夜に夢みし朝(あした)への約束
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A5 32P デジタル印刷 2020年11月10日発行 肌寒い季節の、ほんのちょっとセンチメンタルな感じを書いてみました。 高耶と直江は付き合っているけれど、お互いに不安が拭えず悩んでいるという両片想いの反対(?)のような話です。 特に事件も起こりません。ただただぐるぐると考えているふたりです。 全年齢向けですが、大人な雰囲気ではあります。 この話の後日談をpixivにアップしています。→ https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=14332411
夜に夢みし朝(あした)への約束(サンプル)
服がほしい。連れていって。 歳下の恋人に珍しくそう強請られ、うきうきと車を出した男が指示されたのは、有名なバイク用品店だった。 駐車場にはズラリとバイクが並び、車は肩身が狭い雰囲気だ。 加えて、およそバイク好きではないだろう風貌の男。と、それを従えるように歩いていく青年は、屯して楽しそうに話すライダーたちの目に嫌でも止まる。 あちこちに散っているいくつものグループがちらちらとふたりに目線を送っているのが、男にはわかった。 普段から歳も嗜好も違いそうなふたりは、どういう組み合わせなのかと好奇の目で見られがちだが、今日はまた違った意味で注目されているようだ。 しかし、居心地の悪さよりも男には現在浮かんでいる疑問の方が重要だった。 「高耶さん? 服、ですよね?」 「そーだよ。そろそろ新調しようと思って」 ここ広いからはぐれずについてこいよ、直江。悪戯な笑顔で肩越しにそう言うと、高耶は気後れすることなく店内へ入っていく。 デートの高揚感とは反対に、空は機嫌が悪い。 傘を積んでいたかな、と仰いでいるうちにちいさくなっていた背中に慌てて、わけがわからぬまま直江は後を追いかけた。 入り口付近のヘルメットコーナーを抜け、小物のラックを素通りする。淀みなくウエアのコーナーに辿り着いた高耶は、後ろの男を振り返りもせずに「これこれ」とジャケットを取り上げた。 「ネットで見て実物が気になってたんだ」 フェイクファーのついたモスグリーンのモッズコートらしきものを嬉しそうに直江に見せる。 「コート…いやジャケットですか」 「そ。新作なんだよ。去年まで着てたの袖んとこ引っ掛けて破いちまってさー」 普通のアウターに見えるそれは、実はライダースなのだという。促されて直江が肘や背中を触ると、中にはきちんとプロテクターが入れられていた。 「ソフトだから動きやすいかなって。これだったらそのままちょっと遊びにも行けそうだし」 確かにいわゆるライダーススーツと違って、一見ただの上着にしか見えない。 「いまはお洒落なものも出ているんですね…」 言って、直江は手近にあった迷彩柄のパーカーを手に取る。生地は薄いものの、それも胸部と背中、肘に柔らかいプロテクターが入っていた。 「お洒落だって、思う? オレ服の合わせ方とかわかんねぇから、おまえに見立ててもらおうと思って」 「私に?」 「うん。おまえだったらそういうの、得意かなーって。ダサいカッコしたくねえじゃん。おまえと歩くのに」 社会人の直江と学生の高耶は、煩雑な日々の合間を縫って逢瀬を重ねている。 休日はともかく、平日は互いに仕事や学校帰りに会うことになるので、通学もアルバイトもバイクを使用する高耶の格好はいつも機能性重視だ。 そのため、男とのデートにも大抵は専用のウエアを着ていくことになる。 本当は高耶だってもっと洒落た服装や髪型にしたい。だが、安全を優先するために諦めざるを得なかったのだ。 しかも安全性に関しては直江のほうが口煩くて、シャツとジーンズで会いに行った高耶は、危ないと強く叱られたことがある。その日は遊びに行く予定だったのに、そのまま交代でバイクを押して帰るという苦行を強いられてしまい、青年は二度と普段着で行くものかと心に決めたのだった。 とはいえ、ドレスコードのないレストランの利用であってもライダーススーツとビジネススーツの組み合わせはアンバランスすぎる。 どちらもが地味なスーツ姿だとか、野暮ったい服装をしたとしても、連れ立って歩けば目を引いてしまうふたりだ。 歳の差があるだけでなく、背の高さや見目のよさが原因で、通りすがりになにかしらの視線を送られるのが常になっている。 悪い意味の注目ではないのだが、高耶にとってそれはあまり気分のよいものではなかった。せっかくの食事が落ち着かなくなるのだ。 