【エルメロイ教室】宵闇クレセントロード
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■2019/11/30の【COMIC CITY SPARK14-day3】で頒布した、エルメロイ教室本です。 ■「宵闇クレセントロード」A6/122P ■ピクシブにアップした、日常篇のテキスト10話を加筆および修正しました。 ■二世・グレイちゃん(+アッド)・ライネスちゃん(+トリムマウ)・フラットくん・スヴィンくん、カウレスくんがいます。 ■サンプルはグレイちゃん(+アッド)とカウレスくんの「流れ星」の話です。
宵闇クレセントロード
何光年も、歩いて走り。 旅をしたなら、20エーカー。 直筆だって、証明される。 占星術師は、アストロロジャー。 顎を3センチ持ち上げただけで、視界の中にはまんまるでない、白磁の月。 踵の下は赤い煉瓦だ。ショートブーツが踏み締める煉瓦の舗道はからからに乾いて、何日も水を欲していそう。拙も喉が乾いたな、と思う。でも、もうすぐ現代魔術科の校舎なのだから、とカラフルに立ちんぼしているジューススタンドや、シックな椅子の並んだカフェを通り過ぎた。師匠にこの荷物を渡したら、紅茶を煎れて一息つこう。だけど、師匠の部屋で自らのために喉を潤す弟子はよろしくないだろうか、と少し疑問だ。 わずかに傾斜のある舗道を進んでいく。緩やかな坂は煉瓦を敷き詰めていて、自転車で走ったのならガタガタしそう。まあ、拙は自転車を所有していないので、無用の懸念だった。一台あったら重宝するだろうか、とはてさてとする。ミルクや茶菓子を運ぶのに、とまで考えて、いや、大した重さじゃあない、と思考を切り替えた。自転車のホイールの輝きに興味はあれど、拙は歩くのが苦ではないし、嫌いでもなかったから。 灰色のロンドンは、今宵は晴れている。珍しい、と感心しそうになるのは、この地が曇り空と霧で覆われている日が多いからだ。本当に〈霧のロンドン〉なのだ、としみじみとする。もちろん綺麗な快晴の日もあるのだけれど、なかなかに稀だ。拙は住んでいるフラット(エルメロイ教室の双璧の片方のことではなく)と現代魔術科の往復が多くて、余計に青い空を見つけられないのかもしれない。ちょっとだけ、そこは残念だろうか。 すたすたと歩みを進めると、上空では三日月がクリーム色の姿を現している。くるんと曲がりくっきりと宙に浮かんで、まるで今夜の主役を名乗っているよう。たたたた、と少し小走りになっても、のんびりと両足を交互に踏み出しても、尖った姿は大きくも小さくもならない。実際の月の直径は3474キロメートルで、地球の4分の1。面積はアフリカ大陸とオーストラリア大陸を足したのより少し小さいくらい、と言われてもピンとこなかった。 ぴたり、と足を止めて、踵の下にある赤い煉瓦を踏み締める。目の前にある月のサイズを実感できないのは、月よりも身近であるはずの地球を実感していないからなのだろう。まあ、地球は見えないし、と誰に対してでもなく言い訳をしながら、いち、に、さん、と三歩後ずさる。クリーム色の月を見やりながら後退しても、やはり大きさは変わらない。それも当たり前ではあるけれど、と思った刹那に、なにかが背中に当たった。 「……おっと。グレイ、平気か?」 ぶつかって悪い、と台詞を続けたのは、カウレス・フォルヴェッジ・ユグドミレニア。「坂の下のカフェスタンドで、ドリンクを買ってたんだ。そしたら、グレイがいるのが見えて」と音を紡ぐ。「ドリンクを受け取ってすぐ追い掛けたんだけど、かなり足早いな?」ほい、とプラスチックの蓋がついている紙コップの片方を渡される。こくこくとドリンクを喉に滑らせているカウレスに、「ありがとうございます。いくらですか」と問うた。眼鏡の下の瞳がぱちり、と一度瞬き。「いや、いいよ。