1/700 千島汽船 貨客船 「三穂丸」「浦河丸」
Physical (worldwide shipping)
- Ships within 7 daysShips by Anshin-BOOTH-PackPhysical (direct)3,500 JPY
Physical (ship to Japan)
- Ships within 7 daysShips by Anshin-BOOTH-PackPhysical (direct)3,500 JPY

千島汽船は、1909年(明治42年)に択捉島の漁業家たちの出資によって創業した船会社で、後の1915年の北海道庁命令航路として開設された北千島定期航路(受託者日本郵船)を先駆けて函館-千島(択捉島ほか)を結ぶ航路を運航していた会社でした。当初「錦龍丸」(木造汽船665総トン)1隻で始まり激しい景気の浮き沈みのなか、太平洋戦争開戦前には中古汽船ながら「三穂丸」(511総トン)と「浦河丸」(347総トン)の2隻を運行していましたが最終的に、海運業の戦時体制への移行に伴い法人として解散したうえ、自社船は全て戦没となりました。 ・三穂丸について 扶桑運輸が、第一次世界大戦開戦直後の1914年に大阪鐵工所にて新造させた511総トンの鋼製の貨物主体の貨客船(昭和15年時定員21名)で、1915年に千島汽船に移籍したものの1916年に座礁事故を起こし、一度は廃船となったものの再生され、他の船会社を渡り歩いた後、1932年 (昭和7年)千島汽船に再移籍したものでした。戦時中は地方徴用船として大湊警備府を中心とした哨戒に従事した後、1943年半ばから各地の物資輸送に従事し、1944年7月米潜からの雷撃により沈没したとされております。 ・浦河丸について 函館の海運業を営む個人が一次大戦中の1915年に竣工させた347総トンの貨客船(竣工時定員149名)で後に現代まで続く名村造船所の創業者によって建造されました。1931年に千島汽船に移籍しましたが、徴用を受ける事なく1945年7月に根室から択捉島へ向かう途中空襲に遭い多数の民間人被害者を出して沈没したとされております。 ◆本キットの資料について 両船とも、大正時代に撮影された写真一枚と、主要船体寸法・船倉口サイズをもとに船型が近しい他船の図面を足掛かりにしてのキット化となっておりますので、一枚の写真で大きく考証が変わる可能性があります。あらかじめご了承ください。 3D光造形プリンター製で自宅造形となりますので、品質にばらつきがある可能性がございます。また、積層跡があり、未塗装組立キットとなります。また、船体と台座の切り外しにホビー用ノコギリ(レザーソー)などが必要です。接着は、瞬間接着剤+硬化促進剤を想定しております。 また、エッチングパーツ・デカールなどは付属しませんので、ご了承ください。 完成時全長 三穂丸:約7.4cm 浦河丸:約6.1cm データ製作者:まったり造船課長 販売開始日:2025年6月18日