皇帝陛下の夏休み
- 900 JPY
190P (表紙・中表紙含まず) 昔から高耶はずっと、不思議な夢を見てみた。奇妙なほどリアルなそれを、単なる夢と放置し…そして部下も出来る大人になっていた。 だが運命の歯車は動き出す。 夢で見た光景…世界…出会った不遜で傲慢な男直江。黒い髪黒い眸を持つ高耶の存在は、とても危ういものであった。それを利用しようと皇帝である直江は企むのだが… やたら長編になってしまった「皇帝陛下シリーズ」第一弾 光と緑と、溢れるその光景はまるで絵画の様で――― 気が着くと、そこに立っているのだ。 緑に溢れ目の前には、凪いでいる大きな湖。御伽噺の世界の様な風景。〝静〝の美を持つ世界は何時も、穏やかに優しく、そこに広がっていた――― 皇帝陛下の夏休み 1 「……」 寝てはいたらしい、一応。だがむっくり起き上がっても、全くと言っていい程頭がスッキリしていない。理由は分かり過ぎる程明確なのだが、自分ではどうしようもない部類のものだ。だから余計に腹が立つのだが。 遮光カーテンの向こうからは、あからさまな朝の太陽の気配が忍び寄る。 「……はぁ……」 また、あの夢だ。 同じ夢を幼い頃から、たまに見ていた。だがここの所それは頻繁になり、今では恐ろしい事に毎晩続いている。 夢自体は悪い種類ではない、と思う。内容的には悪夢と掛け離れているし、何と言っても風景が綺麗で〝自然溢れる〝と言うやつだ。なのにその夢を見ると、決まって目が覚めると躯は疲れ、全く寝た気がしないのだ。そうなると当然、日々生活に支障が現れてしまう。 「疲れた……学校行きたくねぇ……」 行きたくねぇ行きたくねぇ行きたくねぇ…… 1人ボヤいてみても始まらない。でも言う。分かっちゃいるけど、の世界だ。 「はぁ……」 暫く往生際悪くベッドの上でゴロゴロしていたが、やがてもそもそと起き上がると、仕方なく顔を洗う為に洗面所へ向かったのだった。 「高耶?早く食べないと遅刻するわよ?」 キッチンの横を通ると同時に母親の声が掛けられるが、気の無い声だけで答える。 「……いい」 「また食べないの?ダメよ、朝は大事なんだから」 「……いいです遠慮しときマス」 そのままヨタヨタと靴を履き、玄関のドアを開く。後の方からまだ母親の声が聞こえていたが、そのままシカトで家を出た。これがここ最近の朝の風景なのだ。 眠いのは確かだ。だがそれ以外の理由の方が大きく、仰木高耶は大きな欠伸を遠慮なく零した。 「ふ、はぁ」 「デカッ」 顎が外れるのかと心配する様な見事な空けっぷりに、横を歩く友人、成田譲は呆れた顔になる。 「お前遠慮無い過ぎ」 「ふわぁ……ああ眠ぃ……」 友人の醒めた横目など何時もの事なので、全くもって気にならない。高耶は眠気の欲求に従って続けて2つ程の大欠伸を盛大に零した。 「ふわ……はぁ……」 「……っつたく……」 欠伸の所為で、印象的な黒の眸が潤んでいる。 譲は胸が大きくケバい女が好みなので、友人のそんな顔を見ても増々呆れるだけだ。マイノリティ的趣向のある者が見たら―――ゲイ、とも言う―――涎ものだな、と心の中でこっそり思ってみる。 「あ?何か言ったか?」 「別に」 周りには、同じ制服を着た学生達が2人を追い越して歩いて行く。余りのんびり歩いていたら遅刻なのだが、2人揃ってその点は気にならないらしい。 高耶は都内にある私立高校に通う高校生だ。まだ1年生なのだが、2年に上がると直ぐに受験が手薬煉引いて待っている。なのでもう心構えは……と、建前はそんな所だが、ほんの数ヶ月前まで中学生だった高耶にとって、正直大学など遠い未来世界だ。そもそも高校受験が終わって数ヶ月しか経っていないと言うのにもう次などとは、考えたくもないのが人のしての正しいあり方だと信じている。 