【フラット】ちょこざいだとて、ノヴェレッテン
- ¥ 600
■2020/2/23の【HARU COMIC CITY26】で頒布した、ストレンジフェイクなフラットくん+ジャックさん本です。 ■「ちょこざいだとて、ノヴェレッテン」B6/78P ■フラットくんとジャックさんの最終決戦前の話、二人でロンドンに帰ってくる話、二人で宇宙へ飛び出す話、封印指定の話の4話です。 ■サンプルは「最終決戦前の話」です。
ちょこざいだとて、ノヴェレッテン
開いたのなら、短編小説。 ザクセン王国、プロイセン。 交響曲から、合唱曲へ。 ロマン派なんて、ドイツその人。 まるで、カメラがファインダーでピントを合わせるようだ、と思う。 しかも、自動的ときている。キュウン、とオートで鳴る回転はきっと無意識だ。どうやっているのかね、と問うたのなら、「うーん、なんとなくやってたら、できました」と答えるのに違いない。一度だけ電話回線越しに話したことのある、時計塔のロードの心境を懸念した。多分に、カッとして叫び出したいのを必死で落ち着かせながら、大仰に息を吐き出すのだろう。なんとも偉い苦労が見えるようで、少しだけ同情してしまう。 私の〈マスター〉はその目に映っているものが随分と常人とは異なるのではないか、と感じていた。もしや〈魔眼〉とやらであるのか、と首を捻った瞬間もある。彼の空色の瞳はきらきらと瞬き、「俺、属性は〈空〉なんですよね」と笑う。風火水土などに表される、魔術の特性であり分類のことらしい。〈空〉はもしや〈ソラ〉ではなく〈カラ〉ではないのか、と光彩に映し切れない彼を危ぶんだ。 彼が瞬く度に、ぱちりぱちりとなにかが組み合わされて、像が合っていく。目の前の不確かな姿がはっきりと明確な形を取り、意味のある存在へと変わるように。機械以外のものをとんでもない精度で理解する彼は、それを他者へ伝える術を持たないのではなかろうか。「感じるんです。ぱっと部屋の電気が点くみたいに」フラット・エスカルドスの〈電気〉はスポットライトではないのかと、ロード・エルメロイⅡ世も考えているかもしれない。 まいったな、と私はしきりに唸っていた。師匠は師匠で私を概念として言葉で(無意識に)解体しようとするし、弟子は弟子で私の本質を視認して(無意識に)正体を突き止めてしまいそうだ。まあ、私は〈ジャック・ザ・リッパー〉が何者であったのかを追い求めたいわけだから、さほど悪い条件ではない。まあ、ないのだが。むむむむ、と渋く唸りを繰り返すのは、あれだろうか。解いている、パズルの答えだけを出されると困惑するやつだろうか。 高いところが好きなのかね、と訊ねたことがある。私の〈マスター〉はどうやら、高台やビルの屋上、見晴らしのよい場所を好んでいる気がしたからだ。「そうですね、色んなモノが認識し易いですから」の後に、「でも、日向の方が好きです」と笑う彼が泣いているように見えるのは、私の錯覚なのだろう。自らの判断力が鈍っているようで、少し焦る。希代の殺人鬼を焦燥させる青年だな、と苦笑ばかりが浮かんだ。 狭いモーテルの室内でも、広大な公園の真ん中でも、高層ビルの最上階でも、真っ直ぐに立つ。ぴしりとした姿勢のいい立ち姿ではない。飄々とした気負いのない肩は、時計塔とやらで〈魔術師らしくない〉と評されて当然だろう。傲然とするでもなく、恐怖にひきつるのでもなく、狂気に溢れるのでもなく、ただただ真っ直ぐに立つ。きっとそれは彼自身を、〈フラット・エスカルドス〉自身を表すのだろう。 その辺の大学構内にいても可笑しくない存在は、能天気で素っ頓狂でありながらも、現実と魔術への理解は人一倍で(いや、三倍くらいやもしれぬ)、一見頓珍漢でありながらも対応が的確だ。これでは時計塔とやらでも扱いに困るだろうな、と知れる。もしやロード・エルメロイⅡ世の教室に属しているのは、とてつもない幸運なのではなかろうか。まあ、当のロードにとっても幸なのかは分からないのだが。 私が意外だったのは、強大な敵を前にしても、驚愕するべき〈宝具〉を目の当たりにしても、彼の立ち姿が崩れなかったことだ。自然体を意識しているのか、はたまた無意識で同じ姿勢なのか。どちらなのかが私には判別できない。結果的にどちらだとしても、私の〈マスター〉が一風変わった傑物なのは変わらないし、それがこの状況になにかを与える訳でもない。ただ、なんとはなしに、「もっと怖いモノを知ってますから」と答えられそうで。 彼は〈サーヴァント〉や魔術師を敵だと考えてはいないのかもしれない。「〈サーヴァント〉と何人も友達になれたら、めちゃくちゃかっこいいですよね!」と目を輝かせていた。まさかこれを〈手合わせ〉だなどと思ってはいないだろうな、と冷や汗をかく。