これわりと旨いから、よかったら」 今度は彼の代わりに、拙がぱちりと瞬きする。でも、と気になって言葉を連ねようとしたら、「ああ、それじゃあ、次に外で会った時に、なにかご馳走してくれ」そのくらいなんでもない、と言わんばかりに声にするカウレスに感心してしまう。ライネスもそうなのだけれど、飲み物が欲しい、と感じた際にそれを自然と差し出せるのは、魔術師だからなのだろうか。それとも家系の当主だから? 観察眼が鋭いのだろうか、とはてさてだ。 分かりました、いただきます、とドリンクを口にする。拙の手元はぽかぽかとしており、プラスチックの注ぎ口からはミルクティーが出てきた。甘くて美味しい、と頬がほころぶ。飴色の紅茶はミルクを注がれて色を変え、なんだか三日月の色みたいだ。こくこくと乾いていた喉が潤い、じんわりと心が満たされたら、横を歩いている魔術師も満足げなのに気がついた。胃の中にぽかりと温かさが落ちたので、訊いてみよう、と思う。 「あの、カウレスは、どうして飲み物を買おうと思ったんですか」 「うん?」 「ほら、現代魔術科まで結構近いです。食堂に行けばフリードリンクがあります。拙は、それで我慢してしまったので」 「ああ、グレイはストイックなんだな」 そうだろうか、と拙は不思議になる。「俺はそうじゃないと言うか、なんと言うか……」軽くまぶたを伏せて思考するカウレスは、ドリンクの紙コップを口につけて傾けたままだ。彼の両足はわずかに速度を緩めているものの、止まらずに動き続けている。器用、とふむふむと頷いた。「飲みたい時に飲んでおかないと、突然飲めなくなるかもしれない、とか考えてて」唐突に非日常で物騒な台詞が展開して、横顔を凝視してしまう。 「あ、別に今、なにか面倒ごとが起きてる訳じゃないぞ?」 拙の目線を柔らかく訂正するカウレスは、「でも、面倒ごとが起きるのって、突然なことが多いからさ」と付け加えた。彼の言う〈面倒ごと〉が果たして〈フォルヴェッジ家〉を指すのか、はたまた〈ユグドミレニア一族〉を指すのだかは分からない。もしや、〈聖杯戦争〉だったり、〈サーヴァントの召喚〉だったりするのかも。以前にちらりと、彼の姉は魔術師をやめてフォルヴェッジ家を出奔した、とも聞いたことがあった。 「前途多難かもしれないし、順風満帆でもないかもしれないけど」 エルメロイ教室は悪くない、と台詞が続けられて、どうしてなのだか嬉しくなってしまった。拙はもちろんエルメロイ教室に所属しているけれど、それは単にロードである師匠の厚意であって、この身は魔術師でさえない。だのに、〈エルメロイ教室〉を〈ホーム〉のように感じていることに、墓守は気づいていた。出自を明かしていない謎の墓守を否定もせずに、教室に置いてくれる皆の度量が好きなのかもしれない。とても有難い、と思う。 「あのさ、そんなに旨い?」 いや俺も、わりと旨いからグレイの分も、と思ったんだし、いいんだけど、と意外そうに音にするカウレスの目線で、自分の頬が持ち上がっているのを発見する。右手に紙コップ、左手で頬に触れ、その形を確認する。すごく笑っている、と実感しながら、この顔は〈造られたもの〉だけれど、今笑っているのは、拙の心の動きに依るものだ、と知る。水滴が浮かびそうになり、慌てて瞬きする。美味しくて感激した、では通らなさそうだったから。 「……はい、美味しいです」 こくり、と喉にほんのりと甘いミルクティーが流れて、まぶたを伏せる。心持ち歩調を落として、紙コップを傾けているために素早く歩けない振りをした。なぜなのだか、ちょっとだけのんびりと歩いてみたかったのだ。カウレスに指摘されたように、どうやら拙は歩くのが早めらしく、長時間の徒歩の際、師匠には「グレイ、ちょっと待ってくれ」と言われることもある。だから、意識的に歩みをゆっくりにする必要があった。 トン、とショートブーツで煉瓦の舗道へ一歩。