とは言っても、この眠気と〝受験〝も、丸っきり無関係なのだが。 「あー……ヤベ……オレ絶対授業中爆睡するぜ……」 「お前さ、最近毎日それ言ってねぇ?」 「記憶にありません」 「しかも朝から放課後まで寝まくってるし」 「うーん」 「今度の中間、平気なのかよ」 「……」 平気……な訳がない。何しろ授業と言う授業を綺麗に右左に流しているのだから。 基本的に教師達は、生徒の自主性、と言う名の放棄を躊躇わない。やりたくない奴はやらなければいい。義務教育じゃあないのだから、勉強以外の部分の世話を焼く気はないのだ。即ち高耶は、起こされる事もなく、安眠を貪れると言う訳だ。ただし赤点、と言うオプションが漏れなく付いてくるのは言うまでもない。 それでも夜まともに眠れないのだから、昼間眠いのは仕方がないではないか。それもこれも、 「……」 「高耶~」 「あ?あー……うん、平気平気」 あの〝夢〝の――― 「……」 ショボショボの目を擦り、高耶は重い足を引き摺って校門へ向かったのだった。 「……ぅ」 「課長?」 「……ぅ……」 「課長ッ」 「おわッ?!」 いきなりガバッと顔を上げた上司に、部下は驚いて目を丸くした。 「仰木課長?」 「……ありゃ」 キョロキョロと辺りを見回すと、そこには見慣れた風景が広がっていた。目の前には自分のデスク、一箇所重点的に濡れているのは、もしかしなくともヨダレだろう。 「……オレ……寝てた?」 恐る恐る、見上げて訊いてみるとそこには呆れを隠さない顔が。 「はい盛大に」 バッサリ一言。 「……」 遠慮の無い部下の冷たい答えに、仰木課長は気拙そうに頭を掻いた。 「最近眠いよな?」 「課長の場合、年間通してだと思いますが」 「……」 「これ、目を通してください」 「……はい」 まだ疑わしそうな顔をしながら、部下は自分のデスクに戻っていった。そして手元の書類に視線を落としながらも、仰木課長はついさっきまで見ていた夢を思い出す。 「……懐かし……」 高校時代 友人の成田譲 何時もの朝の風景だった。高校時代の夢を見るなんて、一体何時以来だろうか。既に30を過ぎて久しい仰木課長は、ふう、と小さく溜息を吐く。 久し振りにあんな夢を見てしまったのには、実は心当たりはあった。あの頃頻繁に見ていた夢を、また最近見始めていたからだ。 初めて観たのははっきりしないが、小学校に上がる前。その時は毎晩でもなくしかも特に生活に支障を来たすものもなかった様に思える。景色も綺麗で御伽のようで、却って楽しかったのだ。そして今見た夢の高校時代。 毎晩しつこく広がる風景は、その美しさも飽きてしまう程で。しかも寝て疲れる、これってどうよッ、な日々は今でもよく覚えている。 半月程でピタッと止まったから良かったものの、あのまま続いていたらそれこそ冗談じゃあない状況に追い込まれてしまったかもしれない。夢が治まり心底ホッとしたのを、今でもよく覚えている。 そして今、仰木高耶36才、一部上場のまあ大手企業の企画部課長。この年で課長は、同期の中でも出世頭だ。ぼんやりしている風に見られるが、仕事では実はキレる。 今だ独身だが周りからは、課長って格好良いですよね~、と言われる顔は、少年部分と徐々に出てきた大人の男の渋さを混合させており。 しかも年収も高めな男がモテない筈もなく。今は彼女はいないが、だらしなくはないが過去女性関係は中々華やかだ。 本人自覚は無いが、部下からの人気も高い。仰木課長は仕事は厳しいけど〝公平〝だよな、と。 ヘマをすれば叱る、良い仕事をすれば誉める。当たり前、と思われるそれを出来無い上司は少なくない。だが仰木課長はその辺の所、誰に対しても公平だった。 部下の手柄を自分のものに、なんて珍しくない行為も仰木課長に限ってはありえなかった。正当な評価をしてくれる上司は自然、部下から慕われる事になる。