しかし、「見つかったら瞬殺されると思って、黙ってました」という発言を〈サーヴァント〉に対してしていたから、まるっきりの考えなしではないのだ。そうと思いたい。 途方もないアンバランスさに、私の不可解は天井を通り越していた。「時計塔では、色んな科の先生達に次々と嫌われちゃって。流れ流れて、現代魔術科に、教授に拾って貰いました」さもありなん。こんな驚異的で脅威的な〈天才〉は誰かて嫌だろう。ひしひしとロード・エルメロイⅡ世の稀少性に感謝したくなる。あのロードがいなかったら、もしや彼は私を現界させる機会はなかったのではないか。 めらめらと、どうしてだか私の中でなにかが燻っている。少しずつ炎は温度を上げて大きくなるようだ。灼熱ではなく、ひたすらに内部で広がっていくのは私の感情なのだろうか。じわりじわりと心がそれに侵食されていく。憐れみでも哀しみでもないそれは、なぜだか理由が分からなかった。違うだろう、とどうしてだかそればかりが胸を席巻する。渦巻いているのはまるで嵐のような疾風怒濤だ。 私はどうしたいのか、と思考する脳内に閃くのは彼の台詞だった。ああ、マスター、とまぶたを伏せそうになる。「俺、〈天啓の忌み子〉なんて呼ばれてるくらいですし」と音にした彼の気持ちやいかに。ぶるぶると震える拳は武者震いではない。私の握った右手はさっぱりときっぱりと正義ではなかったが、目に余る表現に立腹していた。そうだ、どうやらなぜだか、〈ジャック・ザ・リッパー〉は激怒しているらしかったのだ。 ◇ 「あの、すみません、ジャックさん、そこ避けてもらっても? 向こうから続いて術式を引いてますので」 「マスターよ、私のことは〈バーサーカー〉と呼びたまえ」 「どうしたんですか、ジャッ……バーサーカー、さん」 「なんだね?」 あれだけ派手に〈宝具〉を展開し、大仰な口上を行い、変幻自在な姿を周囲に見せて回った後だ。真名を伏せるのは意味がないのかもしれない。だがしかし、私の技や動きを視認していない相手にまで正体を知らせて歩く必要もあるまいて。君も理解しているだろう? という意味で視線を投げたら、奇妙にぎくりとした動きをされた。「なんか、怒ってます?」ぱちぱちと瞬きする彼は首を傾げ、ああ、とようやく合点がいったようだ。 「ひょっとして、作戦が気に入らなかったんですか。よりリアルですし、やっぱり俺が誘き出すのやりましょうか」 「君は死に急ぐタイプなのか」 「嫌だなあ。そんなことないですよ」 ガラガラ、と足元で煉瓦が崩れる。灰色の煉瓦がぐずりと塊になり、彼は再度瞬きをした。私の影に目線をやり、空色の瞳が世界に不思議を訴える。アメリカ、スノーフィールドの舗道を全壊させるつもりもないのだが、私の影からはどんどんと見えない炎が漏れ出していて、煉瓦が温度に耐えられないらしい。くしゃりと灰色の魂がひしゃげて、整然とした舗道の形を成さなくなる。近未来の私の姿だろうか、と思わなくもない。 見上げても全天が灰色だ。暗雲が垂れ込めていないだけよしとするべきなのか、彼の近未来までもこの色ではないのだろうか、と無用な心配をするべきなのか。摩訶不思議を抱えたままのスカイブルーを上空に写し取りたい。明日には晴れるとよいのだが、と思う。〈バーサーカー〉と〈マスター〉には明日などないかもしれないのに。楽観的なのは彼の十八番かと考えていたが、わりと自然に浮かぶ思考らしい。 「ジャックさんは、オレンジなんですよね」 「なにがだね?」 「魔術とか回路のカラーです。ほら、足元から橙色の線が伸びてます」 はてさてと眼下を見やるのだが、ガラリと崩れた灰色煉瓦に、ぐずぐずと揺らめく闇色の影があるばかりだ。「……私には見えないが」また、君には見えているのか。誇らしく思ったらいいのだか、途方に暮れたらいいのだか分からない。「綺麗だなあ」わずかに眩しそうに目を細める彼には、機械以外のモノが理解の範疇として〈見えて〉いるらしい。この灰色の足元でも、彼の世界は随分とカラフルなのだろうか、と謎ばかり。 そうと発しながら、くるくると両手の指を回転させては、私には見えない術式を描いていく。目に見えないのだから、実際に描画されているのか私には確認のしようがないのだが、魔術師であるらしい〈クラン・カラティン〉のメンバーが揃って感嘆の息を吐いていたから、それは見事な画なのだろう。真剣な顔など一つもせず、ひょいひょいと動く指先は羨望であるのか、はたまた嫉妬と絶望の対象なのか。 「大丈夫です。いざとなったら、〈災厄〉は俺がやりますよ」 「……なにを言っている?」 くるり、と右腕を上げて回転。トン、と傾いた煉瓦を飛び越えて、術式を描くのを続ける。