だから、なるべく目立たないように、すこしでも『浮かない』ようにしたいのだと言う。 直江はジロジロ見られんの嫌じゃねえ? と訊かれた男は僅かに思案し「周囲の視線など気にしたことはない」と答えた。目の前の恋人に心底囚われているので気付かないとも言えるだろう。 「私のため、ですか」 「んー、まあ、どっちかってーと自分のためかも。だって、おまえはいつもちゃんとしたカッコで来てくれんのに、オレはこんなのばっかでさ。嫌だったんだよ。スーツ姿のおまえと街中(まちなか)歩いてると悪目立ちするじゃん」 こういうのだったらちょっとでもマシかなと思ってと小首を傾げる、いつもと変わらない明るくはっきりとした物言いをする青年の黒い瞳は、不安げに揺れている。 正直なところ、直江のほうが年若い彼に嫌われないようにせねばと砕身しているつもりだったので、高耶がそんなことを考えているとは思いもしなかった。 健気さに目を細めた男は、愛おしさで人目を憚らず目の前の身体に手をのばしたくなるのをすんでのところで踏みとどまる。 ここで抱きしめてしまえば、憂いが本物になるだろう。 代わりに青年の求めているであろう答えを返した。 「私は、どんなあなたでも好きですけど…。確かにこれはあなたに似合いそうなので、いいですね。タウンユースできそうですし」 「そっか。よかった。…なあ、ついでにブーツとかも見てほしいんだけど…」 正解だったらしく頬を綻ばせた高耶が見上げてくる仕草に、視線で頷く。ほっとした様子の青年に、男も安堵した。 「ええ。もちろん。でも、デザインはともかく、機能とか安全面については私はわからないので、高耶さんがよく見てくださいね」 本来ならプロテクターはハードタイプの方が安全性が高いはずだ。しかし、バイクに関して素人の直江は、高耶の判断にそのあたりを任せるしかない。 自分のせいで危険な目に遭わせてしまうのではないかと心配する直江に、これは衝撃を受けたら固くなるから大丈夫だと高耶は説明した。 「そんなものがあるのですね」 「すごいよな。オレもこないだ調べてて初めて知った」 サイズはこれでいいか着心地はどうかと確かめ、ネイビーもいいかなやっぱりこっちの商品がと迷いつつも、結局「顔映りが一番いい」という男の言葉に従って、初めに選んだモスグリーンのジャケットに決まった。 「あとこれに合うパンツと……」 直江に店名のプリントされたカゴを持たせた高耶はボトムスの掛かったラックの前に立ち、デニム風のライダースパンツを見比べる。 「うーん…よくわかんねえ…。どれがいい?」 「そうですね…。高耶さんはシンプルな服が多いから…上着を脱いだときを考えて…中に着るものとも合わせるとしたら、これ。あまりゴテゴテついてないほうがいいと思います。ステッチもお洒落ですけど…汎用性は低いかもしれませんね。うん、シンプルに、これかな」 そう言って、直江はプロテクター部分の目立たないものを選んだ。 「ん、じゃあこれにする」 タグを見て問題ないと思ったのだろう。高耶はジャケットを入れたカゴにそれも追加した。 「大丈夫でした?」 「うん。しっかりしたの入ってるし、生地は伸びて動きやすそうだし。いいと思う」 「それはよかった。あとはブーツ? …ああ。これ、いいですね」 隣のコーナーに移動する途中で、目に留まったらしいそれを直江は指し示す。 店の一押しなのだろうか。ブーツ売り場の手前にいくつかピックアップされたものが置かれていた。 「デニムブーツ?」 「岡山デニムだそうですよ」 「へえ」 腰よりもすこし低い位置の白い台に、スタイリッシュな皮仕様のものに混じってデニム生地で作られたライダースブーツが鎮座していた。シフトガードがついていなければ高耶でもファッション用だと思ったかもしれない。 「さっきのパンツと色も合いますね。スキニータイプだったからインで履けて可愛いかもしれません」 「…可愛い…」 洒落感はほしいが可愛さは求めていないと思つつも、楽しそうに組み合わせている男の様子に青年はまあいいかと口を噤んだ。彼のコーディネイトならばおかしな格好にはならないだろう。 二色あるうちのどちらにするのかをぶつぶつ言いながら決めていた直江は、棚の下に積まれた箱を見て片眉を上げた。 「サイズがないですね。在庫聞いてみましょうか」 お互いの家を行き来している仲だ。知る機会がいくらでもあるとはいえ、他人のサイズをよく覚えているなと相変わらずマメな男に感心する。 だが、言えばきっと「他人ではないから」と返してくるに違いない。そういうことをさらりと言ってのけるのだ、この男は。 こんな場所でそんなセリフを聞かされて冷静でいられる自信のない高耶は、再び言いたいことを飲み込んだ。