それが面白くない者もいるのだが、性格からか仰木課長本人は余り気にしてない様子だ。 仕事から離ると、結構のほほん、と言うか。そんな仰木課長は女性社員から密かに可愛い、と言われているのだが、当然それも本人の預かり知らぬ所なのは言うまでもない。そんな、仰木課長。かれこれ20年振り、観てしまった例のあの夢。いい年をした男がまた夢に悩ませられるなんてシャレにならんッ 「……」 ふう、と深く息を吐くと、仰木課長は仕事に戻っていった。それから暫く仕事に没頭していた仰木課長だが、 「ん?」 ふと、キーボードを打つ手を止めて顔を上げた。 「課長?」 「今呼んだか?」 「いいえ?」 丁度前を通りかかった部下に声を掛けるが、不思議な顔で否定されてしまう。 「……そっか……」 「課長?」 眉根を軽く寄せてしまった上司だが、 「何でもないから」 「そうですか?」 誤魔化すように笑みを作って再びディスプレイに視線を戻した。 それから少しだったのだ、ほんの少し。時間にすれば2分弱。 ――――――― 「?」 また、だ。 顔を上げた仰木課長は、確かに〝音〝を聞いた気がした。 しかも耳・ではなく、頭のずっと奥の方で。 「……」 手を止め周りを見回してみれば、何時もと変わらない仕事風景。騒騒と均一的な騒めきが仰木課長の周りに流れている。 「……ふむ?」 思わず首を傾げてしまっても、状況は何も変わらない。変わらないのが却って不気味だ。 「課長?」 「……何でもない……」 いくら変でも奇妙でも不可思議でも、今は就業時間帯。割と多目の給料を貰っている身としては、身も気も入れてお仕事をしなければ。 「うーむ」 あれあれ?としつこく首を傾げつつ、仰木課長は仕事に戻っていった。 丁度忙しかった仕事が終わり、比較的ゆとりのある時期だったので定時、とまではいかないが、それでも7時前に仰木課長は仕事を切り上げた。周りを見ても、何時ものこの時間よりも随分人が少なくなっている。休める時に休め、と課長自ら言っているので、部下達は嬉々として、お疲れさまでーす、と帰って行ったのだから当然なのだが。当の仰木課長もふぃー、と深呼吸一つ。データを保存して電源を落とすと、グレーのカシミヤのコートを羽織った。 白とグレーと黒の間、微妙な色合いが気に入って買ったコートは部下のOLさん達に好評で、仰木課長も密かに気に入っているものだ。肌触りも良く品質も良いもので、結構値段も張ったのだが長く着る事を思えばそう高くはない。昔から堅実、と言うかちょっとケチ、もとい世知辛い所のある仰木課長なのだ。 「じゃあオレ帰るから」 「はい、お疲れさまです」 「お前らもいい所で切り上げて帰れよ?」 「はーい」 軽く手を上げると、仰木課長は企画部を出て行ったのだった。 ブルルル 「あ?」 守衛に挨拶し、丁度自社ビルを出たと同時だった、ポケットの中の携帯がブルルル、と震えたのは。 「ん?」 見ると相手は、良ーく知った、と言うか知過ぎた男。 『終わったか?』 「……」 挨拶なしの、前置きなし。何時もの事なので驚きもしないが、それでも溜息が零れると言うものだ。 「……何だよ譲、久々だな」 『まあな、で、終わったのか?』 「仕事だろ?ああ、今終わったところ」 『丁度良かった、飯食おうぜ飯』 男の誘いは何時も唐突なので、仰木課長もすっかり慣れている。 「どこで」 『んー、前に飯食った店覚えてるか?』 「えーと……恵比寿のあの和食の?」 『そうそう、おれ後20分位で店着くからさ』 「オレ30分はかかるぞ」 『いいから、先に行ってる』 「分かった、じゃあな」 用件だけの会話は終わる。それもまた20年以上変わらぬ日常で。 「はぁ」 寒さに躯に力が入る。 寒い寒い、と言いながら仰木課長は駅へ早足で向かったのだった。