その瞳はさっぱりと悲観を抱いてはおらず、飄々とした雰囲気のままだ。「俺は黄緑なんです。だから、ル・シアンくんに〈ぺかぺかした匂い〉って言われるのかなあ」苦笑した彼は、「俺も、オレンジがよかったです」と音を綴る。色などどうでもよかろう、と一笑に付せないのは、なにやら望みがなさそうな彼の、小さな無い物ねだりだからなのか。 「やっぱり、チェスで決めるのは無理なのかなあ」 なにがチェスなんだ、と私の心は震えている。歓喜ではない揺れは足元から零れている炎と連動しているようで、灰色煉瓦はぐしゃりと曲がったままだ。この修繕の費用を出すのは誰なのだろう、と今は考えなくともよさそうな懸念をした。「全然悪くない一人の人が原因で、世界中の人の命が危ない、って時、どうしたらいいんですかね」ぽつり、と呟く彼の表情がついぞの泣き笑いと重なる。辛そうではないのだが、これは。 「俺は全然ヒーローなんかじゃないし、正義の味方になろうと思ったこともない、ただの魔術師なんですけど」 なぜだか言わせてはいけない、と予感が走る。言葉にしてはならない事柄というものはあるものだ。〈ジャック・ザ・リッパー〉は〈言霊〉を鵜呑みにはしていなかったが、〈魔術師〉であれば重要視するかもしれない。数メートル先で一言一言を気軽に綴っているように見える彼の瞳は〈空色〉で、きらきらと瞬いている。それはそれは眩しそうに。「スノーフィールドのせいで、エルメロイ教室がなくなっちゃうのは、嫌だから」 でも俺が死ぬのも嫌なんで、他に方法はないかなあ、と探してたんですけど。そう言葉にする彼の声はこれっぽっちも揺れてはいなくて、波形にしたのなら、緩やかな波を描いているのだろう。〈波のまにまに〉は日本の歌だったろうか、と〈座〉の知識としての記憶を引き出す。私の心臓はドクドクと脈打っており、柔らかく優しい彼の鼓動とは正反対だった。先刻の怒りが私を未だに席巻していて、ああ、そうだ、と低く唸りそうになった。 「……ちゃんちゃら可笑しいな、マスター」 「そうですか? やっぱり俺じゃあ、力不足ですかね。魔力は多い方だと思うんですけど」 「ああ、役不足だろうとも」 「あれ、役者不足でなくて?」 「違う。君は多分、これから魔術師としてとてつもないことを成しそうな気がする。魔術師が血道を上げて探求している〈根源〉とやら、君には見えているのではないか?」 「うーん、見えてるっていうか、ぴかっと光ってるのがたまに視界の端に映るっていうか……。でも、あれが〈根源〉なのかは分からないですよ?」 「見た魔術師が少な過ぎて、確認ができないか」 「そうですね」 トン、と軽やかにステップ。くるくる回るのは彼の体ではなく、手のひらと指先ばかりだ。小さい訳でもないが、大きくも分厚くもないその手で操るには、見えているモノが巨大ではなかろうか。ぶわり、と影を手のひらの形にして持ち上げる。真っ暗闇ではない影は私の本体であるのだし、本来ならば形は自由自在だ。ここではあえて手を形作る。自然に成型したそれが彼の右手と似ているようで、どうにも苦笑だった。 「ほら、マスター」 「はい?」 持ち上げた右手を縦にかざす。ぱちりと瞬きする彼は合点したらしく、不思議そうな顔のまま、手のひらを合わせてきた。やはりぴったり同じ大きさのようだったので、意識的にサイズを調整した。それを不可思議そうに眺める彼は、私が影を大きくしたのに気がついたろう。興味深そうに私の挙動を見守るが、特別指摘したりしない。なにもかもをつまびらかにしてしまいそうな能力があるからこそなのか、身の程を知っている。 「私の方が大きいな。やはり、私の役目だろう」 「手のサイズで決定ですか? ジャッ、……バーサーカーさんらしくない」 「そうではない。なにしろ、君は〈災厄〉とのたまったのだ」 「はい?」 「目の前にいるのが〈ジャック・ザ・リッパー〉なんだぞ。私以上に〈災厄〉をこなせる役者なぞいないだろうに」 彼は最後にもう一度だけ空色を瞬かせた。ぱちりぱちり、と彼の脳内でピースがはまっていくのが見える気がする。急速に集束する思考は終息して、答えを導き出す。否とは言わせんよ、という表情で軽く睨んだら、「まいったなあ。ジャックさんはヒーローみたいだ」とこぼしてから、「うん、やっぱりかっこいい」と強い目をする。「いや、私は恐怖の殺人鬼だが」に対しては、「そうですねえ」とくすくす笑うばかりだ。 俺は歴史の証人になりそうです、とマスターは説く。 時計塔とやらに、目にもの見せてやれ、と私は訴えて。 教授に怒られちゃうかなあ、と彼は指を回転させ。 何度かて、泣き笑いを繰り返すのだ。 (上空にスカイブルーが見え隠れして、殺人鬼だって何度でも笑ったのだよ)