目の前に連なっている坂は、あまり傾斜は大きくない。普通に歩いているつもりでも、たまにザッ、と踵を擦ってしまうので、拙は真っ直ぐに歩けていないのかもしれない。赤い煉瓦でショートブーツの踵が削れて混ざり合ったのなら、世界とロンドンではなにが生まれるのだろう。墓守の拙では分からないけれど、魔術師の師匠やカウレスなら分かるのだろうか、と摩訶不思議な気持ちが溢れた。 ふと歩を止めて見上げたのなら、三日月は綺麗に、大きく背を伸ばすみたいだ。円になっている背中の周囲に、くるんと曲がって尖った先に、星屑が溢れて瞬いている。星がよく見える夜だ、と紫と紺色の中間の空を見やった。白い煌めきは何年も、何百年も昔の光だなんて本当だろうか、と不可思議になる。チョコレートの上に乗っている装飾の粒みたいだ、と昔の光を思う。あの星にも、墓守や魔術師はいるのだろうか、と夢想した。 「氷砂糖みたいだ……」 ぽつり、と不思議な台詞が隣で生まれたので、拙はぱちりと瞬きする。隣の魔術師を見やったら、「いや、なんでも」と苦笑して否定した。「拙は、チョコレート菓子の上にある飾りみたいだな、と思いました」降るような星々ではない。三日月を囲むように傍で佇む光は、ただ淡々と静かに宙を照らしている。暖かい太陽のようではなく、ひんやりとした空気をまとって。熱くはなくとも、きっとそれは冷たくはないのだ。 「星はもしや甘くて、このミルクティーみたいな味がするのかもしれません」 こくり、と一口含んだら、温かい紅茶は甘味を拙に届けてくれる。墓守が摩訶不思議な言葉を音にすれば、〈星は氷砂糖〉と表現したロマンチストの魔術師も、ふうん、と面白そうに声にする。拙の手元の紙コップの中身と三日月と星は同じ色をしていて、片方は地に、片方は天にある。これは自然の摂理というものだろうか、と綺麗な三日月と星を、美味なミルクティーを同時に堪能した瞬間だった。 ◇ 「ぎゃははは、ロマンチストども! こりゃあ、ダブルロマンチストかよ!」 「……アッド」 拙のフードがぶわっ、と盛り上がってはためく。マントのようにばさりと動く布地の真下で、大仰な叫び声。ゲラゲラと楽しそうでとんでもなく嬉々としていて、「口を出さずにはいられないぜ」とでも口上を始めそうだ。ここは立派な舞台の上でもないのに、どうしてこうも大声なのだろう。キヒヒヒヒ、と含み笑いに変化した四角い匣は、繰り返して笑っている。〈嘲笑う〉ではなくわりと愉快そうに。 「そういえば、アッドってなにか食べたりするのか?」 〈ダブルロマンチスト〉の評価に苦笑していたカウレスは、そうと問う。紙コップを傾ける彼の人は、「これ飲む?」とでも口にしそうだ。アッドは面白そうにぱちりと瞬きをした。拙の右腕の下に格納されている銀の籠の中身は、〈魔術礼装〉だ。そんなことはカウレスだって知っている。しかも彼は、過去に〈サーヴァント〉を呼び出した経験もあるという。だとしたら知らないはずはないのに、そうと問う。 「んー、まあ、〈霊〉とか、雷電気の兄ちゃんが持て余してるなら、貰ってもいいぜ?」 「ああ、そういうのか。降霊は得意な方だけど、さすがにそれは手持ちがない」 参ったな、という風情でぽんとポケットを叩く。ぽん、と軽い音に四角い匣はにやりと笑った。「どっかにいねえかなあ」とアッドは物騒なことを呟いている。籠の中から周囲を見回し、きょろきょろとする。別にお腹は空いてないくせに、と思ってしまった。前述のやり取りをしたから、カウレスに〈喰らう〉のを見せたいのかもしれない。自らが〈神秘の塊〉であることをあまり意識していない気がする。まあ、それは拙もそうなのだけれど。 こう在りたいと望んだ訳ではない。願ったはずもない。ただ、そうと存在しただけだ。たぶんアッドも拙も。でも、アッドはもしや違うのだろうか、とどこが首なのだかも分からない体を左右に揺らしている姿を見つめた。