして」 「お前が興味か……珍しいな」 「珍しいのは彼の存在そのものかと」 「ふん、口の減らない」 「申し訳ありません」 言いながらも、オダの機嫌は悪くない。モリもそれをよく把握していた。 「ならばお前も行け、そして……遊んでこい」 「御意」 深く一礼すると、モリは音もなく部屋から消えた。残ったのはオダ1人、手にはグラスが握られている。細いグラスに入っているのは赫い酒で。濃度の濃い赫は、まるで血のようだ。 血の色の果実酒を一気に呷ると、オダはグラスを部屋の隅に放り投げた。 ガシャッ 小さく鋭い音と共に、グラスが砕け散る。破片はキラキラと日の光に反射し直ぐに輝きを失った。 「くくく」 鋭く吊り上った薄い赫の眸。それは獰猛な獣そのもので。 「……待っているがいい」 低く唸る声は、地を這うようだ。堪らなく愉しそうなオダは嗤いが止まらない。 「くくくく……」 退屈だった、これまでの人生は堪らなく。 小さな集落の長で満足している父親。程度の低い兄は、先に生まれたと言うだけで自分よりも優れた人間だと思い込んでいた。だが煩わしいだけで、特にそれをどうとも思っていなかった。だが気持ちは変化を起こす。 丁度その時父親は病に掛かっていた。死ねば代が代わり自動的に兄に地位が移る。それが何だか、堪らなく醜悪に感じたのだ。 面倒が嫌いな男は、だからと言って行動を起こす気は無かった。 代を継いだからと言って、あの( 兄)男に従う理由にはならない。 鬱陶しいならば、この集落から出てばいいのだからどうでもよかった。だがオダは動いた、動き攻め滅ぼし、国を建てた。 下らないと思っていた一連の行動は、やってみるとそう悪くなかった。愉しいとさえ感じた。特に兄だった男の腹に長刀がずぶずぶと沈み込んだ時、オダは愉悦さえ感じていた。 殺らなければ殺られる、だから殺した。胸を張ってオダは主張した。否定されても一向に構わなかったが、思った以上に簡単に長の座に着いた。 周りの家臣達は2種類に分かれていた。 オダを厭うているのだが、恐ろしくて口を噤む多くの家臣達。オダは凶暴で礼節の欠片もない、そんな男だ。当然正当防衛など端から信じていなかった。だが何を言っても前王も、嫡男だった男も死んでしまった。ならば道は1つしかなかった。 もう一方、それは初めから兄よりも、弟の方が優れていたと考えていた者達だ。数は少なかったが、確かにそう強く考える者達は存在していた。そして実際弟が長として立ち、これでこの集落は変わると信じた。 モリはその筆頭で、自身の野心の為にもオダが王となった事に満足している。 「エチゴか」 数年前、何故か〟海の向こう〝と言う意識が浮上した。そ れは不気味な程唐突に、人類全てに同時に、存在(・・)し始めた(・・・・)。 考えてみればこれ程異常な事は無いのだが、誰1人、その異常さそのものに気付いていない。そしてこれからも、気付く事は無いのだ。 今まで、全くと言っていい程存在していなかったその意識。だが一旦〟海の向こう〝を思ってしまえば、もうそれは当然としか言いようがなかった。 これまでの長い歴史の流れの中で、忽然と姿を現した〟海の向こう〝なのだが、オダの目には面白そうな獲物、としか映っていない。 「エチゴ……導く者」 黒い眸と黒い髪、言葉で聞いても俄かには信じられないものがある。だが2年程前、同じ大陸にあるヒタチがエチゴの占領下に敷かれた事があった。その際エチゴ皇妃である〟導く者〝がやって来たと言う。 ヒタチ側が何かしら不手際をした、それしか近隣諸国には伝わっていない。だがオダは情報を掴んでいた、王や皇太子がエチゴ皇妃に手を出したのだと。だがそれは、決してやってはいけない事だったのだ。