拙はカウレスのように真っ直ぐに問えはしなかったから、アッドは察してくれなかった。問うても答えてくれない予感もする。なかなか変われない、と自分に溜息した刹那だった。ざあっ、と流れる箒星が見えたのは。 ピカピカした祝福された輝きではない。室内の照明のように周囲をまるごと照らしたりしない。舞台のスポットライトみたいに目映い煌めきでもない。ひっそりとこっそりと、「いたりいなかったりするんです」とでも言葉を続けそうな灯り。目立たなくて主役になれなくて、それなのに苦しさばかりは両手に抱えている気分で。それはもう、なんだかとても誰かに似ていて、ああ、と拙は。 「……っ、カウレス、流れ星です!」 「え、どこだ?」 「あそこです、時計塔の方向に!」 「あ、あった。なんか願うか?」 ロマンチストな元〈マスター〉は、世界と拙とに、そうと問う。 「えっと、あー、そうだ。いつかまた、姉ちゃんと会えますように。あ、ダメか。これは俺の願いだ。ええと、姉ちゃんのリハビリが上手くいきますように! 早めに歩けますように! これでよし……グレイは?」 常日頃はわりと落ち着いている魔術師が、大声で叫びを上げる。しかも、ロマンチストかと思ったらリアリストだ。気恥ずかしいことを言ってしまった、とでも思っているのか、魔術師はとても照れくさそう。拙はそんなカウレスからは目線を外して、上空を見据えた。きらきらとまばゆい光は弧を描いて流れ、三日月にぶつかってしまいそうだ。ミルク色の流れ星に、さて、墓守はなにを願おうか。 この〈貌〉が元に戻りますように。これは違う気がする。数年掛けて、この〈貌〉は拙に張りついてしまった。しかも、すでに拙は元の顔を覚えていない。こんなだったろうか、というぼんやりとしたイメージのみだ。それに、師匠やエルメロイ教室の皆にしてみたら、この〈貌〉が〈墓守のグレイ〉なのだろう。もしも顔が変わってしまったら、師匠や皆は拙が分からなくなってしまうのではなかろうか。 ずっとエルメロイ教室にいられますように。これも違う気がする。今の立場はとても特別なものなのだと、多少なりとも理解しているつもりだ。この時間はスペシャルであって、誰かの〈魔術〉が掛けられているようだったから。いつしかなくなってしまうのだろう、と寂しく思う。拙は魔術師になりたいとは考えてはいないし、それほど魔術の素質もないだろう。だから、いつしか、エルメロイ教室を失ってしまうことは、おかしなことじゃあなかった。 それでは、墓守はなにを願うのか。まぶたを伏せて考える。この刹那にも流れ星は消えてしまうかもしれなかったけれど、これは大事な儀式な気がした。拙はライネスのように魔術で空を飛んだりできないし、フラットのように魔術を術式で組んだりできない。スヴィンのように〈五感〉で魔術を追えやしないし、師匠のように〈ホワイダニット〉を見つけることもできないけれど。拙にできることと、拙の望みを、さあ音に。 「……やっぱり、グレイはストイックなんだな。自分の願いじゃあないのか」 「カウレスだって、自分のことじゃあなかったですよ?」 「俺のはいいんだ。俺の願いでもある」 「じゃあ、拙もそうです。拙の願いです」 くくくく、と右腕の下でアッドは含み笑いをしていた。なにか可笑しなことを言い出したら籠を振り回そう、と心に決める。でも、どれだけ経っても、どうしてなのだかからかいの声は上がらない。はてさて、とフードの中を覗き込んだら、ばちりと目が合った。にやにやした顔を引き締めて、「俺を連れてけよ?」と無言で宣言される。こくり、と頷くと「キヒヒヒヒ!」と笑って満足そうにした。 足元からは、すらりと三日月。 繋がったのは、自らの影。 本当なのか、本当ですか、と二人はひたすら繰り返し。 墓守と魔術師と魔術礼装は、クリーム色の路を歩いた。 (師匠の旅が叶いますように。その旅に、拙も連れていってもらえますように)